第27話「ジーク・ハワード」
セレナの店を飛び出したジークは、夜の街を駆けていた。
石畳が冷たく、街灯の光が不規則に足元を切り取る。湿った風が頬を撫で、遠くで誰かの笑い声が消えていく。
(くそ……あいつら、どこ行きやがった?)
呼吸が荒くなる。肺が熱い。
それでも目だけは冴えていた。角を曲がるたびに、闇の中の“動く影”を探す。
――と。
少し先、路地の向こうにふたつの人影がちらりと見えた。
「いた! あ! おい、まて!」
ジークは速度を上げる。靴裏が石を叩く音が、夜にやけに大きく響いた。
見失うまいと、影が消えた曲がり角へ飛び込み――勢いのまま曲がる。
その瞬間、視界が開けた。
「――っ」
そこにいたのは、たった二人じゃない。
銃、剣、ナイフ、金棒――雑多な武器を手にしたならず者たちが、路地を塞ぐように並び、背後には四足歩行のモンスターや、異形のモンスターがうごめいていた。
生臭い吐息。爪が石をひっかく音。唸り声。
そしてその奥、守られるように立つのは――ムーフィン。
「ムッフフフフフ! 追って来るとは思っていましたが、本当におバカさんですねぇ?」
ムーフィンは勝ち誇ったように、腹の底から笑う。
「あなたをここに誘い込むために、わざと逃げだしたのだと気付きませんでしたかぁ? ムーフッフッフッ!」
ならず者たちも大勢の仲間がいることで気が大きくなったのか、口々に囃し立てて笑い出す。
武器が揺れ、モンスターが興奮したように地面を蹴った。
けれど――ジークは、まるで怯まない。
むしろ、口の端をつり上げた。
「気付いてたぜ?」
静かな声。だが、芯がある。
「いや、むしろ感謝してるんだ。セレナさんとマスターの大事な店を血で汚すのは嫌だしな」
その言葉にムーフィンは鼻を鳴らし、肩をすくめる。
「ムッフフ、強がりを……。まあ良いでしょう。では、そろそろ始めましょうかねぇ」
ムーフィンが指先で合図を送ると、部下たちが一斉に構えた。
銃口が向き、刃が光り、金棒が風を切る。
「さあ、この人数相手にどう戦うつもりですか? ムフフフフ!」
嘲笑の中、ジークは一歩前へ出て――淡々と告げる。
「“一般市民は、私的な戦闘を禁ずる。ただし、不当な事由により自らの生命に危険が生じた時、これを可とする”ってな!」
そして、深く息を吸う。
「よっしゃ~、いくぜ!」
その一言が合図だった。
夜の路地に、戦闘の火蓋が落ちる。
そして……。
「な、なんだというのです……。あなたは、ただの市民のはず……」
ムーフィンの声が、うわずっていた。
ジークは部下の一人から奪った剣を右手に握り、左手にはその場その場で奪い取った武器を“使い分ける”。
無駄がない。迷いがない。まるで最初から、こうなると分かっていたみたいに。
銃弾が飛ぶ――が、ジークは剣先で弾き、軌道を逸らす。
金棒が振り下ろされる――が、それすら利用して相手同士を崩し、同士討ちを誘う。
「ぐっ……!」
「う、うわぁ!」
ならず者の列が、みるみる瓦解していく。
モンスターたちも、飛びかかった瞬間に斬り伏せられ、唸り声が途切れていった。
「バ、バカな……たかがBARのアルバイトごときが、なぜこんなに戦闘慣れしているのです……それに、この動きはまるで……」
ムーフィンの目が泳ぐ。
世界政府の兵士すら上回る身体能力。――どこか、“人の域を外れた”動き。
「おりゃあ!」
ジークの一撃が、また一人を無力化する。
全員が致命傷を避けられている――動けなくなるように、急所を外し、戦闘不能にされている。
(このままではマズい……)
ムーフィンが焦り、周囲を見回す。
そして、何かを見つけたのか――口元を歪めて笑った。
あっという間だった。
ムーフィンの部下は壊滅。モンスターも残らない。
ジークは剣を手に、残ったムーフィンへ向き直る。
夜風が吹き抜け、倒れた者たちのうめき声だけが路地に残る。
「ムフ……ムフフフフフ!」
突然、ムーフィンが笑い出した。
「ムッフッフ! いやぁ、お強いですねお兄さん。あなたがこれほどの強さを持っているとは思いませんでしたよ」
そして、さらに続ける。
「……ですが、これではどうですぅ?」
ムーフィンは近くにいた若い女性を乱暴に引き寄せる。
手にした鞭が、彼女をの自由を奪っている。
またしても人質を用意していたのだ。
女性の肩がびくりと跳ね、目に涙が浮かぶ。状況が理解できないまま、唇を震わせている。
「ムフフフ! また卑怯だと仰いますかなぁ? しかしこれで手が出せないでしょうねぇ!?」
ムーフィンが銃口をちらつかせる。
「あなたは素早いですが、私が彼女を撃ち抜く方が速いと思いますよぉ?」
追い詰められた者が、最後に縋る手段。
またしても、無関係な命を盾にする――卑劣な選択。
女性は涙をこぼしながら、“どうして自分がこんな目に、何もしていないのに”と訴えるように首を振る。
……本来なら、ここでジークはいつものように挑発を返すはずだった。
相手の隙を作るため、あえて動揺を誘うために。
だが――その瞬間。
ジークの脳裏に、別の光景が叩きつけられる。
十年前。
燃える町。泣き叫ぶ声。命乞い。
弱い者が盾にされ、奪われ、踏みつけられていく光景。
――胸の奥底に眠っていた怒りが、音を立てて目を覚ます。
ムーフィンのやり方は、あの日と同じだ。
“許せない”という感情が、全身の血を熱くする。
「ムーフィン……」
ジークの声が低くなる。
「お前はもう、生かしておくわけにはいかない」
ゆっくりと、歩き出す。
「な!? こ、来ないでください! この女性を撃ちますよ!?」
ムーフィンは慌てて銃を構え直す。
だが――ジークは止まらない。
「う、撃つぞ!」
警告。脅し。
それでも、ジークの足取りは変わらない。
そして次の瞬間。
視界からジークが消えた……と、同時に目と鼻の先に彼の顔があった。
怒りを通り越した、憎しみに満ちた表情。
それに怯えるよりも先に違和感が彼を襲った。
ムーフィンは、自分の腕の感覚が“消えた”ことに気付いたのだ。
「……え?」
視線を向ける。
銃を持っていた左腕が、宙を舞っている。
遅れて、鋭い焼けつくような痛みが襲いかかり、ムーフィンの喉が潰れたような声を漏らす。
「な……っ、あ、あ……!」
何が起こったのか分からない。
ただ、目の前にいるジークの瞳が――氷のように冷たいことだけが分かる。
「お、お前! や、やめ……ごはっ!」
ジークは剣を捨て、ムーフィンに馬乗りになる。
ムーフィンの顔から血の気が引いた。
すぐにジークの拳がムーフィンの顔に迫った。
「ゆ、許して……」
懇願。
だが、その声はジークの耳には届かない。
拳が振り下ろされる。
殴る。殴る。何度も。
弱い者を虐げ、搾取する者への憎悪が、堰を切って溢れ出す。
十年前の記憶に触発されて発露した怒りが、ムーフィンの顔面へぶつけられていく。
「た、たす……たすけ……」
ムーフィンは虫の息になっても、拳は止まらない。
怒りに支配され、思考が焼き切れたように――ただ、殴り続ける。
(こんな……やつら……! こんなやつら!!)
「ジークくんもういい! もうやめて!」
悲痛な叫び声と同時に、背中から温もりが抱き締めてきた。
ぎゅっと。
強く。必死に。
その声と体温が、凍りついた心にひび割れを入れる。
ジークの腕から力が抜け、膝が崩れそうになる。
「もういい……。もういいから……」
ジークを引き戻したのは――セレナだった。
彼女は警察とアーミー課の兵士に通報した後、ジークを追って来ていた。
遠くから見たジークは、圧倒的で、頼もしくて――それでも、ムーフィンを追い詰めた瞬間に“別人”になった。
恐怖が走った。
だから、体が勝手に動いた。
彼をこれ以上、遠くに行かせないために。
「はぁ……はぁ……セ、セレナ……さん……」
ジークは、セレナの腕の中で、息を震わせながらゆっくりと振り返る。
「大丈夫。もう大丈夫だから、ね」
優しく微笑むセレナがいた。
夜の闇の中で、その笑顔だけが灯りみたいに見える。
「セレナ……さん……俺……」
震える声。
セレナは答えず、さらにぎゅっと強く抱きしめた。
その温もりに触れて、ジークの呼吸が少しずつ整っていく。
拳に残っていた熱が冷め、視界が戻り、世界が“今”へと繋がり直す。
ジークは、ゆっくりと――落ち着きを取り戻していくのだった。
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