表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/36

第35話「セレナの親友の店で」

 レストランを出ると、夜の空気がふわりと頬を撫でた。

 昼間の熱が少しだけ落ち着いて、街灯の光が路面を柔らかく照らしている。

 窓から漏れる灯り、遠くの笑い声、食後の街のざわめき。

 それらが全部、“今日”の余韻みたいに心地よかった。


 二人は再び街中へ向かって歩き始める。

 さっきまでの写真の距離感が、まだ体に残っている気がして――ジークは少しだけ歩幅を調整した。


(……落ち着け、俺。落ち着け)

 そんな自分に言い聞かせつつ、ジークは横を歩くセレナへ尋ねる。


「これからどうしますか? 帰るなら駅まで送りますよ?」


 セレナは足を止めるほどではないけれど、ほんの少しだけ考える仕草をした。

 視線が上を向き、指先がそっと髪に触れる。

 それから、少しだけ照れたように――でも、ちゃんと聞こえる声で言った。


「ん~……。もう少しだけ一緒にいて欲しいな……なんて」


(っ——!)

 ジークの心臓が、また跳ねた。

 断れるわけがない。というか、断る選択肢など最初からない。


「いいですよ! じゃあどこかで飲み直しましょうか? 俺もセレナさんともう少し一緒に居たいですし!」

 勢いよく言い切ってから、ジークは少しだけ恥ずかしくなって咳払いをする。

 セレナはそんな様子にくすっと笑って、うなずいた。


「ありがと。じゃあ、おすすめのお店があるからそこに行こう?」

「いいですね! 行きましょう!」


 こうして二人は、二軒目へ向かうのだった。



 しばらく歩いたところで、セレナが嬉しそうに言う。

「ここはね~、私の親友がやってる居酒屋なの。お酒も料理も美味しいから、ジークくんも気に入ると思う!」

 そう話しながら、彼女は木の扉に手をかける。

 小さな提灯の灯り。

 店の看板には、手書き風の文字で――『月光』


 扉を開けると、ふわっと香ばしい匂いが流れ出た。

 醤油、揚げ物、炭火、そして――軽く混ざる酒の香り。

 こぢんまりした店内には、ほどよい温度の活気がある。


「こんばんは~!」

 セレナが元気よく挨拶すると、カウンターで作業していた女性が顔を上げた。


「お、セレナ! 久しぶり~! ……って……」

 その女性はセレナに気づいて笑った――次の瞬間。

 セレナの後ろから現れたジークを見て、口がぱくぱくと動く。


「セ、セレナ……あんた、ついに彼氏が……?」

「ち、ちが……あ、いや……嫌じゃないんだけどそうじゃなくて、彼はお店の後輩で……」


 セレナがしどろもどろになる。

 耳まで赤い。今日一番赤いかもしれない。


 ジークは慌てて一歩前に出て、頭を下げた。

「セレナさんと同じBARで働いてます、ジーク・ハワードといいます」


 女性はジークを興味深そうにじっと見て、にやっとした。


「ふぅん、セレナのお気に入りの子ってことね♪ はじめまして、アタシはセレナの親友で、この居酒屋『月光』を経営してるヒカリ・ルツキです! よろしく!」


 元気の塊みたいな自己紹介。

 ヒカリはそう言いながら、二人にカウンター席を促す。

 二人は並んで座り、生ビールを注文した。


 ほどなくしてジョッキが置かれる。

 泡がふわりと盛り上がり、金色が照明を映して揺れる。


「乾杯」

「乾杯」


 ジョッキが軽く触れ合い、澄んだ音が響いた。

 二人で飲むビールが、やけに美味しい。


 ヒカリはその様子を、微笑ましそうに眺めていた。


「それにしても、あのセレナがまさかボーイフレンドを連れて来るなんてねぇ……。さ、こいつはアタシの奢り。たくさん食べてね!」


 そう言うとヒカリは、おつまみをどんどん皿に盛って二人の前に置く。

 唐揚げ、枝豆、お刺身。

 湯気と磯の香りが、幸福そのものだ。


「ひ、ヒカリ!? こんなにサービスしてもらったら悪いよ……!?」

「いいのいいの! 気にしないで! ……いいところ見せてもらった礼よ!」

「ちょ、ちょっと……! もう……!」


 セレナが慌てる。

 ヒカリはくすくす笑いながら、二人を楽しそうに見つめた。

 初々しさに当てられているのは、ヒカリの方かもしれない。


 ビールとつまみが進むと、自然と会話も弾む。


「でね、その時のお父さんがね!」

「うん、昔から引っ込み思案で……。でも、お店に立つようになってから。特にジークくんと出会ってからは……」

「ジークくんは優しくて、面白くて、でも頼りになるよね……!」


 セレナが楽しそうに笑って話す。

 その笑顔を見て、ヒカリは嬉しそうに目を細めた。


(セレナ、そんなにたくさん笑うようになったんだね……いい顔してるよ)

 心からそう思っている顔だった。


「ちょっとお手洗いに行ってくるね」

「わかりました! ここで待ってますね!」


 セレナが席を離れる。

 残されたのはジークとヒカリ。

 ヒカリはセレナの後ろ姿を見送りながら、ぽつりと呟いた。


「あのセレナがねぇ……。ハワードくん、セレナがあんなに楽しそうに笑うなんて久しぶりなんだ。あなたのおかげね、ありがとう」

「えっ……い、いや……」

 ジークは照れくさくて頭を掻く。


 ヒカリは優しく微笑んで、続けた。

「セレナのこと……よろしくね?」

「……え?」

 ジークが意味を理解しきれない間に、ヒカリは静かに言葉を重ねる。


「あの子昔から引っ込み思案で、人付き合いが苦手な子でさ。10年前のあの事件があって、お母さんを亡くしてからはますます人と距離を取るようになって。こういうお酒の仕事ってさ、人間関係が大事でしょ? 愛想はいいし話はよく聞いてくれるんだけど、いつも誰にでも壁を作っていて……。でも……」

「でも……?」


 ヒカリはまた微笑む。

「今のセレナはあなたのおかげか、すごく生き生きとして見えるわ。あの子はきっともう大丈夫」

 その言葉が、ジークの胸にすとんと落ちた。

 ジークはまっすぐうなずく。

「はい! 俺もセレナさんの夢を応援したいです!」

「ふふ、ありがとうね」


 ヒカリは嬉しそうに笑って、さらに言う。

「それにしても、セレナが男の人を連れてくるなんてビックリよ。あの子、子供の頃から妙に真面目で将来の夢一筋だったから」


 ジークは意外そうに目を瞬かせる。


「セレナさん、モテるだろうに……」

「あの子、恋愛には奥手なのよ。それに仕事大好き人間だから、恋愛よりもバーテンダーとしての腕を磨くことに夢中なのよねぇ」


(だから反応があんなに初々しいのか……。いや、それは俺もなんだけどさ……)

 ジークは心の中でこっそりうなずく。


 ヒカリはぐいっと身を乗り出して、断言した。

「でも断言できる。あの子、今すごくときめいてるわ。親友のアタシにはわかるわ! ハワードくん、これからもセレナをよろしくね?」


 最後にウインク。

 ジークは返事が遅れそうになって、慌ててうなずいた。


 そんな会話をしていると、セレナが戻ってくる。

「あれ? 2人でなんの話してたの?」

 セレナが微笑むと、ジークとヒカリは顔を見合わせて笑う。


「な、なに? あ、もしかして私がいない間にジークくんに余計なこと言ったんじゃ……?」

「アハハ! そんなんじゃないわよ! 2人の仲の良さを話してただけ!」


 ヒカリは笑いながら言って、ジークの肩をぽんと叩いた。


「ハワードくん! 今日は飲んだらセレナを家まで送ってあげてね?」

「ちょ……!? ヒ、ヒカリ!?」


「だってもう夜も遅いじゃない? 最近は何かと物騒でしょ? だからハワードくんに送ってもらってね?」

 セレナは真っ赤になって、ジークを見る。


「も、もう! 2人で私をからかって……。ジークくんも何か言ってよ!」

 ジークは笑って、やさしく返した。

「あはは。じゃあ今日は俺が送っていきますね」

 セレナは少し不満そうに頬を膨らませた。

 ジークにはそれがまた可愛らしくてたまらなかった。



 それから二時間ほど飲んで食べて――。

「あ~美味しかったぁ! また来ようね!」

 セレナが言うと、ヒカリは嬉しそうに笑った。


「いつでもいらっしゃいな! 2人のデートならいつでも大歓迎よ!」

「もう! ヒカリったら……しつこい!」

 セレナは恥ずかしそうにしつつ、でもまんざらでもない顔だ。


 ジークは深々と頭を下げる。

「じゃあ、また来ます! ごちそうさまでした!」

「ええ! 待ってるわ!」



 二人は店を出る。

 夜風が少し冷たくて、頬の熱がちょうどよく冷める。


 そして、そのままセレナの家へ向かって歩き出した。


 道中、二人は今日の思い出を語り合う。

 笑って、少し黙って、また笑って。


「本当に送ってくれるの? なんだか悪いなぁ……」

 セレナが申し訳なさそうにジークを見る。


「気にしないでください! セレナさんが強いのは知ってますけど、俺が送りたいだけなので!」

 その返事に、セレナの口元が少しだけ上がる。


「あぁ……楽しかったなぁ」

 夢見心地の表情を浮かべるセレナ。

 仕事中の凛とした姿からは想像できない柔らかさに、ジークは思わず見惚れた。


「……ねえ、また一緒に出掛けてくれる?」

「もちろんです! むしろこちらからお願いしたいです!」

 セレナは嬉しそうに微笑む。


 二人はもう一度見つめ合って、隣を歩く。

 最初の頃は沈黙が怖くて、無理に話していた。

 でも今は違う。


 沈黙さえも、心地いい。

 やがて、セレナの家が見えてくる。


「あそこが私の家よ。……着いちゃった、ね」

「着いちゃいましたね」


 名残惜しさが、言葉の隙間に滲む。


「またすぐに会えるのに寂しいなんて、変な話よね」

 セレナは小さく笑って、ジークに向かって言った。


「今日は本当にありがとう! すごく楽しかった!」

 その笑顔があまりに綺麗で、ジークは一瞬、言葉が詰まった。


「こちらこそ、すごく楽しかったです! 今日はいつもと違うセレナさんをたくさん見られたし!」

「もう……! ジークくんったら……」


 照れて頬を染めるセレナ。

 その反応が可愛すぎて、ジークは思わず微笑んでしまう。


「私もね、いろんなジークくんの一面を見れてよかったです……。プレゼントにネックレスまでもらっちゃったし……。本当にありがとう」

 セレナは胸元のネックレスを指先でそっと触れて、嬉しそうに眺めた。



 ジークは名残惜しさを飲み込んで、笑顔で告げる。


「それじゃあ名残惜しいですけど、今日はこれで失礼しますね。また明日、お店で会いましょう。おやすみなさい、セレナさん」

 ジークが手を振って歩き出す。


「うん! ありがとう。おやすみなさい、ジークくん」


 二人は、互いの姿が見えなくなるまで手を振り続けた。

 そしてジークの姿が消えると、セレナはそっと家へ入っていく。


 夜道を帰りながら、ジークは胸の奥が温かいままなのを感じていた。


 静かな街灯の光が、足元を照らす。

 風が、少しだけ優しい。


 セレナの声。笑い方。恥ずかしそうな顔。

 料理の話。お酒の話。

 親友ヒカリの意味深な笑み。

 全部が、心の中でふわっと反芻される。


 ジークの足取りは、自然と軽くなっていた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます!

次回も読んでいただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ