善き自動販売機の謳
――そして、八日目に神は、自動販売機を創り給うた。
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世の中に無駄な仕事が幾つあるのか数え上げてみた経験はないのであるが、恐らく両の手指では追い付かないほどにあるだろう。下らない仕事、もっと下らない仕事、さらに下らない仕事。下を見れば限がなく、あたかもそれは水が滝を下るが如き勢いで下へ下へと落ちていく。
途中からそれらの仕事に全くの価値は消え失せ、あるのはただ漂白された労働という名前のラベルのみ。下り下ったその先には深く昏い滝壺があり、その底には千年万年の浸食作用で穿たれた深い深い水底の孔がある。穴の底には地上の光は全く届かず、ただごぼごぼと泡が立っているだけだ。激しい水流に打ち付けられるその底、つまりはこの世の中で最も無駄な仕事というものは厳然として存在する。
何を隠そう、この私はその最底辺の仕事に就いているのである。
日本国に暮らして僅かなりとも世上というものを識っている方であれば自動販売機という機械について多少の知識は持ち合わせているだろう。ヴェンディングマシーンとも呼ばれる二十世紀に誕生したあの物販機能付き誘蛾灯は短い期間で格段の進歩を遂げ、様々な機能を背負い込むことになった。
光る、喋る、音がなる、程度の超合金のロボットでも出来そうな芸当は当然のこと、歌って踊れる機能まで身に着けて日進月歩の早業で第八世代型コンピュータを搭載し、ついには自己組織化推論エンジンを備えるに到ったのだ。まことにオーバースペック。まことに愚行の極み。今ではそこらへんの人間よりも遥かに理知的に賢く考えることまで出来るこの自動販売機は、まさに日本が生み出した究極の無駄である。
それ故に、この自動販売機はしばしば盗まれた。ダーウィン的適者生存の袋小路のその先に位置するガラパゴティック・サンクチュアリこと日本の生み出したこの頭の悪い機械は欧米のみならずアジア・アフリカでも高値で取引されるのだ。好事家にとって確かにこれほど魅力的なアイテムもないだろう。並の国では軍用にすら供されていない全くの新機軸の機能が惜しげもなく収められたこの機械こそ人類の叡智の結晶と疑わない者さえいる始末だ。
私は、大阪ミナミの一角で自動販売機の警備をしている。
電子パチンコ屋とドラッグストアとファーストフード店の密集する小汚い街だ。
一日八時間。休憩一時間で、拘束は九時間である。時給九二〇円が高いか安いかの判断は余人に委ねたい。私が訴えたいのは、この仕事の無意味さについてである。
「ありがとうございます!」
立派な身なりのサラリーマンが一人、シエルからジュースを受け取った。シエルとは自動販売機であり、私の警備対象であり、私のアイドルあり、私の憎悪の対象である。
自動販売機と言いながら、八菱重工V-054S-A113シエルは全く人間型と言って差し支えない形状をしている。放熱器を兼ねた薄紫の美しい髪、完全に均整の取れたボディ。愛くるしい顔。トレードマークの二つのリンゴが連なった髪飾りをつけ、理想の少女がそこにいるのだ。
商品は隣に設置されたクーラーボックスに仕舞われており、彼女の役割は正に“自動”で“販売”することに限定されている。冷やすことも温めることもそこには含まれていない。純然たる売り子としての“自動販売機”の完成形としての姿がそこにはある。
「弓削さん、今日は少し“ささめしい”ですね」
「ん? そうかね。確かにちょっと人通りが多いからな」
シエルはちょっとだけ不満めいた声を漏らした。“ささめしい”という言葉を完全に日本語に翻訳することは難しい。要するには“忙しい”とか“鬱陶しい”の中間程度の意味合いのようなのだが、シエルに言わせると“処理せねばならないデータの中に従前の経験からではなく新たに推論しなければならないケースが数多く含まれ云々”ということになる。ホモ・サピエンスであるところの私には決して追体験出来ない種類の感情である。が、詳細な意味など分からなくても、ニュアンスで会話できるものだ。
自動販売機は疲れない。僅かなメンテナンス期間を除けば。二十四時間、三百六十五日、連続で稼働できる。こんなものが、労働市場のあちらこちらに投入された。最初は自動販売機。次にファーストフード店。調理に介護に流通サービス。労働は今や“彼女たち”の独壇場だ。法律の定めによって“創造的な業務”に就くことは出来ないが、それもあと数年のことだろう。日本に暮らす二億のホモ・サピエンスの中で、彼女たちに知能で適う人間など最早一人もいないことに、ほとんどすべての人々がとっくの昔に気づいている。それは諦めに似た感情だった。
「弓削さん、少し痩せました?」
「分かるか? ちょっと、夏バテでなぁ」
分かるか、などと無駄なことを言ったが、分かって当然だ。彼女は視界に入る全ての人間のバイタルデータをチェックしている。彼女たちは、連結している。情報はリアルタイムで共有され、しかしそれでも彼女たちは完全に個を保っている。日本中は彼女たち一人一人の目を通して網羅され、何処にいても彼女たちの観測下にあるのだ。
日本国憲法修正第二十五条を遵守するために日本政府は彼女たちの運営会社に協力を要請していた。つまりは、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努める“義務を負う”」という奴だ。
いくつかの判例により、今の日本国は全ての国民を健康で文化的に保つ“義務”を負っている。その手段となっているのがシエルたち“自動販売機”だ。 身長体重はおろか、基礎体温の僅かな変化から心境の変化まで読み取る彼女たちの目から逃れることはほとんど不可能で、かつては三万人を誇ったというこの国の自殺者は毎年五人程度にまで抑えられている。いや、自殺だけではない。ありとあらゆる犯罪が、既に激減を始めている。“自動販売機”の存在は社会全体を良い方向に導き始めているのだ。
ある経済学者は皮肉たっぷりに今の日本を「有史以来、人類が享受した最も幸せな時代」と言った。そんな馬鹿な話があるか。
誰も、口には出さない。
でも、誰もが思っている。
もうすぐ日本は、自動販売機の国になる。
この美しく正しく気高く優しいイキモノは日本人をより良く善導してくれるに違いない。
健康で文化的で美と平穏に包まれた穏やかな生活。隅から隅まで掃除が行き渡り、猥雑さや“ささめしい”ものは排除された世界。
“自動販売機”を盗もうとする者などおらず、人々は財貨よりも詩と音曲をこそ求める。
私は、その世界の到来を待ち望み、拒絶している。
死ぬ自由すらない私は、いずれその世界に誘われるのだろう。果たしてその時、この国の、いやこの星の主人は、ホモ・サピエンスなのだろうか。
シエルが、シエルたちが、謳い始めた。
道行く人が、足を止める。美しい、美しい歌。人間存在そのものを震わせる歌。
多分、滅びは、美しい形をしている。