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どうやら私は、ずっと好かれていたらしい

作者: くろめがね
掲載日:2026/02/01

このお話は、

泣かせるための恋愛ではありません。


ただ、

「好き」や「ありがとう」に

なかなか気づけなかった二人が、

ちゃんと恋をするだけの物語です。


重い話の合間に、

少しだけ肩の力を抜いて、

気楽に読んでいただけたら嬉しいです。


 恋愛って、もっと分かりやすいものだと思っていた。


 たとえば、毎日「好き」って言われるとか。手を繋がれるとか。目が合っただけで赤くなるとか。そういう、分かりやすい“イベント”が起きて、恋が始まるものだと。


 でも、私の恋は――たぶん、ずっと前から始まっていた。


 ただ、私が気づいていなかっただけで。


「おつかれ。これ、いつもの」


 退勤のタイミングがぴったり重なっただけで、彼――篠原しのはらさんは、当たり前みたいに紙袋を差し出してくる。


 中身は、駅前のカフェのシナモンロール。しかも、アイシング少なめのやつ。


「……え、なんで」


「今日、雨。冷えるでしょ。甘いの食べたら元気出る」


 元気、出るけど。というか、欲しいのはそこじゃなくて。


「私、元気ない顔してた?」


「ううん。いつも通り。……でも、元気ない日でも、甘いのは必要」


 言い方があまりに自然で、私は返す言葉を見失う。


 篠原さんは、同じ職場の一つ上の先輩だ。仕事が早くて、人当たりが柔らかくて、でも、変なところでまじめ。職場の人からは「良い人」として扱われていて、私もそう思っていた。


 そう、“良い人”。


 きっと誰にでも親切なんだろうな、って。


「ありがと……ございます」


 私は、いちいち丁寧語になる。距離を測るみたいに。


 篠原さんは、肩をすくめて笑う。


「丁寧すぎ。可愛いけど」


「……え?」


「ん? あ、今のは、独り言」


 独り言で「可愛い」って言う人、いる?


 その瞬間、心臓が一拍遅れて跳ねた。なのに私は、知らないふりをしてしまう。


 ――違う。私は“気づけないふり”が得意なんだ。


 だって、気づいたら、怖いから。


 もし勘違いだったら。もし私だけが舞い上がったら。もし私が、好かれてるなんて思って、恥ずかしいことになったら。


 私は、いろんな“もし”に守られて生きてる。


 守られてるせいで、何も受け取れないまま。



 篠原さんは、よく覚えている。


 私の苦手な電話対応のタイミングを、なぜか察して隣に座ること。資料の字が細かいとき、さりげなく照明の角度を変えること。私が忙しくなると、勝手にコピーを取っておいてくれること。


 そして、紙袋を差し出すこと。


「今日は、抹茶。昨日はシナモンだったから」


「……なんでそんなに把握してるんですか」


「好きだから。……じゃなくて、好み。好み、把握してるだけ」


 え、今、好きって言った?


 聞き返す前に、篠原さんはいつも通りの顔で歩き出す。私だけが、足元に小さな穴が開いたみたいにふらつく。


 こういうのが、何度も続く。


 ある日なんて、私が椅子の背に引っかけていたカーディガンが床に落ちたのを見つけて、黙って拾って、私の肩に掛けてくれた。


「寒いでしょ」


 そのとき、私は思った。


 ……これ、誰にでもやる?


 いや、やらない。


 でも私は、その疑問を喉の奥に押し込む。代わりに、へらっと笑った。


「篠原さんって、優しいですよね」


「優しいのは、君にだけだよ」


「……え?」


「……はい、独り言。独り言、得意なんで」


 いや、得意にならないでほしい。


 こっちは受け止め方を知らない。



 決定的だったのは、昼休みの会話だった。


「湯気、こっちに来てる。熱くない?」


 篠原さんが、私のカップスープの向きを少し変える。


「ありがとうございます」


「うん」


「……え、それだけ?」


「何が?」


「いや、……今の、ありがとうって言ったのに」


「言ったね」


「……普通、どういたしまして、とか」


 篠原さんは、少し考えるふりをしてから言った。


「“どういたしまして”って、なんか距離ある」


「距離……?」


「君が言う“ありがとうございます”は、ちゃんと受け取りたい。だから、うん、って言う」


 心臓が、また変な跳ね方をした。


 それは、優しさのふりをした告白みたいだった。いや、告白のふりをした優しさ? 分からない。分からないけど、胸が熱い。


「……篠原さん、たまに変なこと言いますよね」


「たまにじゃないよ。君の前だと、常に変」


「それ、なんでですか」


「えー……」


 篠原さんは、困ったように笑って、でも目を逸らさなかった。


「……君の前だと、ちゃんとしたくなるのに、逆に変になる」


 私は、その瞬間、何も言えなくなった。


 だって、そんなの。


 好きな人の前でしか起きないやつじゃない?



 その日の帰り道、私は同僚の美咲に捕まった。女子更衣室の前で、腕をがしっと掴まれる。


「ねえ、あんたさ」


「……なに」


「篠原さん、あんたのこと好きだよね?」


「え!? な、なに言って……」


「言ってない? じゃあ、私の目がおかしい? “あなただけに甘い”って空気、職場の空調より分かりやすいんだけど」


「……いや、でも、私、別に」


「別に? 別にって何? 別に好きじゃないの?」


 私は口を開いて、閉じた。


 好き。


 そう言ってしまえば簡単なのに、言葉にした瞬間に、世界が変わりそうで怖い。


「……私が、好かれるわけないし」


 出てきたのは、最悪の自信のなさだった。


 美咲は、真顔になって言う。


「それ、やめな。好かれるわけないって、相手の好きを否定するのと同じだよ」


 胸の奥が、ずきっと痛んだ。


 私は何度も、自分を守るために、誰かの好意を踏みにじってきたのかもしれない。



 翌日、篠原さんは、いつも通りだった。


 いつも通り、私のデスクに紙袋を置く。


「今日は、いちご」


「……なんで毎回、私の好きなものばっかり」


「だって、君が好きだから」


 今度は、独り言じゃなかった。


 私は、息を止めた。


「……今、言いましたよね」


「言った」


「……好きって」


「言った」


 篠原さんは、笑わなかった。ごまかさなかった。逃げなかった。


 私だけが、心の中で転んだ。派手に。


「……なんで、そんなに平然と言えるんですか」


「平然じゃないよ。すごい緊張してる」


「してるように見えない」


「見えないようにしてる」


「……なんで」


 篠原さんは、少しだけ息を吸って、言った。


「君が怖がると思ったから」


 その言葉が、優しすぎて、私は泣きそうになった。泣かないけど。今日は“涙なし”って決めたから。いや、決めたの私じゃないけど。


「……私、怖がってばっかりで」


「うん」


「受け取るの、下手で」


「うん」


「……ありがとうって言うのも、下手で」


「うん」


 篠原さんは、いつもみたいに、ちゃんと受け取るための「うん」をくれた。


 それが、怖さを少しだけ溶かした。


「……篠原さん」


「なに」


「私、……その紙袋、毎回、嬉しかったです」


「うん」


「……言うの、遅くなりました」


「うん。遅くても、言ってくれたら嬉しい」


 私は、喉の奥で、言葉を整える。


 好き、という言葉はまだ、熱すぎて持てない。でも、今言えることはある。


 私は深呼吸して、言った。


「ありがとうございます」


 篠原さんの表情が、ふっと柔らかくなる。


「どういたしまして、って言っていい?」


「……距離あるんじゃないんですか」


「今日は言いたい。……君に、ちゃんと“返す”」


「じゃあ……はい」


 篠原さんは、少しだけ照れた顔で、言った。


「どういたしまして」


 それから、ほんの少し間を置いて、続ける。


「好きだよ。君の、そういうところ全部」


 私は、顔が熱くなって、視線を逸らした。

 逸らした先に、紙袋の中のいちごドーナツが見えた。


 甘い香りがする。


 なんだか、世界まで甘くなったみたいだった。


「……篠原さんって、ずるい」


「どこが」


「優しいのに、ちゃんと攻める」


「攻めてない。やっと言っただけ」


「……じゃあ、私も、やっと言います」


 言葉を口にする直前、心臓がうるさい。


 でも、逃げない。今日は逃げない。


「……私も、好きです」


 篠原さんが、息を止めたみたいに固まって、それから笑った。


 ああ、この笑顔は。

 私がずっと見てきた“良い人”の笑顔じゃない。


 私に向けられた、好きの笑顔だ。


「……じゃあさ」


 篠原さんが、少しだけ距離を詰める。


「そのドーナツ、半分こしよう」


「え、そこ?」


「そこ。好きって言えたから、次は普通のことしたい」


「……普通のことって、半分こなんですか」


「うん。あと、手を繋ぐ」


「……普通じゃないです」


「君にとって、普通にしたい」


 その言い方が、反則だった。


 私は観念して、手を差し出した。


 指先が触れて、篠原さんの手が、当たり前みたいに私の手を包む。


 怖さが消えるわけじゃない。

 でも、“怖いままでもいい”と思えた。


 だって、受け取っていいって、今、分かったから。


「……ねえ、篠原さん」


「なに」


「これからは、ちゃんと言います」


「何を?」


「ありがとう、も。好き、も」


 篠原さんは、少しだけ眉を上げて、嬉しそうに言った。


「うん。待ってる」


 私は、手を繋いだまま、紙袋を揺らす。


「じゃあ、まず」


「うん」


「……今日も、いちごを選んでくれて、ありがとう」


「うん」


 その「うん」が、今まででいちばん甘かった。


 涙は出ない。

 でも胸の中が、幸せでだだ漏れだった。


 こういう恋も、あるんだな。

 王道って、やっぱり強い。


 私は、やっと知った。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


この物語は、

特別な事件も、劇的な別れもありません。


けれど、

日常の中に紛れてしまいがちな

「好意」や「大切にされている感覚」を、

すくい上げるように書きました。


もし読後に、

「この二人、好きだな」

「こういう恋もいいな」

と思っていただけたなら、

それ以上に嬉しいことはありません。

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