分け合えないもの
「田中って、何あの人」
顔を合わせた途端、唯が不機嫌そうに言った。
「え?田中くん?」
「馴れ馴れしく話しかけてきたけど」
「え、ちょっとやめてよ。今度ノート見せてもらうことになってるんだから、あんまり冷たくしないで」
唯はどこか冷たい表情で私を見る。
「ふうん。…別に、当たり障りなく接しといたよ。でもああいう付き合いするならこっちにも考えがあるけど」
「は?」
言っている意味がよくわからない。ああいう付き合いって?
「唯のシュミがそんなに悪いなんて思わなかった」
「はああ?」
シュミというのは男の趣味ということか?
「ちょっと、別に田中くんはそういう相手じゃないし。そもそも趣味が悪いってのはないんじゃない?お互い好みが違うのは分かってるけどさ」
決めつけるような唯の態度に少し苛つくと、唯もそれに気がついたのか表情を緩めた。
「まあ、そういうんじゃなけりゃいいよ。…でもどっちにしろ、そろそろほんとに考えなきゃいけないのかもね」
わざとらしく含みを持たせた唯の言葉に、しかし私は神妙にならざるを得ない。
「……どちらが、『恋愛』をとるか、か」
今まで全て分け合ってきた私と唯。
分け合えないものが、ついに眼前まで迫っているのかもしれない。
「よっ、唯」
前方から、片手を上げながら眼鏡をかけた男の子が歩いてきた。今朝ちょうど話題に上がっていた田中くんだ。
「よっ」
「前言ってたノート持ってきたけど」
「うわーっ、ありがとう!」
田中くんとは講義が一緒で、いつの間にか話すようになっていた。さぼってしまった講義分のノートを貸してくれるということで、かなりあてにしていたのだ。
「唯って結構気分屋なのな」
「え?」
「あ、気ぃ悪くしたならごめんな」
「ううん、どういうこと?」
今朝の話もあってつい詰め寄ってしまった。田中くんは困ったように自分の眼鏡を触った。
「いや、昨日機嫌悪かったかなと思ってさ。そういうときもあるよな、うん。変なこと言ったわ、悪い」
「あ、ああ、ごめんね。昨日はちょっと、疲れてたのかも」
慌てて取り繕いながら、私は内心唯を責める。何が「当たり障りなく」だ、バレバレじゃないか。
「これ、ノート、本当にありがとね。何か今度お礼するよ」
「じゃあ前言ってたあそこ」
「ん?」
「駅の近くに安くておいしいとこあるって言ってたじゃん。あそこ行こうよ、お礼代わり」
「安いとこなんて良心的じゃん。いいよー」
トントン拍子に話が進んで、来週の日曜に昼食を一緒にすることになった。その日は唯の日だが、調整すれば問題ない。忘れないようにしないと…
「日曜は俺と約束してなかった?」
声に振り向くと、知らない人が立っている。否、全く知らないほどではない。構内で見たことはあるような気がする。茶髪でピアス、いかにもチャラいって感じの男の子だ。いつも何人かでたむろしているのに、今は一人だった。
「え?」
「いや、だから来週の日曜っしょ?先約があったと思うけど?」
心当たりはない——が、見当はついた。日曜は唯の日だし。しかし今すぐ確かめることは出来ない。
「あ、ああー、ごめん。そっかそっか、ついうっかり」
「俺の方、優先してくれるんでしょ?」
男はじっとこちらを見つめてくる。笑っているけど、なんだか感情が読めなくて、怖い。
「うん、もちろん。ごめんね」
とりあえずそう言っておくと、満足そうに口を緩めた。
「おい、高橋、何やってんの」
「お前こそどこ行ってんだよ」
「次、講義室変わったぞ」
「マジで」
通りがかった彼の友人らしき人が、軽口を叩きながらも私をちらりと見て、すぐに視線をそらした。そりゃあなたたちと一緒にいる女の子とはまったくタイプが違うでしょうよ。あからさまな態度にちょっとむっとしたけど怒ってもしょうがない。
「悪い、俺行くわ。日曜、忘れんなよ」
どうやら彼は高橋くんというらしい。
去っていく彼に、派手な化粧の女の子が近寄って肩を叩くのが見えた。
唯はまさか、あの女の子たちの仲間に入る気なんだろうか?
「ああ、高橋?うん、約束してた」
「早く言ってよ。そりゃ、確認せずに唯の日に予定入れようとした私も悪いけどさ」
「うん、ごめん」
素直に謝る唯を私はじっと見る。別に普段と変わった様子はない。当然だ、この空間では何も飾ることはできないのだから。化粧もないし、服装は身体が眠る前のまま、寝間着だ。
「どうかした、唯?」
「……その高橋って、どこで知り合ったの?」
サークルの仲間とか、講義で一緒の人とか、案外共通ではない知り合いや友だちも私たちには結構いる。けれど話を合わせるためにも私たちは極力お互いの情報を公開してきた。こうして私の知らないところで、二人で会う約束をしているなんて、これまでなかったことだ。それに彼は、今まで私たちが付き合ってきた人たちの中には決していなかったタイプだ。どこでどうやってつながったんだろうか。
「どこだっていいじゃん、適当に話し合わせてくれればさ。今回はちょっと迷惑かけちゃったかもだけど、これからはないようにするし」
「なにそれ。私が田中くんと知り合いだってときには怒ってたくせに。勝手じゃない」
「はい、はい。すみませんでした」
唯は苛ついた表情を見せる。
「あんたと高橋が会うことはないようにするからさ。『田中くん』のことでは私もちょっと苛ついてたけど、これでお互いさまってことでいいでしょ」
なんか違和感。
その正体をはっきりと掴めないまま、私は眠りに落ちる。唯が歩み去っていくのが見えた。私は冗談でも言えなかった言葉を飲み込んだまま。
男のシュミが悪いって?
お互いさまじゃないのよ。




