第31話「声の温もりと、明日の約束」
ここまでお読みいただきありがとうございました!
次回も読んでいただけると、嬉しいです!
家についた二人は、いつもの流れに戻った。
アミは手早くエプロンをつけ、夕食の準備を始める。包丁がまな板を刻む音がリズムよく響き、鍋からはふわりと湯気が立った。
ジークは自室にこもり、机に向かって試験勉強。
紙をめくる音、ペン先のかすかな擦れ、そして時々、唸り声。
――そうして夜6時半頃。
玄関の鍵が回り、扉が開く。
「ただいま~」
「おかえり~♪」
ケインが帰宅し、三人で夕食を囲む。
湯気の立つ料理に、今日も一日の終わりがちゃんと形になる。
笑って、少し話して、食器を片付けて――家の中に夜の落ち着きが広がっていく。
そして夕食後。
ジークは自室に戻り、スマホを手にした。
最初は、ほんの軽いやり取りだった。
「お疲れさま」「今日はどうだった?」
朝のこと、今日のこと。短いメッセージがポンポンと行き来する。
画面の向こうのセレナの言葉は、いつも丁寧で、少しだけ柔らかい。
それを読むたび、ジークの頬が勝手に緩む。
(……声、聴きたいな)
ジークは、勢いで送ってしまった。
『セレナさんの声、聴きたいです』
送信した瞬間、(うわ、言っちゃった……!)と布団に顔を埋めたくなる。
なのに――ほぼ同時にスマホが震えた。
『私も、ジークくんの声が聴きたいです』
「……っ!」
胸が跳ねた。
心臓が“ドクン”じゃない。“ドドドド”って感じでうるさかった。
ジークは息を整える暇もなく、通話ボタンを押してしまう。
コール音が一回、二回――。
「もしもし……?」
耳元に届いた声は、想像よりもずっと近くて、いつものようにあたたかかった。
「あ、もしもし! セ、セレナさん!」
「ふふ……同じタイミングで『声が聴きたい』って言うなんて」
「ほんと……俺もびっくりしました」
二人の笑い声が、夜の静けさに溶ける。
声だけなのに、距離が縮む。
不思議なくらい、“二人だけ”の空間になる。
それからは、今日あったこと、些細なこと、どうでもいいこと。
お互いの声の温度を確かめるみたいに、ぽつぽつ話して――気づけば時間がゆっくり流れていた。
「ふふ、声だけっていうのも悪くないかも……」
セレナが、少し恥ずかしそうに言う。
「ジークくんの声だけが耳元で聴こえるって、何だか不思議な感じだけど……二人だけの時間って感じで……」
「た、たしかに……」
ジークの喉が鳴る。
「セレナさんの素敵な声が耳元で聴こえるのって、なんかこう……ドキドキしますね」
「も、もぉ……!」
電話の向こうで、セレナが慌てたように声を上げる。
「ジークくんがおかしなこと言うから、私まで恥ずかしくなってきちゃったじゃない!」
「そ、そんなこと言われても……! そ、それに最初に言いだしたのはセレナさんですよ!」
「うっ……!」
二人とも、たぶん顔は真っ赤だ。
声が少し裏返って、息が詰まって――そのまま、どちらからともなく笑い出した。
笑って、落ち着いて、またとりとめのない話を続ける。
“そろそろ切らなきゃ”と分かっているのに、切りたくない時間。
そして、ジークは――意を決した。
「あ、あのセレナさん!」
声が少し震える。
「こ、今度一緒に、か、買い物とか水族館とか行きませんか!? い、一緒にお出かけしたいです! セレナさんと!」
……電話の向こうで、小さく息を呑む音がした。
「え? あ……えっと……」
一瞬の間が、永遠みたいに長く感じる。
「うん。いいね」
柔らかい声。
それだけで、ジークの胸が弾けそうになる。
そして、セレナはさらに小さく付け足した。
「わ、私もジークくんとお出かけしたい、です」
(な……なんだこれ……!? めちゃくちゃ緊張するぞ……!)
ジークは落ち着こうとするのに、逆に心臓が暴れ出す。
「い、いつがいいでしょうか? やっぱりお店が休みの日がいいですよね?」
「は、はい。直近の休みだと……明日?」
セレナが慌てて予定表を確認する気配。
直近だと、明日もお店は休みだ。
セレナは(急すぎるかな)と思ったらしいのか、他の日付も探すように日付を挙げていく。
けれどジークは、急かさないように落ち着いた声で返した。
「明日もお休みですもんね! 俺は明日でも大丈夫ですよ! セレナさんが大丈夫なら、明日にしませんか?」
その優しさに、電話の向こうのセレナはニッコリ微笑んだのが“声”で分かった。
「それじゃあ明日にしましょう。うん、明日が楽しみになっちゃいました」
「はい! 俺もです!」
時間や待ち合わせ場所は、続きはメッセージで。
――こうして明日、二人はお出かけすることになったのだった。
通話が終わったあと。
(やったぁぁぁああああ!!)
ジークは布団に倒れ込み、ひとりでガッツポーズを繰り返す。
(やった! やったぞ俺っ!)
「こ、これって……デ、デートだよな!? セ、セレナさんと、デート! だよなっ!?」
顔を枕に押し付けて悶えるジーク。
しかし、ふと“現実”が追いかけてくる。
「せっかくだからできるだけ、カッコよくしていかないとな!」
勢いよく起き上がり、鏡の前へ。
髪に触れると、もっさりとした天然パーマ気味のアフロが、ふさふさと踊る。
「今から美容院ってまだ間に合うかな? 明日の服も選らなばないと!」
ドタドタドタ!
階段を降り、リビングへ突撃する。
「ケイン、アミちゃん! お、俺明日バイト先の先輩とお出かけすることになった!」
突然の報告に、ケインもアミも目を丸くする。
「え? お、おうそうか……。良かったな……」
「わぁ! おめでとうございます、ジークさん!」
二人ともちゃんと喜んでくれるのが、なおさら恥ずかしい。
「というわけで俺は今から美容院に行って来る! 遅くなるかもしれないから、寝ててくれよな!」
ジークは勢いのまま家を飛び出した。
玄関の向こうへ消えていく背中を、ケインとアミは見送る。
不思議そうに――でも、どこか“察した顔”で。
そして顔を見合わせて笑い合うのだった。
一方、その頃のセレナ。
「ふふ……ジークくんの声聴けて良かった。それに……」
呟いた瞬間、頬が熱くなる。
明日は――ジークとお出かけ。
いつもの休日なら、カクテルの研究で一日が終わるはずだった。
それが突然、“大イベント”に変わった。
「ふふ、明日はどんな服着ていこう」
クローゼットを開け、服を取り出しては鏡の前へ。
首元を合わせてみたり、髪をまとめてみたり。
自分でも分かるくらい、浮かれている。
「ジークくんはどんな服装が好みなのかな……?」
ウキウキしながら選んで、また鏡。
また選んで、また鏡。
その様子を、リビングから見ていた父――リチャードは、何も聞かずとも察した。
娘がこんなに楽しそうに身支度を悩む理由なんて、ひとつしかない。
リチャードは、そっと微笑む。
(……良かったな、セレナ)
その笑みは、静かで、やさしくて、嬉しさに満ちていた。




