ゼンマイじかけの月と星
僕は進路希望のプリントを握りつぶしながら、夕焼けの坂道を歩いていた。まったく人生とは理不尽でつまらない。自分の一生を決めるのに用意された時間は、あまりに過少だ。
今、僕を含め、僕と同世代の少年達は必死で
「夢」
を探している。限られた時間内に見つけられなければ取り残されてしまうからだ。夢は探すものじゃないのに。
「他人に誇れる夢」
を。
「親が誇れる自分」
を。毎日みんな、必死で探している。誰のものでもない、自分の人生なのに、だ。
僕はそんな毎日に疲れていた。もううんざりだ。焦って決めた進路に何の意味がある。本気で好きかどうかも曖昧なまま、適当に進んだ先に待っているのは、成功ではなく、行き止まりの暗闇。流されるままにそこへ来て、ふとした時に思う。――
「どうして自分はここにいるのか?」
と。
悩んだところで人生は待ってくれない。
あとからあとから、無理矢理に背中を押されるままに、僕らは何の意味も持たず、また暗闇の中を歩き続ける。ただただ歩き続ける。せっかくもらった命なのに、そんな押しつぶされるような使い方をしたくはない。でも、この道から逃れる術を僕らは知らない。学校は、うまくその流れに乗っていく方法しか教えてくれない。
そんなことを考えながら、僕は坂のてっぺんまで来た。ここを
「まっすぐ」
下れば家に着く。でもなんでだか、僕はまっすぐ進まずに、右の脇道へと入っていった。その先は山道で、さらに上り坂になっている。規則正しく植えられた杉林の中は暗くてじめっとしていた。正直、薄気味が悪かったが、僕はかまわず獣道を先に進んだ。その奥から聞こえてくる奇妙な音が気になったからだ。
「ガチガチッ。ガチガチッ」
規則正しく鳴る
「それ」
は聞き覚えのある音だ。小さい頃大好きだった、ゼンマイじかけのプロペラ飛行機――。
うっそうと茂ったシダを掻き分けると、突然明るい場所に出た。小さな丘の上だった。オレンジ色だった空は、もう東から群青色に染まりだしていた。そこに誰かいる。
「ガチガチッ。ガチガチッ」
大きな大きなゼンマイを両手で一生懸命回している小さな少年。ゼンマイは地面に刺さっているようだ。
「そこでなにしてるの?」
僕は思わず声をかけてしまった。少年はびくっとして振り向いた。思わずゼンマイから手が離れそうになったようだが、慌てて掴みなおしていた。そして安心したようにほっと息をつくと、改めて僕の方に向き直った。くりっとした黒目の大きな目が印象的だった。
「君はだれ?僕は今大事な仕事中だから邪魔しないでくれよ」
と、少年は言った。邪魔をするなと言われて僕は少したじろいた。こんな小さな子供が仕事だって?どうせ何かの
「ごっこ」
だろうに…。
そうとは口に出さずに、
「それはごめんよ。ところで仕事って何?そのゼンマイは何なの?」
と話を合わせて聞いてみた。少年は、答えずに空を見上げたまま黙々とゼンマイを回している
(何だこいつ!質問には答えろよ)
僕はむっとした。しばらくして少年がやっと答えた。
「『星回し』だよ。このゼンマイで空を回しているんだ。昼の太陽から夜の月と星に。…今は秋だから夕暮れを早くしなくちゃいけないから急いでるんだ。だから邪魔しないでよ」
僕は黙ってしまった。だってなんて言ったらいいかわからないじゃないか。わけがわからない。子供ならではの空想だろうか。しかしそれにしては、確かに少年がゼンマイを回すたび、空が暮れていくように見える。徐々に星が増えていく…。
不思議な光景だった。ぼーっとその様子を見ていた僕に、少年が突然大きな声で呼びかけた。
「ヒマなら手伝ってよ!月がうまく出てこないんだ!もう時間がないのに!」
「わ、わかった」
僕は少年に言われるまま鞄を投げ捨ててゼンマイをつかんだ。
「いい?僕に合わせて、右に回すんだ。せーの!」
「ガチガチッ。ガチガチッ」
ゼンマイが回った。思ったよりもかなり重い!よくこの少年が一人で回せたな、と驚いた。――そして僕は息を呑む。空が動くんだ。ゼンマイに合わせて、ゆっくりと…。
「ガチガチッ。ガチガチッ。ガチッ…」
突然ゼンマイが一段と重くなった。少年が声を荒げる。
「もっと力入れて!一気にいくよ!せーのっ!!」
「ガチガチガチッ――!」
ゼンマイが勢い良く回った。すると東の山の端から驚くほど大きな満月がぬっと顔を出した。
「きれいだ…」
僕は思わず見とれた。こんな大きな月は見たことがない。少年はふぅっと肩で息をついて、額の汗をぬぐいながら、
「ああ、疲れた。ありがとう!君がいなきゃ満月なんて僕一人じゃとても上げられなかったよ」
と言ってにこっと笑った。
「いや…どういたしまして。僕の方こそ不思議な体験ができてよかったよ。これで『仕事』は終わり?」
そう言って僕も笑い返した。少年は夜空に向かってぐっと背伸びをしながら、
「うん。これで僕の仕事は終わりだ。あとはゼンマイをタイマーに設定しておけば、自動で星が動いて、時間になれば夜が明ける。最後の仕事が満月の日でよかったなぁ。ここから見る月や星はどこよりもきれいだったから。残念だな…」
と言った。
「最後…って?」
僕がたずねると、少年は少し寂しそうにうつむいて、
「隣町の小学校に転校しなくちゃいけないの。だからもうここにはこれないんだぁ」
と、つぶやいた。
「じゃあ『星回し』はどうするの!?これからは誰がやるの!?」
僕は何だか焦ってしまった。すると少年が無邪気に笑って、
「だから今日君が来たんだよ。明日からは君が『星回し』だよ」
と言った。
「え…!?」
僕は驚いた。
「それってどうゆうこと?なんで僕が?」
そう聞くと少年は、
「だってそうなんだよ。僕もそうだった。ゼンマイの音を聞いてここにやってきた。その日から僕は『星回し』になったんだ。『星回し』はそうやって交代していく。今やっている人が続けれなくなったら、代わりの人がやってくる。みんなゼンマイに呼ばれてやって来るのかもね」
と言って笑った。僕は黙ってゼンマイを見つめた。月光を反射して、まぶしいくらいに金色に光っている。
少年は草むらに投げ出されていたランドセルを背負うと、
「じゃあ僕行くね。バイバイ。頑張ってねー」
と元気に手を振って走り去った。僕は丘の上に一人、大きな満月が浮かぶ夜空と取り残された。秋風が通り過ぎて草がさわさわ鳴った。
「続けれなくなったら交代ってことは続けれる限りはやっていいってことか…」
僕は独り言をつぶやいた。
「…見つけたじゃないか…!」
そう小さくつぶやいて僕は踊るように家まで走り帰った。走ってきた勢いそのままにドアを開け、玄関に飛び込んだ。台所で母さんが夕飯の準備をしていた。そして僕は
「ただいま」
もそこそこに、
「母さん!僕、進路決まったよ!」
満面の笑みでプリントを差し出すのだ。
☆END☆