表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/34

第29話「二人の夜 事件のあとの乾杯」

「さて、ジークくん。お店の片付けもほとんど終わったし……ちょっと飲みながらお話しませんか?」


 騒ぎの余韻が残る店内は、いつもより静かだった。

 割れたものはない。大きく崩れたところもない。――けれど、床を拭いた布巾の水の匂いと、外から入り込んだ夜気が混じって、どこか“戦いの後”みたいな空気がある。


 セレナはカウンター席に腰を下ろす。

 木目の天板に指先をそっと置き、深呼吸をひとつ。

 その横顔は疲れているはずなのに、不思議と落ち着いて見えた。


「あ、はい! おじゃまします!」

 ジークはそう答えると、彼女の隣……ではなく、ひとつ席を空けて腰を下ろした。

 背筋は妙にまっすぐ。手は膝の上で、やや落ち着きがない。


 セレナがクスリと笑う。

「ジークくん、どうして1つ空けて座るの?」


 照明のあたたかな光が、セレナの瞳をやさしく反射させる。

 覗き込むような視線に、ジークは一瞬、息を飲んだ。


「い、いや……その……なんか緊張して……」

「……ふふ、変なジークくん」


 そう言って、セレナは可笑しそうに笑う。

 ジークはその笑顔を、(可愛いな……)と思いながら見つめてしまい、慌てて視線をグラス置き場へ逃がした。



「さて、どんなお酒が飲みたいですか? 今日は私がおごりますよ?」

 セレナは身を乗り出し、ジークの顔を覗き込む。

 距離が近い。近すぎる。

 ジークの心臓が、ドクン、と勝手に音を立てた。


「あ、ありがとうございます! それじゃ……セレナさんにお任せしてもいいですか?」

 照れたように言うと、セレナは小さくうなずき、楽しげに微笑んだ。


「ふふ、わかりました。……あ、そうだ。お腹は空いてない? 何か作りましょうか?」


「えぇ!? いいんですか!?」

 ジークが思わず立ち上がる。目がキラッと輝く。

 ――が、すぐに我に返ったように、慌てて座り直す。


「……あ、いや、でもセレナさんにお手間を取らせるわけには……」


 その言葉を、セレナがやさしく切る。

「いいの。私がおもてなししたいんですもの」


 その一言が、妙にあたたかくて。

 ジークはふっと肩の力を抜き、照れた笑顔で答えた。

「……じゃ、じゃあお願いします」

 セレナはニッコリ笑ってうなずくと、まずはジーク用のカクテルを作り始めた。


「はい、料理ができるまでこちらをどうぞ」

 セレナは、白ワインの香りを逃がさないように丁寧にグラスを置く。


「白ワインをベースにした“キール”というカクテルです。食前酒としてよく飲まれるカクテルなんですよ」


「あ、ありがとうございます! ……うぉ!? うまい!!」

 ひと口で、思わず声が出る。

 白ワインの軽さと、甘みの余韻。ふわっと立つ香りが、疲れた頭をやわらかく解く。


 セレナは嬉しそうに笑い、すぐに料理へ取りかかった。

 キッチン側から、包丁がまな板を打つ音。鍋に火が入る小さな音。

 2人きりの店内に、その生活音だけが静かに流れていく。


「このお酒、キールのカクテル言葉ってどういう意味なんですか?」


 ジークがグラスをくるりと回しながら尋ねると、セレナは手を止め、いたずらっぽく微笑んだ。

「それは……内緒です、ふふ」

「えぇ、そんなぁ」

 少しだけしょんぼりするジーク。


 セレナはクスクス笑い、鍋の火を調整しながら言う。

「ふふ、家に戻ってからでも調べてみてくださいね」

 その優しい声に、ジークは(やられた……)と思いつつ、頬を掻いた。



「ちょっとはりきって作り過ぎちゃったかも……。多かったら無理しないで?」

 セレナが、指折り数えながら料理名を並べていく。


「クラムチャウダーと、野菜のグリル、シーザーサラダに、ガーリックトースト、それに……このお肉料理は……」

「あ! “ローストビーフ”ですね?」

「正解です! さぁ、冷めないうちにどうぞ召し上がれ!」


 2人はカウンターに料理を並べ、席に着く。

 そしてグラスを合わせる。


「乾杯!」

 白ワインをひと口。

 その瞬間、ようやく“今夜が終わった”と身体が理解した気がした。


「うーん! このガーリックトースト、めっちゃうまいですよ! あ、サラダも最高です!」

 ジークは次々と手を伸ばす。

「ふふ、ありがとう。クラムチャウダーはね、自信作なの」


 その言葉に、ジークがスプーンで一口すくい――目を輝かせた。


「うまぁい! セレナさん、美味しいです! 疲れた体に沁みます!」

 さらにローストビーフへ。

 ソースを絡めて口に運ぶと、思わず声が漏れる。

「このローストビーフもめちゃくちゃうまいです! ソースがすごく合いますね」


 嬉しそうに食べるジークを見て、セレナもニコニコしながら自分も箸を進める。

 誰かと食べる“美味しい”って、こういうことなのだと顔が言っていた。


「セレナさんの手料理とお酒をごちそうになれるなんて……本当に幸せです」

 あらためて礼を言うジークに、セレナは柔らかく笑う。

「ふふ、喜んでもらえてよかったわ」



 その後も、他愛もない話をしながら料理とお酒を楽しんだ。


「セレナさん、そ、その……」

 ジークが口ごもる。

「ん? どうしたの?」

 セレナが首を傾げる。


「その……お、おかわりお願いしてもいいですか!? セレナさんの料理、全部美味しくて! その分のお金はちゃんと払いますから!」

 ジークは勢いよく頭を下げる。

 セレナは一瞬驚いて――すぐに、嬉しさが顔にあふれた。

「まぁ! もちろんです! 今日は私のおごりなので、どんどん食べてください」


 それから、少しだけ目を細めて、いたずらっぽく付け足す。

「あ、でもあんまり飲み過ぎて酔っ払わないでくださいね?」


 ジークは大きくうなずいた。

「はいっ!」


「美味いなぁ! う~ん、セレナさん料理上手すぎです!」

 新しく出された料理を、満面の笑みで頬張るジーク。


(こんなに嬉しそうに食べてくれるなんて、作り甲斐があるなぁ……)

 セレナも嬉しくなって、自然と頬が緩む。

 その視線に気付いたジークがふと顔を上げると――彼女が嬉しそうに自分を見つめていた。


 ドクン。

 心臓が跳ねた。

(セレナさん……)


 見惚れてしまって、慌てて食べるジーク。

 セレナはそれを見てクスクス笑う。

 楽しい夜は、まだまだ続いた。



「ごちそうさまでした!」

「はい、お粗末様です」

 セレナが皿を片付け始める。


「あ! 洗い物は俺がやりますよ!」

 それを見たジークが立ち上がるが、セレナは首を横に振った。

「いいのいいの! 今日は私が全部やります。ジークくん今日はお客さんなんだから、座ってゆっくりしてて?」

 鼻歌交じりに洗い物を始めるセレナ。

 水の音がやさしく店内に広がる。


 ……と、その横にジークが立った。

 セレナが洗った食器を、布巾で丁寧に拭き始める。

「あ、ありがとう……ジークくん」

 少し驚いた声。

 ジークは笑顔で返す。


「いえいえ、こちらこそご馳走様でした! あんなにご馳走になったんだし、これくらいやらせてください! 俺、セレナさんの作る料理大好きです!」

 真っ直ぐな言葉。真っ直ぐな笑顔。


 セレナの胸が、じんわり熱くなる。

「う、うん……喜んでもらえてよかったです」

 彼女は少し照れたように言い、言葉の終わりは小さくなる。


「このお店に立つようになってから料理を提供するんですけど……あんなに美味しそうに私の料理をたくさん食べてくれたのは、ジークくんがはじめて……」

 ジークは手を止めず、でも心は少し止まった。

 嬉しさが胸の奥で膨らむ。


「ジークくんが食べたければ、また時々こうやって仕事終わりに作りますよ?」

「ほ、ほんとですか!? 食べたいっ! また食べたいです!」

 食い気味の返事に、セレナは思わずクスクス笑う。

「ふふ、そんなに喜んでもらえるなら、私も作り甲斐があります」

 そう言って、ニッコリ微笑んだ。



 しばらく雑談を楽しみ、片付けも終えた2人は並んで店を出た。

 朝露の混じった風が頬を撫で、陽ざしと共に眠りにつきそうな街灯の光が細い影を地面に伸ばす。


「今日は本当にありがとうございました」

「ううん、こちらこそありがとうね、ジークくん」

 セレナは笑顔で応える。

「それじゃ、またね」

 そう言って家の方向へ歩き出すセレナ。


 その背中を見送りかけたジークは――意を決して声をかけた。


「あ、あの!」

 心臓がうるさい。

 それでも勇気出して続けた。

「や、休みの日でもメ、メッセージとか送っていいでしょうか? 俺、もっとセレナさんといろいろ話したくて!」


 2人は見つめ合う。

 セレナは一瞬驚いたように目を丸くして――すぐに、照れたように笑った。

「う、うん……。うん! もちろん!」


 そして、少しだけ声を明るくして言う。

「私ももっとジークくんとお話がしたいです!」

 2人はしばらく見つめ合い――どちらともなく笑い出した。


(よかった……)

 ジークはホッと息を吐く。


「それじゃまたね、ジークくん。ゆっくり休んでね」

「はい! セレナさんも」


 手を振り合い、別々の道へ。

 ジークはセレナの姿が見えなくなるまで見送ってから、家へ向かって歩き出した。


「今日は大変なことがあったけど……最後は本当に楽しかったなぁ……」

 足取りが、心なしか軽い。

 セレナの作ってくれたカクテル、美味しい料理の数々。

 楽しそうな声、笑顔、仕草――それが胸の中で何度も再生される。


「また、一緒にセレナさんの作るお酒を飲みながら、料理食べたいな……」

 独り言がまだ薄暗い空に溶けていく。

 ジークは満足そうに微笑みながら、静かな街を帰っていくのだった。

ここまでお読みいただきありがとうございました!

次回も読んでいただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ