第36話「デートの後。幸せの余韻」
「おかえり、セレナ。お出かけは楽しかったかい?」
玄関の灯りは暖かく、家の中にはほのかな紅茶の匂いが残っていた。
セレナの父――リチャードが、いつもの穏やかな声で出迎えてくれる。
「ただいま、お父さん。うん、とっても楽しかったわ」
セレナが嬉しそうに言うと、リチャードの目尻がふっと緩む。
その笑みは、娘の無事を確かめた安心と、心からの喜びが混ざったものだった。
「そうかい、それはよかったねセレナ。本当によかった」
言いながらリチャードは、セレナの顔をゆっくり眺める。
まるで――「その笑顔が見たかった」と言うみたいに。
セレナは「ふふ」と小さく笑って、靴を揃えた。
その後、湯気の立つ浴室で。
セレナは髪をまとめ、湯船へ沈む。
ぽちゃん、と水が揺れた。
肩まで浸かると、身体の奥の緊張がほどけていく。
頬が温まるのと同時に、今日の光景が次々に脳裏に浮かんだ。
「ジークくんといると本当に楽しい……。今日一日でこんなに仲良くなれるなんて思わなかったな……」
湯面を見つめながら呟く。
声は湯気に溶けて、ふわっと消えた。
セレナは少し目を細めて、微笑む。
「これからもずっと一緒にお出かけしたりできたらいいな……!」
――言い終えてから、気づく。
自分の声が、まるで恋する少女みたいだったことに。
「っ……!」
一気に顔が熱くなって、セレナは肩まで沈んだ。
ぱしゃ、とお湯が跳ねる。
「い、いや……! そんなんじゃないから! そ、そんなんじゃないのに……!」
湯気の向こうで、彼女の声だけがやけに響く。
「……ほんとにそんなんじゃないのかな……? ううん、この気持ちは、きっと……」
言葉の続きは、恥ずかしさに押し流されて、湯気の中に消えていった……。
一方、月が昇る夜道。
ジークは一人、街灯の下を歩いていた。
(ああ……今日は本当に楽しかったな……)
食事の香り。水族館の青い光。
セレナの笑い声。少し照れた横顔。
思い返すたび、口元が緩む。
「あぁ、セレナさん可愛かったぁ!」
つい声が出て、ジークは慌てて周囲を見回す。
夜道は静かで、遠くに犬の鳴き声が聞こえるだけ。
それでも恥ずかしさは止まらない。
「これはもう……俺、セレナさんのことが好きになったかもな……いや、かもじゃない。好きだぁ……!」
――言った。
言ってしまった。
「っ——!」
ジークは両手で口をふさぎ、顔を真っ赤にする。
(あぶねぇ……! 公共の場で何言ってんだ俺は……)
冷たい夜風が頬に当たって、ようやく少し冷静になる。
ジークは咳払いして、足早に家路を急いだ。
「ただいま~」
玄関に小さく響いた声に、すぐ奥から返事が返ってくる。
部屋の灯り。生活の匂い。
――帰ってきた、という安心感。
「おかえり、兄ちゃん。……その顔を見るに、初デートはうまく行ったようだな?」
「おかえりなさい、ジークさん。うんうん、顔がいい感じにとろけてますね♪」
ケインとアミが出迎えるなり、ニヤニヤとからかう。
ジークは照れくさくて、鼻の頭を掻きながら笑った。
「いやぁ、本当に楽しかったよ~! デートってこんな感じなんだなぁ」
ケインとアミは顔を見合わせて、揃って悪い笑みを作る。
「いやぁ、実に初々しいですねぇ♪」
「ホントにな! まるで中学生みたいじゃないか?」
「なんだよ! 2人してからかうなよ~」
そう言いながらも、ジークの表情はゆるゆるだった。
「いやぁ、だってなぁアミ? こんなに幸せそうな兄ちゃんを見るのはいつ以来かな?」
「そうだねぇ♪ 私たちが同棲をしてからはじめてかなぁ?」
「……え? 俺そんなに態度に出てる?」
2人は大きくうなずき、声を揃える。
「「出てました!」」
ジークは「うぐっ」と言いそうになって、でも結局笑ってしまうのだった……。
それからしばらく三人で談笑し、入浴を済ませ、ベッドに入るジーク。
布団の中は温かくて、心もまだ温かい。
寝る前に今日撮った写真を整理しようとスマホを見ると、セレナがアルバムを作成して、彼女が撮った写真を共有してくれていた。
「お、セレナさん写真アップしてくれたんだ! じゃあ俺も!」
ジークは自分が撮った写真、それから二人で並んで撮った自撮り写真をアップする。
画面の小さなサムネイルに、今日の時間がぎゅっと詰まっているみたいで、胸がくすぐったい。
するとすぐに、セレナからメッセージが届いた。
「2人とも写真たくさん撮ってたね。共有してくれてありがとう。今日は本当に楽しかったです。おやすみなさい、いい夢見てね♪」
ジークはにやけそうになるのを必死で抑えつつ、指先で丁寧に返信する。
「こちらこそありがとうございます! 楽しい1日をありがとうございました! セレナさんも素敵な夢を! おやすみなさい!」
送信。
スマホの灯りが、布団の中でふわっと消える。
ジークは目を閉じた。
「セレナさん……」
夢見心地でそう呟いて、彼はそのまま眠りについたのだった……。
翌朝。
スマホのアラームが、容赦なく鳴り響く。
「う~ん……」
ジークは伸びをして体を起こす。
寝ぼけたまま廊下へ出ると、すでに起きていたケインとアミが朝食の準備をしていた。
トーストの香り。湯気。食器の音。
「お、兄ちゃん起きたか。おはようさん」
「おはようございます、ジークさん」
ジークは目を擦りながら挨拶を返す。
正直、二度寝したい。
さっきまで――セレナと同棲している幸せな夢を見ていたのだ。
(もう少し……続きを……)
でも、二人の声を聞いた瞬間、頭が少しずつ現実へ戻っていく。
それでも眠気は残る。
ふらふらと洗面台へ向かい、顔を洗い、歯を磨き、髪を整える。
冷たい水が頬を叩いて、ようやく目が覚めた。
「よぅし! 目が覚めたぞ!」
「お、今日はいつもより元気そうだな兄ちゃん」
ジークは笑ってうなずく。
「おう!(二度寝して夢の続きを見るより、夢を実現するためにやれることをやろう!)」
心の中で拳を握る。
言葉にはしない。
でも、そのやる気は、顔に出てしまっていたらしい。
ケインとアミは嬉しそうに笑った。
「よし! じゃあ行って来る! 兄ちゃん、今日も頑張ってこいよ!」
「おう! ケイン、お前もな」
ジークは仕事に向かうケインを、アミと一緒に玄関まで見送る。
「行ってらっしゃ~い!」
扉が閉まる音がして、家の中は少し静かになる。
ジークとアミは顔を見合わせて、軽く笑った。
そしてそれぞれ、試験勉強と家事に精を出すのだった……。
時間が進み、軽めの夕食を終えたジークはバイト出社への準備を始める。
ユニフォーム、メモ帳、財布、鍵。
一つずつ確認しながら、気持ちを仕事モードへ切り替える。
「アミちゃん、じゃあ俺バイトに行って来るからね。ケインが帰ってくるまで1人になるけど、戸締りとか気をつけてね」
「はい! 行ってらっしゃい、ジークさん」
玄関の外へ出ると、空気が少し冷えていた。
ジークは深呼吸して、胸の中で小さく気合を入れる。
(よし。今日も一日、頑張るぞ)
そうしてジークは、夜の道へ踏み出すのだった……。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
次回も読んでいただけると嬉しいです。




