冒険の書1のセーブ・データは消えました【23】(下)
『……』
おっちゃんは無言で器を掴むとそれを口に運び、一口飲んだ。
そしてあっけらとした顔で答えてくる。
『それは俺にもわからん』
はぁ?
すぐに手で制して、おっちゃんが言い直してくる。
『永遠に戻れないと言っているわけじゃない。いつ戻れるのか分からんと言っているだけだ』
俺は感情的になって机を拳で叩いた。
ふざけんなよ! いつ戻れるか分からないなんて、まさかこのまま一週間とか一年とか──最悪十年後もこのままとか言わないよな?
『以前、俺が話した【理の呪縛】のこと覚えているか?』
理の呪縛?
『お前が初めてクトゥルクを使ってこの世界に来た時に話したことだ』
……。
俺は記憶を探り、思い出す。
あれはたしかゼルギアに連れてきてもらったギルドでようやくおっちゃんの声が聞こえてきて、
『そうだ。その時だ』
あの時も帰りたいのに帰れなくて、おっちゃんからそんな話を聞いて……ペナルティがどうたらで逃げられないとか
『お前なぁ。俺が話したことを曖昧に覚えてやがるのか?』
いやだって、まさかこんなに頻繁にこの世界に来るとは思ってなかったし、それに──
『だから俺が話した大事なことも適当に聞き流していたってわけか』
そ、そういうわけじゃないけど……
『よしわかった。今度はわかりやすく例え話で説明してやろう』
おっちゃんが閃くように人差し指を立てると、そのまま皿から干乾びたチーズを掴み、俺に見せる。
『このチーズがお前だとする』
なんで俺がチーズなんだよ。
『まぁ聞け、例え話だ。この皿が向こうの世界だとする。そしてこの木の実の器がこっちの世界だと仮定しよう。この器の中には水が入っている。わかるな?』
見ればわかる。
『この水は魔法の源だ。この水の中の世界でなら自由に魔法が使える、という設定だ』
設定?
『例え話だからな』
あーうん。
『そしてこのチーズがお前だ。見た目通りパサパサで水気もクソもない──言わば乾燥した状態だ』
なんかすげー悪口言われているように聞こえるんだが、気のせいだよな?
『そしてこのチーズをこの器の中に、こう、落とし込む』
聞き流すなよ、俺の言葉。
おっちゃんが器の中にチーズをぽちゃんと落とした。
チーズはぶくぶくと器の底に沈んでいく。
『さて、ここで問題だ。このチーズはこの後どうなると思う?』
水気を含んだチーズになる。
『チーズだからな』
あー、うん。
おっちゃんが器の底に沈んだチーズを手で拾い、取り出す。
水気を含んだチーズはしっとりとしておいしそうだった。
『つまり、こういうことだ』
わかんねぇよ。
おっちゃんはしっとりチーズを皿に置くと、同じく皿にあった乾燥したチーズと見比べるようにして俺に言ってくる。
『チーズが水を含んだ状態だと元の皿に戻った時、その皿の世界では異常な姿だ。だったら元の姿に戻してやればいい。こうやってな』
言って。おっちゃんは解説半ばで器を口に運び一気飲みを始めた。
『――ぷはぁ』
器を空っぽにして。
おっちゃんはさきほどのしっとりチーズを、空っぽになった器の中に落とした。
『それがペナルティだ。お前の場合、この世界で魔法を使えば滞在時間がその分だけ長くなり、この世界から出られなくなる』
だけど俺、前回――
『もちろん無理やり帰還することも可能だ。クトゥルクを暴走させるか、セディスが発明した【リ・ザーネ】の魔法を使えばそれができる。ただし、向こうの世界に戻った時にお前の周囲、またはお前自身の体に何かしらの異変が起こっているはずだ』
それでおっちゃんはあの時俺に聞いたのか? 超常現象が起こってないかって。
『そうだ。綾原奈々の場合はセディスの魔法で行き来していたから向こうの世界に何の影響もなかった。だがお前の場合は別だ。なぜなら──』
会話を打ち切るように街の外で花火が連続して鳴り響く。
なんとも賑やかな音だった。
俺は思わず外へと視線を向ける。
……花火?
おっちゃんが鼻で笑う。
『始まったようだな』
え? 何が?
『勇者祭りだ。今からお前がわくわくするようなものを見せてやる』
言って、おっちゃんが席を立つ。
もう行くのか?
『行かないと終わっちまうだろ』
急いで行かないと間に合わないものなのか?
『そうだ』
じゃぁ行く。
俺は慌てて席を立った。
おっちゃんが何かに気付いてテーブルを指差す。
『お前、チーズ食わないのか?』
……。
無言で、俺は顔をしかめた。
おっちゃんが半眼で言う。
『食っとかないと腹減るぞ』
……マズイんだろ?
『マズくはないが、ちとパサパサしている』
俺しっとり派。
『お前は間違いなくサバイバルで飢え死ぬ派だ』
わかったよ、食うよ。食えばいいんだろ。
『水も飲んどけ。あとで喉が渇いたと言い出しても俺は知らんからな』
わかったよ、うるさいな。
投げやりに俺はしっとりチーズを口に詰め込んだ。
あ。なかなかうまい。ベイクドチーズのような味だった。
意外にもチーズはすごくおいしい。
喉が渇いた俺は自然と器に手を伸ばし、そのまま器の水を立ち飲みした。
三口ほど飲んで。
俺は思い出したかのように顔を渋め、そっと器をテーブルに置いた。
……やっぱりこの水、まずい。
後味が最悪だった。
早く現実世界に帰っておいしい水が飲みたい。
『じゃぁそろそろ出るか』
あ、ちょっと待ってくれおっちゃん、あともう一個。
俺は残り一個の干乾びたチーズを慌てて手に取り、飲み残した水の中にぽちゃんと落とした。
意外にもおいしいこのしっとりチーズの味が俺の中で忘れられなかったからだ。
このチーズ、意外とイケる味だ。
干乾びたチーズは底に沈み、ぷくぷくと気泡を出す。
早くしっとりにならないかなぁ。
それをしばし見つめて。
ふと、俺は何かひっかかるものを覚えた。
何気に視線を、おっちゃんが飲んだ空っぽの器へと移す。
水が入った器と空っぽの器。
それを交互に見つめる。
ん?
そして俺は顔をしかめた。
【この水は魔法の源だ。この水の中の世界でなら自由に魔法が使える、という設定だ】
あれ? 待てよ。そういやさっきおっちゃんが、水の入った器がこの世界って言ったよな……? それだとなんか──
【だったら元の姿に戻してやればいい。こうやってな】
乾燥して戻す? 水が空っぽの器の中で?
【それがペナルティだ】
これだとまるで向こうの世界にいることがペナルティだと言われているみたいで──
『いつまで遊んでいる?』
ハッと。
俺はおっちゃんへと目を向けた。
『ただの例え話だ。深く考えるな』
言って。おっちゃんは水の中に手を入れると、チーズを取り出して俺に手渡した。
そのまま俺を無視するようにそこに置いて店の出入り口へと歩き出す。
あ、ちょ、待てよ! 置いていくなよ!
――そうだよな。ただの例え話に難しく考える必要なんてないよな。
手渡されたチーズを口の中に放り、俺はおっちゃんの後を慌てて追いかけた。




