第19話「お互いを想う夜」
「ふぅお風呂お先~! ケインかアミちゃん、お風呂空いたよ~」
浴室の扉を開けた瞬間、湯気がふわっと廊下へ流れ出した。
髪から落ちる水滴をタオルでわしゃわしゃ拭きながら、ジークはリビングへ戻る。
冷蔵庫を開けると、ひんやりした空気が頬に心地いい。
麦茶のボトルを取り出し、コップにとくとく注いで――
「っはぁ~……!」
グイッ、と一気飲み。
喉を通る冷たさに、思わず生き返ったような顔になる。
その声を聞いて、ケインとアミがそれぞれお風呂道具を手に浴室へ向かっていく。
ふたりの足音が並んで、当たり前みたいに揃うのが、いかにも新婚だ。
「りょーかい! 兄ちゃん、おれたち今からお風呂だから電話とか来客あったら対応任せていいか?」
「すみませ~ん、お願いします!」
ふたりは一度だけ振り返り、声をそろえて頼んでくる。
ジークは片手をひらひら振って笑った。
「あいよ~! 2人とも、ごゆっくりな」
そしてリビングの椅子にどさっと腰を下ろした瞬間、ふと気づく。
「……って、んん? 2人とも? あ、あの2人っていつも一緒に入ってんの?」
遅れてきた事実に、顔が熱くなる。
(――いや、まて。兄として冷静に。うん)
ジークは一瞬赤面しつつも、わざとらしく“余裕の笑み”を作る。
「ま、まぁな。新婚ですからねぇ。仲睦まじいのはいいことだよな。べ、別にぃ? 羨ましいとかじゃないですけどぉ~?」
誰に言い訳してるんだ自分。
ひとりでツッコミを入れながら、ジークはリモコンを手にテレビをつける。
画面が明るくなり、ニュース番組の落ち着いた音声が部屋に流れた。
しばらくの間ボーっと眺めていたジーク。
『次のニュースです。最近になり再び世界中で、世界政府に対しての抗議活動が活発化しています』
「ん?」
ジークの視線が画面に吸い寄せられる。
アナウンサーの背後には、人波とプラカード、そして規制線の映像。
どこかでガラスの割れる音、怒号。――嫌な空気の映像だ。
『これらの抗議活動では暴動や略奪といった事件も発生しており、世界平和維持理事会は事態を深刻に受け止め、市民の安全確保のために国防省の特殊部隊"オラクル・ナイツ"を投入する方針を決定しました。しかし、彼らはあくまでも事態を平和的に解決するためのサポートであり、武力制圧は行わないとされています』
「特殊部隊"オラクル・ナイツ"……!」
ジークはその言葉に反応し、思わず身を乗り出した。
胸の奥が、熱くなる。憧れの響き。守る側の象徴。
いつの間にかテレビに釘付けになっていたところで、浴室の方からぱたぱた足音。
アミたちがお風呂から上がって来た気配に、ジークはハッとしてチャンネルを変えた。
(せっかくの2人の幸せな時間を、暗いニュースで台無しにしたくない)
そう思ったのだ。
「ふぅ~いいお湯でしたぁ! ……ってあれ? ジークさん何見てるんですか?」
アミがリビングへやって来る。
可愛らしいパジャマ姿で、タオルを頭にちょこんと乗せたまま。湯上がりの頬がほんのり赤い。
ジークが慌ててチャンネルを変えたせいで、画面には子供向け番組の明るい効果音が流れていた。
アミは明らかに不自然な様子に首を傾げる。
「え? あ~……いや、ちょっと子供向けの番組を見ててさ~」
苦しい言い訳をしているところへ、今度はケインが現れた。
アミとお揃いのパジャマ。手にはワインのボトルとグラス。
「いや~、スッキリした~。兄ちゃん、電話とか来客なかった?」
「お、おう!」
(パジャマまで一緒なのか。相変わらずラブラブだなぁ)
ジークは思わずニヤつく。
その表情に、ケインとアミはそろって「?」の顔をするが、ジークは何でもないふりをして立ち上がった。
ふたりの邪魔をしたくなかったのはもちろん。
それ以上に、試験勉強と、昨日のアルバイトでのことをちゃんと記録に残しておきたかった。
「じゃ、あとは新婚さん2人でごゆっくり~」
からかうように言うと、ふたりは同時に顔を赤くして慌てる。
「い、いや! 普通にワイン飲みながら映画見るだけだから!」
「そ、そうですよぉ~!! もうっジークさんったら!」
反応が良すぎる。満足だ。
ジークは笑いながら部屋へ戻っていった。
(幸せそうで何よりだよ。……だけど、10年前に近い状況か……。今度こそ絶対に試験に合格して、みんなを守れるようにならないとな)
二階へ続く階段を、きゅっ、きゅっと踏む。
胸の奥に、さっきのニュースの言葉が残っていた。
部屋に戻ったジークは、机に向かい椅子を引く。
ペンを手に取って――いや、今日はまず机の上を整える。集中するための儀式みたいなものだ。
試験勉強を始めると、時間はあっという間に流れた。
二時間ほど集中したところで、ふと時計を見ると、21時を過ぎている。
「あ~もうこんな時間か……。気分転換を兼ねて、昨日のアルバイトについてまとめておくかな」
ジークはパソコンを開き、キーボードに指を置く。
画面の白さが、夜の部屋を少しだけ明るくした。
「セレナさんが作ったカクテルは……マスターの……」
カタカタ、と小気味よい音。
学んだこと、感じたこと、覚えている限りのことを、ひとつずつ文字にしていく。
記録を終えると、ジークはパソコンから目を離し、息を一つ吐いた。
窓の外は暗い。街灯がぽつぽつと光っている。
「セレナさん、今ごろ何してるのかなぁ」
気づけば、そんな独り言が口から漏れていた。
その頃、セレナは――。
お店は休みだが、自宅のキッチンは“練習場”になっていた。
カウンターに並ぶ計量器具、小さなグラス、ボトル。
参考書と父のノート、そしてセレナ自身のノートが、開いたまま置かれている。
少量ずつ作っては味を確かめ、ノートに書く。
そしてまた考えて、作って――その繰り返し。
「セレナ、休みの日はしっかり休まないと。今日も起きてからずっとレシピの構想を練っては試しての繰り返し。お父さん、心配だよ」
マスターでもあり父でもあるリチャードが、静かに声をかける。
娘の背中は小さいのに、背負っているものは大きい。そう感じさせる姿だった。
「大丈夫よ、お父さん。今日はもうあともう少しで終わるから。私ね、やっと何か掴めそうな気がするの。あ、もちろん無理はしないから安心して?」
セレナ本人はいたって元気。
昨日までとはまるで別人のように明るい笑顔で、父にそう答える。
「……そうか、やっぱり私の娘だね。うん、ほどほどに頑張りなさい、セレナ」
リチャードは、思わず笑みをこぼす。
娘の目が、前を向いている――それが何より嬉しかった。
それからさらに一時間ほど練習をしたところで、セレナは片づけを始める。
グラスを洗い、布で拭き、ノートのページを閉じる。
(……よし、今日はここまでかな)
片づけを終えると、セレナはバルコニーへ向かった。
夜風が頬を撫で、空には星が浮かんでいる。
街の喧騒が遠くに溶けて、静けさだけが残る。
「ふぅ……綺麗な星」
そう呟いて、少しだけ肩の力が抜けた。
「……ジークくん、勉強頑張ってるかな?」
その名前が口に出た瞬間、セレナは自分でも気づかないうちに微笑んでいた。
翌日。
早朝からジークは、町内を走っていた。日課のジョギングだ。
息は白くならないが、朝の空気はひんやりしていて肺が気持ちいい。
アルバイトが始まってからは、仕事を終えて一寝して午後から走っている。
だが昨日は仕事が休みだったため、以前同様に早朝から走っていたのだ。
(……いつもすれ違ってた人たちと会わないな……。やっぱりニュースにもなるくらいだから、みんな不要な外出は控えてるんだろう……)
チラホラと犬の散歩をしたり、すでに通勤している人が歩いたりしているが、やはり以前に比べて人通りが少ない。
ジークは走りながら、視線だけは鋭く周囲を探る。
怪しそうな人はいないか、ならず者どもの隠れ家になりそうな場所はないか。
だが、素人目に見た感じではそう簡単に見つかるはずもなかった。
(簡単に見つかったら、世界政府の兵士さんたちの立つ瀬がないよな……)
そんなことを考えながら、ジークはペースを落とし、最後の角を曲がって自宅へ戻る。
汗が肌に張り付いて、少しだけ達成感がある。
やがてシャワーを浴び、いつもの生活へ戻るように――
ジークはケインたちと朝食を食べるのだった。
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