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エピローグ

 そして私は彼に処女を捧げたがやがて彼の浮気が発覚して破局し、そのとき慰めてくれたクラスメイトとなんやかやあったものの就職して自然消滅し、数年後に同僚の紹介で出会った人と結婚して一人の娘を産んだ。

 私の人生なんて数行で説明できちゃうんだ。

 それでも私は夫と娘を愛しているし、この人生に満足していた。


 ——今は病院のベンチに座って、必死に祈っている。

 夫はまだ来ない。娘が居眠りの車に撥ねられたのは夕方、帰宅途中のこと。泊まりがけの出張中だった夫は仕事を切り上げて駆けつけている途中のはずだ。

 私は一人で祈っている。娘は意識不明の重体、未だに手術中。誰かこの子を助けて、何でこの子なの、私だったら良かったのに、


 私だったら良かったのに、


 ————唯。


 ばたばたと音が聞こえて、すぐ横の扉が開いた。私はぱっと立ち上がって出てきた医師に駆け寄る。

 「先生、娘は」

 「…山は越えました」

 山は越えたなんて、現実で言うんだ。

 そんなしょうもない感想を抱いて、そのすぐあと腰を抜かしてその場に座り込んでしまった。

 助かった。


 夫も駆けつけて、娘の手をとって涙を流した。娘の顔に傷がつかなくて本当に良かった。四肢にも後遺症は残らないだろうとのことだ。

 数日経って、娘の状態はすっかり落ち着いた。意識もときどきであるが取り戻して、まだしゃべることはできないが、目を細めて私や夫を見つめていた。

 私はベッド脇の椅子に腰掛けて、編み物をしていた。冬にかけて仕上げて、娘にあげようと思っていたマフラーと手袋だ。でも最近母親にべったりではなくなってきた娘は、『こんなのダサい』なんて言って使ってくれないかもしれない。寂しいような、嬉しいような。

 否、間違いなく嬉しい。娘の命に先があって、これ以上の幸せがあるだろうか。

 娘の顔を見ると、うっすら目が開いていた。

 「あら、早紀。起きてたの」

 娘はぼんやりと私を見つめて、やがて少し目を見開いた。

 

 「…あれ、唯?」


 「…!!」


 「なんか、老けたね」


 そう言って、娘は笑った。

 何言ってるの、母親を呼び捨てになんかして…と言えれば良かったんだろう。

 でも私は彼女の目を知っていた。

 こんな目をする人物を知っていた。


 「……唯?」


 まだ信じられないまま、彼女の名前を呼んだ。



 唯は、あのときから記憶がないという。目覚めればこの場所にいて、娘の身体になっていたのだと。

 「唯、すっかりおばさんじゃーん。なんかタイムスリップした気分」

 ふふ、と唯は笑った。私は…。

 「唯。…ごめんね」

 「何謝ってんの?」

 唯は本当に不思議そうに言った。

 唯は思っていないの?

 あのとき、どうして私が残ってしまったのかと。

 …私の方こそ消えれば良かったのにと。

 「そんなこと思ってないよ」

 「どうして」

 「そんなこと思う暇もなかったもん。今は私、ここにいるみたいだし」

 笑う唯は、昔のままの唯だった。

 ふいに目頭が熱くなる。

 「ちょっとお、泣かないでよ。そりゃ、愛する娘がこんなんなったらショックかもしれないけどさあ」

 茶化して唯は言うけど、いったん溢れた涙は止まらなかった。

 「私、…私、唯が消えてほしいなんて、本当は本当に、思ってなんてなかった…!」

 少しうっとうしそうに唯は私を見た。しょうがないなあという顔で、ゆっくり腕を上げて、私の頭に手を置く。子どもの手で。

 「そうだね。私が影の人格だったってことなのかな」

 でもやっぱり唯は少し寂しそうに呟いた。


 どれくらいそうしていただろう。唯は疲れた表情で目を閉じて、私を撫でていた手もぱたりと落ちた。

 眠っただけだ。分かっていても怖くて、私は彼女の肩を揺すって呼びかけてしまう。

 「唯」

 再びうっすら目を開けた。

 「唯…」

 「…どうしたの、お母さん」

 はっと彼女の顔を確認する。

 眠そうに目を開いた彼女は、娘の早紀だった。

 「変なお母さん。唯ってお母さんの名前でしょ…」

 そう言って、娘は眠りについた。

 私は言葉を失って、娘の顔をしばらく見つめていた。


 私はどうしたいのだろう。唯に帰ってきてほしい?娘の人格を押しのけてまで?

 とんでもない。私は娘を愛している。違う様子の娘に夫が違和感を覚えたら、今後の家族関係にも不和を生じるだろう。

 でも、…唯のことも、愛しているのだ。そして負い目もある。私という肉体を、私が独占してしまったという負い目だ。

 唯が早紀を乗っ取ってしまっても、私は何も言えない…。第一、どう言えというのか。私の娘はかつて私と同居していた人格に取って代わってしまったんです、なんて、誰が信じる?


 そんな私の葛藤をよそに、回復していく娘は娘のままだった。

 父を慕い、母には少し反抗し、見舞いにきた友人には笑って接する。変わった様子なんて見られない。




 でもときどき、私は感じてしまうのだ。ふと見せる彼女の目の輝きに…。

 あの、不敵にゆがめる目は、唯のものではないだろうかと。

 「唯」

 私は思わず呼びかける。

 彼女は振り向いて、楽しそうに微笑んだ。


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