第26話「ジークとセレナの共同戦線」
ムーフィンは、ゆっくりとセレナの目の前に立った。
店の照明が、やけに眩しく見える。グラスの並ぶ棚が、今は“割れ物だらけの檻”みたいだった。
「さあ! 脱ぎなさい!!」
命令口調が、カウンターの木板にまで染み込むみたいに響く。
ムーフィンは下卑た笑みを浮かべ、興奮したように鼻息を荒くしていた。
「……くっ……」
セレナは歯を食いしばり、睨み返す。
怒りと悔しさ――それでも、今は動けない。
リチャードに向けられた銃口が、彼女の足を縫い止めていた。
「や……やめろぉ!」
ジークが叫んで駆け出す。
だが、すぐに部下たちの腕が絡みつき、乱暴に取り押さえられた。
「ムッフ! おおっと? それ以上動くとマスターの頭が吹っ飛びますよぉ~?」
ムーフィンは軽く肩をすくめるように銃を構える。
その黒い金属が視界に入った瞬間、ジークの身体は本能的に止まった。
(くっそぉ……!)
悔しさで奥歯が軋む。握った拳が震えた。
「さあ! 早くしなさい。それとも無理矢理がお好みですか?」
ムーフィンが煽ると、周囲の部下たちは下品な笑い声を上げ、冷やかすような口笛まで鳴らした。
店の空気が、ぐちゃりと汚されていく感じがする。
セレナは、そんな連中を一睨みして黙らせると――次に、リチャードへ視線を向けた。
ほんの一瞬。目が合う。
2人は、静かにうなずき合う。
「セレナ、私やこのお店のことは構わない」
リチャードは、優しく微笑んで言った。
その笑顔が、逆に胸を締めつける。――“覚悟”の笑みだった。
「……お父さん……」
セレナも寂しげに笑みを返し、小さく呟く。
そして、ゆっくりと自分の服に手をかけた。
その様子にムーフィンは、たまらないといった様子で息を荒くする。
セレナは手を動かしながらも、視線だけは鋭く周囲を測っていた。
一瞬の隙。距離。銃口の向き。床の滑り。椅子の位置。
(お酒や道具もだけど、お店もただじゃすまないかもしれない……。だけどこの状況を打開するなら、あれしかない……)
「ほほぉ~、胸といい腰といい、セレナちゃんは綺麗なボディラインをしていますねぇ。ムッフフ」
勝利を確信しているのか、ムーフィンの視線はいやらしく、警戒が薄い。
“もう逃げられない”と決めつけている顔。
セレナは動きを止めない。
淡々と、必要な手順を踏むように――ボタンを外していく。
(お父さん、ジークくん……ごめんなさい)
セレナがジークを見ると、彼は悔しそうにこちらを見つめ返していた。
助けたいのに動けない。焦りと怒りが顔に出ている。
「ムフ! ……さあ! もうひと押しですよ、お嬢さん!」
興奮が抑えられないムーフィンが催促する。
店の空気が、ぎりぎりで張り詰めた――その瞬間。
突然、堪えきれないような笑い声が響いた。
「ジーク……くん?」
笑っている。
つい一瞬前まで、焦っていたジークが。
「なにがおかしいのです? ……あぁ、あなたも早く見たくてたまらないのですねぇ? そう興奮せずとももうすぐに……ムッフフ!」
ムーフィンがねっとりと言う。
だがジークは、笑いを噛み殺しながら、顔を上げた。
「いちいち人質取らないと、市民にすら勝てねぇんだなあんたら。はは、昨日もだし、今だってマスターを人質に取らなきゃ一方的に負けてったってことだよな? ダサすぎて腹いてぇ!」
空気が凍る。
部下たちの笑いが、ぴたりと止まった。
「なにを言い出すのです? そんな強がりを言っていられるのも今のうちですよぉ~?」
ムーフィンは一瞬だけうろたえたようだが、すぐに余裕を取り戻したようにセレナへ視線を戻す。
「さぁ脱ぐのです! お父上を殺されたくなければねぇ?」
――が。
「さぁ脱ぐのです、ってよくそんな恥ずかしいセリフを言えるよなぁ。はは、笑える」
ジークの追撃に、ムーフィンの顔がみるみる赤くなる。
「き、貴様! この私をバカにしているのですか!?」
「してるよぉ? だって実際そうだろ」
ジークは平然と返し、さらに言葉を重ねた。
「そういや昨日やられた右腕はもう治ったのかい? エロオヤジ」
ムーフィンの眉がピクリと跳ねた。
昨日――オラクル・ナイツに貫かれた傷。忘れようにも忘れられない屈辱。
「貴様……昨日あの広場に……いや、お前は!?」
「そう! 俺の名前はジーク・ハワード。昨日は弟のケインと遊んでくれてたよな?」
その名前に、ムーフィンの目がギラつく。
ケインに部下を蹴散らされ、彼の粘りのせいで切り札の“人質”すら崩された。
自分の“計画”を潰した憎い相手。
「そうですか……。たしかにケイン・ハワードは貴様のことを兄と呼んでいましたねぇ……。ヤツのせいで私の思惑はことごとく外れたわけですよ。あなたの弟のせいでね!!」
怒りが、顔面から噴き出す勢いだ。
「そもそもさ、あの時も人質取ってたな。正攻法じゃ勝てないってことの三重証明だ」
ジークは鼻で笑う。
その一言が、ムーフィンの理性を完全に焼き切った。
「き、貴様……! もう許さん!」
部下たちも、銃口はリチャードに向けたまま――意識はジークへ向いている。
怒りの矛先が、見事に誘導されていた。
「殺せ! その男を殺せ!」
ムーフィンが叫ぶ。
その瞬間、ジークの口元がニヤリと歪む。
(今だ!)
ジークは、ほんの一瞬だけセレナへ視線を送った。
言葉はいらない。合図だけで十分。
「はあぁ!!」
セレナが掛け声とともに一気に駆け出す。
同時に、彼女の身体から“ふわり”と小さな風のようなものが弾けた。
足音が、消える。
距離が、一気に縮む。
「ぐあ!」
「うげっ!」
銃を向けていた部下たちが、次々と崩れ落ちる。
セレナの体術は、迷いがない。――狙いは“銃を持つ手”と“体勢”だけ。
「な!? 動くな! お父上を撃ち殺し……」
ムーフィンが叫びかけたが、言葉が途中で止まった。
目の前で起きたことが理解できない。
ジークとセレナが――リチャードに銃を向けていた3人を、ほんの一瞬で制圧してしまったのだ。
「貴様ぁ~! 私の部下をよくも!!」
ムーフィンは怒りのまま銃を構え、発砲しようとする。
――が、それよりも速く。
パンッ!
乾いた銃声。
ジークが部下から奪い取った銃で、ムーフィンの銃を弾き飛ばした。
「っ痛!」
ムーフィンは情けなく声を上げ、腰が抜けたように後ずさる。
「くっ、た、退却です! 退却するのです!」
転がるように、部下たちを引き連れて店を飛び出していった。
扉のベルが悲鳴みたいに鳴り、夜の空気が一瞬だけ店内へ流れ込む。
――静寂が、戻った。
「お父さん! 大丈夫?」
セレナが駆け寄り、リチャードを抱きしめる。
震えが混じる腕が、ようやくほどけた。
「セレナ、怖かったろう。ごめんな、私が弱いばかりに」
リチャードも娘を抱きしめ返す。
2人はしばらく、そのまま動けなかった。
やがて、セレナとリチャードがジークへ向き直る。
「ジークくん……ありがとう。あなたがいなかったらどうなっていたことか……」
「ああ、本当にありがとう」
あらためて礼を言う2人に、ジークは首を振った。
そして、すぐに表情を引き締める。
「いや、俺の方こそすみませんでした! 大切な人が銃を向けられるのは久しぶりで、少し弱気になってました! 俺はあいつらを追います。セレナさんとマスターは警察とアーミー課に連絡をお願いします!」
そう言い切ると、ジークは出口へ走り出す。
「ジークくん!」
セレナが呼び止める。深追いは危険――その直感が声になった。
ジークは振り返り、微笑んだ。
その笑顔は、軽口の笑みじゃない。覚悟の笑みだ。
「……必ず帰ってきますから! 行ってきます!」
セレナは、その強さをさっき確かに見た。
だからこそ――信じる。
「行ってらっしゃいジークくん。無事に帰って来てね」
彼女はそう言って、ジークを送り出したのだった。
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