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第23話「守ると言ったのは、彼女のほうだった」

 その日の夜。

 ジークは一日ぶりに、BAR Luminousの扉を押した。


 チリン――控えめなベルの音。

 薄い照明が木目の床を柔らかく照らし、ボトルのガラスが淡く光る。外の喧騒が嘘みたいに、ここだけ空気が落ち着いていた。

 鼻先をくすぐったのは、柑橘とハーブ――そして磨き上げたグラスの清潔な匂い。


「お疲れさまです、セレナさん!」


 声をかけた瞬間、カウンターの向こうの彼女が顔を上げる。

 ふわり、と花が開くような笑顔。

「あ! ジークくん、お疲れさまです」


 ――あ、やばい。

 たった一日来なかっただけなのに、その笑顔を見た途端、胸の奥がふっと軽くなる。

 思考がほどけて、返事が遅れた。


 セレナが、くすっと笑う。


 開店準備を終え、二人で開店時間を待つ。

 磨いたグラスがカウンターに整列し、氷のストッカーが小さく鳴った。バックヤードからは、挽いたコーヒー豆の香りが微かに漂ってくる。


「ジークくん、昨日はゆっくり休めました?」


 “昨日”を思い出して、ジークは苦笑する。

 基本は勉強――のはずだったが、アミがならず者に襲われかけた。今日も今日で、環境省長の講演会に行ったら事件に巻き込まれた。


 セレナは少しだけ心配そうに眉を寄せる。

「……あんまり休めなかったんじゃありません? 無理はだめですよ?」


 図星。

 ジークは頭をかいて笑った。


「あはは……バレましたか。時間があると、勉強も仕事も、両方やりたくなっちゃって……」


 言いながら、ふと気づく。

 彼女だって、休みの日にじっとしてるタイプには見えない。


 だから今度は、ジークが言う。

「セレナさんこそ、休みの日も新しいお酒の研究してたんじゃないですか? 無理しすぎないでください」


 セレナは一瞬だけ驚いた顔をして――すぐ、柔らかな笑みに変わった。


「ふふ。そうですね。だってジークくんと、お互いの夢を叶えようって約束したんだもの。負けてられません」


 そう言って、ぎゅっと小さくガッツポーズ。

 ……妙に似合ってしまうのがずるい。


「かわい……」


 心の声のつもりが、うっかり口から漏れた。

(やっべ)


「え? ジークくん、今なにか言いました?」

 首をかしげるセレナ。疑問符の瞳が、真正面から刺さる。


「い、いえ! なんでもありません! あ、ほら、お客さんです! いらっしゃいませ~!」


 勢いで誤魔化して、ジークは接客へ向かった。

 ほとんど逃げるみたいに。


 その背中を見送りながら、セレナが小さく笑う。

「ふふ、変なジークくん。……さて、今日も頑張ろう」


 こうしてBAR Luminousは、いつものように営業を始めた。



 日付が変わり、店の音が静かになっていく。

 グラスの触れ合う音も、注文の声も、少しずつ間が空く。客席に残るのは、ひとり、ふたり――そして夜の匂いだけ。


「ジークくん。この人数なら私ひとりで大丈夫なので、休憩してきてください」

「わかりました。では、お先に休憩いただきます」


 ジークは軽く会釈し、バックヤードへ。

 椅子に腰を落とした瞬間、肩の力が抜けた。


 ――が。

 十分もしないうちに、店内から声が飛んできた。


「お客さま、困ります! ここはお酒を提供するお店です!」


 セレナの声。しかも焦りが混じっている。珍しい。

 ジークは反射で立ち上がり、店内へ駆け戻った。


 カウンターにいたのは酔っぱらいが二人。

 酒臭い息をまとった男たちが、セレナへ絡みついている。


「おぉ~? 嬢ちゃん、いいカラダしてんなぁ~?」

「隣に座って酌してくれよ。なぁに、変なことはしねえって」


 下卑た笑み。距離感の侵食。

 “冗談”の皮を被った悪意が、じわじわと場を汚していく。


「お断りします。そのようなことを要求されるようでしたら、お引き取りください」

 セレナは毅然と返す。背筋はまっすぐ、目は真っ直ぐ。

 ――けれど男たちは止まらない。


「ちょっとくらいいいじゃねえか」

「客、もう俺らだけだろ?」


 セレナは静かに息を吐いた。

「これ以上は、ほんとに警察を呼びます」


 普通なら、“警察”の一言で引く。

 だが今回の二人は、薄ら笑った。


「お? 呼ぶのかぁ? いいぜ、呼んでみろよ」

「でもなぁ姉ちゃん。俺らのリーダーは、警察や世界政府の兵士なんかより――よっぽど怖いぜ? 手荒なことしたら、ひどいことされて殺されるかもなぁ~?」


 脅しが混ざる。

 舐める視線が、セレナの肌をなぞった。


「……そんな脅しには屈しません」

 セレナが電話へ手を伸ばす。


 その瞬間――男が受話器へ伸びた手を掴んだ。


「へへ、綺麗なお手てだねぇ」

「いい子だからこっち来いよ、姉ちゃん……な?」


 ジークの中で、何かがカチンと鳴った。

「いい加減にっ!!」

 助けに入る――そう決めて一歩踏み出しかけた、その瞬間。



 セレナが、掴まれていない方の手でジークを制した。

 相手には鋭い視線――だが、次の瞬間、振り返って微笑む。


「ジークくん、ここは私に任せてください。大丈夫。任せて?」

 その落ち着きが、逆に怖い。

 セレナは視線を男たちへ戻し、静かに睨み返した。


「へへっ! おもしれぇ姉ちゃんだなぁ」

「威勢がいいのも、そそるぜぇ~」


 男は腕を引っ張り、セレナを無理やり引き寄せる。

 抱きしめようとした――その瞬間。


 相手の体重が前に乗った。

 セレナの肘が、男の腹へ叩き込まれた。


「ぐぇっ!」

 息が詰まる音。男の体が折れる。

 次の瞬間には、セレナがその体を――背負い投げした。


 ドンッ、と床が鳴った。


 もう一人が激昂して掴みかかる。

 だがセレナはすっと躱し、右腕を取って体勢を崩す。

 そして胸を“軽く”押した。


 たったそれだけで、男は受け身も取れず床へ倒れ込んだ。情けない音を立てて。


 ――無駄がない。

 静かで、速い。

 綺麗で、怖い。


 一瞬にして、大人の男二人を制圧したセレナ。

 ジークは呆然と、その動きを追っていた。

(す、すげぇ……セレナさんって、こんなに強いのか……)


「ふぅ。ジークくん、もう大丈夫ですよ」


 何事もなかったみたいに微笑むセレナ。

 息も乱れていない。髪も崩れていない。

 ただ――瞳だけが、鋭く澄んでいた。


 その後、二人は警察へ通報し、到着した警察官が男たちを連行していく。

 警察は顔を見るなり、最近この辺りで悪さをしているならず者の一味だと気付いたようだった。

 ……“ただの酔っぱらい”じゃない。セレナの判断は正しかった。


 男たちは車両へ押し込まれる直前、こちらを振り返って叫ぶ。


「俺たちにこんなことして、リーダーや仲間が黙ってねぇぞ!?」

「覚悟するこったな、嬢ちゃんよぉ!」


 安っぽい捨て台詞。

 それでも、嫌な後味だけはしっかり残る。


「ジークくん。あんなの、強がりでしょう。気にしないでください」

 セレナはさらりと言う。

 ジークもうなずきかけて――胸の奥に小さな不安が残った。


(でも、もし……本当に大勢で来たら?)


 今日の日中の出来事が脳裏をよぎる。

 講演会後に現れた大勢のならず者たち。それを指揮するムーフィン。武器、そして召喚術らしきもの。

 もし、同じレベルの相手がこの店を狙ったら――。


「セレナさん。もし、さっきみたいな連中が大勢で来たら……」


 ジークが言いかけると、セレナは迷いなく言った。


「大丈夫。あの程度なら、何人いても相手じゃありません。このお店も――ジークくんも、私が守ります。だから、心配しないで」


 笑っているのに、意志が揺れていない。

 慰めじゃない。本気だ。


「セレナさん……」

 “自分も守る”と言われて、胸が熱くなる。

 そして――心が勝手にときめいてしまう。

(……あぁ、セレナさん……って違う! 違うだろ俺! セレナさんを守るのは俺だろ!)

 ジークは慌てて自分の頬を両手で叩いた。ぱんぱん、と音がする。


 セレナが目を丸くする。

「ど、どうしたんですか!? ジークくん」


 覗き込んでくる顔が近い。近いって!

「い、いや……セレナさんって本当に強いんだなって……! で、でも! 俺にも、セレナさんのこと守らせてください!」


 噛んだ。盛大に噛んだ。

 ……でも、言えた。ちゃんと言えた。


「ふふ。ありがとうございます。頼りにしてますね、ジークくん」

 セレナの笑顔は、夜の灯りよりも柔らかくて。

 ジークの胸を、じんわり温めた。


 その夜はそれ以降、何事もなく閉店時間を迎えるのだった。

ここまでお読みいただきありがとうございました!

次回も読んでいただけると嬉しいです!

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