いらない子
産声が病室に響いた。
医師は深いため息をついた。
妊娠中、何度も説明した。てんかんの発作リスク、服薬による胎児への影響、そして何より育児の困難さ。母体の状態を考えれば、出産は推奨できない。
「先生の言うことわかってるよ。でも、産みたい〜」
彼女はそう言って、すべての忠告を退けた。
赤ん坊は小さかった。保育器の中で、か細い呼吸を繰り返している。
彼女は病室のベッドで、スマートフォンを見つめていた。画面には、きらびやかな夜の街で微笑む男性の写真。ホストクラブの宣伝ページだった。出産直後だというのに、彼女の関心は我が子ではなく、そこにあった。
───
アパートは荒れ果てていた。
赤ん坊の泣き声が響く。オムツは替えられず、ミルクの時間も不規則だった。彼女は昼間眠り、夜になると化粧をして出かけた。
「今日こそ、彼が私を見てくれるかもしれない」
そう言い残して、玄関のドアが閉まる。
残された赤ん坊は、誰にも抱かれることなく泣き続けた。隣人が何度か訪ねてきたが、彼女は居留守を使った。「大丈夫です」と書かれた張り紙が、ドアに貼られただけだった。
発作は時々起きた。倒れた彼女の横で、赤ん坊が泣いていた。目を覚ました彼女は、ぼんやりとした目で天井を見つめ、それから再びスマートフォンを手に取った。
────
子どもが一歳半になった頃、彼女は小型犬を飼い始めた。
「寂しいから」
そう言って、ペットショップから連れてきた茶色い子犬。最初の数日は可愛がっていた。しかしすぐに、犬への関心も薄れていった。
餌は不規則に与えられた。水入れは空のまま放置された。散歩には連れて行かれなかった。
犬は次第に痩せていった。毛並みは艶を失い、目は虚ろになっていった。ケージの中で、じっと動かなくなっていった。
子どもは、その様子を見ていた。言葉をまだうまく話せない年齢だったが、何かがおかしいことは感じていた。
ある朝、犬は動かなくなっていた。
彼女は面倒くさそうな手つきで、ゴミ袋に犬を詰め込んだ。子どもは、その光景を無言で見つめていた。
───
生活保護の支給日になると、彼女は街へ出た。
きらびやかなネオンの下、ホストクラブの扉をくぐる。
「いらっしゃいませ、姫」という声が響く。彼女の顔がほころぶ。
シャンパンタワー、プレゼント、指名料。支給されたお金は、一晩で消えていった。
「次はいつ来れる?」
ホストの問いかけに、彼女は笑顔で答えた。
「すぐに来ます。絶対に」
家に帰ると、子どもが床に座っていた。空腹で泣いていた。冷蔵庫は空だった。
彼女は、子どもを一瞥して、自分の部屋に入った。そして疲れた様子でベッドに倒れ込んだ。
───
福祉の介入で、子どもはなんとか保育園に通えるようになった。
保育士たちは、すぐに異変に気づいた。衣服は汚れ、爪は伸び放題。お弁当は持たされず、給食をがつがつと食べた。体には不自然なアザがあった。
「お母さん、最近体調はいかがですか」
面談で保育士が尋ねると、彼女は上の空で答えた。
「大丈夫です。ちゃんとやってます」
しかしその目は、また別のことを考えているようだった。スマートフォンの画面には、ホストからのメッセージ通知が光っていた。
子どもは、保育園で初めて温かい食事を、初めて優しい言葉をかけられた。そして初めて、自分が他の子どもたちと何か違うのだということを理解し始めた。
───
入学式の日、彼女は当然来なかった。
子どもは一人で校門をくぐった。ランドセルは近所の人が用意してくれたお下がりだった。
教室で、他の子どもたちは親と一緒に笑っていた。写真を撮る家族。手を繋ぐ親子。
子どもは、窓の外を見ていた。
それは劣等感、自尊心の低下。
そして、誰にも愛されない自己に対する現実逃避であった。
家に帰ると、彼女はソファで眠っていた。昨夜遅くまでホストクラブにいたのだろう。テーブルには、また督促状が山積みになっていた。
冷蔵庫を開けると、何もなかった。子どもは、給食で配られたパンを少しだけ残していたことを思い出した。それを取り出して、小さく噛んだ。
窓から見える夕暮れの空は、オレンジ色に染まっていた。
子どもは、ただ静かにその色を見つめていた。何も言わず、何も求めず。
そうすることしか、知らなかったから。




