第17話「3人の朝食と不穏な昼」
その後、シャワーを浴びたジークは朝食を食べることにした。
浴室の扉を開けると、まだ湯気がふわりと漂っていて、石鹸の匂いが鼻先をくすぐる。
濡れた髪をタオルでわしわし拭きながら廊下に出ると、階下からは食器の触れ合う軽い音と、どこかほっとする温かい香りがしてきた。
朝食前の時間にジークがバイトから帰ってきて眠り、ジークが寝た後にアミとケインが起きて朝食を食べ、ケインが仕事に行くというのが最近の流れだ。
そのため、3人揃って食べるのは久しぶりだった。
テーブルに並ぶ朝食を前に、ジークは思わず小さく息を吐く。
こうして“みんなが同じ時間に同じ卓につく”だけで、胸の奥がじんわりあたたかくなるのだから不思議だ。
「へぇ、仕事順調そうじゃん兄ちゃん」
ケインはジークからマスターやセレナの話を聞くと、嬉しそうに言う。
フォークを持つ手が軽やかで、表情には仕事の充実感がにじんでいる。
「ああ、こっちは今のところいい感じだ。お前のほうこそどうなんだ? 憧れの世界政府職員の仕事は、順調そのものか? なんでも優秀にこなすお前のこった。さぞ、周りに一目置かれる存在になってんだろうな!」
ジークがからかうように言うと、ケインはニヤリと笑った。
その笑い方がまた、“弟らしい自信”そのもので、ジークは内心ちょっと誇らしくなる。
「おうよ! まぁこれまで同様、しっかりとやってるぜ」
ケインが自信満々に答えると、アミが嬉しそうに身を乗り出す。
「わぁ、すごい! さすがケイン~♪ かっこいいよ~!」
その褒め方がまっすぐすぎて、ケインは少し照れたように目を逸らしつつも、口元を緩める。
「いやいや、アミがいてくれるから頑張れてるんだ。ありがとうな!」
――そうして、いつものように二人の世界が始まる。
ジークのことそっちのけで、互いに嬉しそうな顔で見つめ合うケインとアミ。
ジークは箸を持ったまま、わざとらしく肩を落とした。
「あ~……。2人とも、俺のこと忘れてない? お~い、もしも~し」
わざと間延びした声を出すと、アミがくすっと笑い、ケインも「悪い悪い」と言いたげに肩をすくめる。
3人のいつもの変わらないやり取りが、ジークにとって幸せで平穏な日常を感じさせていた。
「さてと……じゃあ俺、そろそろ行かないと」
朝食を食べ終えたケインは身だしなみを整え、荷物を持って玄関に向かう。
制服(あるいは職員用の服)を軽く払って、鏡で髪を直す仕草が板についている。
「ケイン、頑張って来てね。じゃあ行って来ますのチュー!」
「おう! 行って来るよ。アミも頑張りすぎるなよ」
二人は挨拶をして口づけを交わす。
ジークは視線を逸らしつつ、内心で「はいはい新婚新婚」と小さくツッコむのだった。
朝食を食べ終えたジークは、アミに一言告げると、部屋に戻ってベッドに横になる。
しっかり働き、早朝までリチャードとセレナと大切な話をしていたためさすがに疲れていたのだ。
枕に顔を埋めると、シーツがひんやりして気持ちいい。
まぶたが落ちるまでのほんの数秒、ジークの頭の中には、さっきまでの店の灯りと、グラスの氷の音がちらついた。
(マスターありがとう。セレナさん、それぞれの夢を絶対に叶えような)
セレナたちとのできごとを思い出している間に、ジークは眠りに落ちていたのだった。
「ふぁ~あ……よく寝た」
目覚めたジークは軽く伸びをして時間を確認する。
時計の針は午後1時を示していた。
(割としっかり寝ちゃったなぁ……。さて、起きて試験勉強しないとな!)
身体は少し重いけれど、頭は意外とすっきりしている。
ジークがベッドから起き上がった、そのタイミングで――
コンコン。
部屋のドアがノックされる。
「ジークさん? 起きてますか?」
アミの声だ。
部屋のドアを開けると、お盆を持った彼女が立っている。どうやら昼食を持って来てくれたらしい。
湯気の立つ皿の匂いが、空腹を一気に刺激する。
「よかった、起きてたんですね! 私はもう先に食べちゃったので、はいどうぞ!」
「わざわざ持ってきてくれたんだ。いや、悪いね。ありがたくいただくよ!」
アミはお盆をジークに渡すと、笑顔でうなずき部屋を出ていった。
その背中は、いつも通り明るくて、家の空気まで柔らかくする。
「さて、いただきます」
昼食を食べ終えたジークは、試験勉強に取りかかることにした。
(やっぱり俺の場合は、筆記が大事だよなぁ……)
机に向かい、資料を開き、ペンを持つ。
ページをめくる紙の音が、部屋の静けさに小さく響いた。
『兄ちゃん、いくら戦闘や警備が主な国防省志望でも筆記は大事だ。わかってると思うけど7割、8割じゃダメだぞ? 9割……いや、満点を目指すくらいじゃないと。なんてったって世界中から天才が集まるんだからな』
以前、ケインが話してくれたことを思い出しながらジークは勉強を進めていく。
(世界政府直営の仕事になるんだ。それくらいの気持ちでやらねぇと)
鉛筆が紙を走り、脳みそがじりじり熱くなる感覚。
でも、それが嫌じゃない。むしろ“今、前に進んでいる”という実感になる。
ジークが勉強を進めて数時間が経過したころ、アミがお盆を下げにやって来た。
ドアがそっと開き、部屋に明るい声が滑り込む。
「ジークさ~ん、調子はどうですか?」
笑顔で話しかけてくれる彼女にジークも答える。
「うん、まぁまぁ順調だよ!」
「そうなんですね! ならよかったです。あ、そうそう! お買い物に行くんだけど何か買ってくるもの、ありますか?」
アミにそう尋ねられ、ジークは考える。
(買い足しておきたいものは特になかったはず……)
「いや、特にないかな。いつも悪いね。買い物なら俺もたまに行くから、無茶しないでくれよ?」
ジークがそう答えると、アミは嬉しそうに微笑む。
「はい、わかりました! では行ってきますね!」
明るい声で部屋を後にしようとするアミ。
「あ、アミちゃん。ちょっと待って」
ジークはアミのことを呼び止めた。
「なんですか?」
不思議そうに振り返る彼女。
ジークは少し真面目な顔になって言う。
「今朝のニュースで見たんだけどさ。最近な、またこの辺りにならず者が現れてるらしいんだ。番犬代わりにモンスターを引き連れているらしくて、すでに何人かの人が襲撃されたり、誘拐されたりしてるって」
言いながらジークは、無意識に拳を握っていた。
平和な日常のすぐ隣に、こういう“影”がある世界だと知っているからこそ、軽く流せない。
「そ、そうなんですね。で、でもまだお昼なので大丈夫ですよ~! すぐに帰って来ますし!」
ジークの話を聞いたアミは、少し心配そうな表情を浮かべるが、すぐにいつもの彼女に戻る。
けれど、その目の奥にはちゃんと警戒が宿った。
「いや、本当に気を付けてくれよ? アミちゃんは若いし魅力的だから、ああいう連中にとって格好の獲物だろうからな」
その言葉は、冗談の形を取りながらも、芯が重い。
いつもの調子の明るいアミだが、ジークの真剣さにさすがの彼女も背筋を正す。
「は、はい! 気を付けますね」
「うん、気を付けて。何かあったら周りに助けを求めるんだよ?」
アミはジークの部屋を出て玄関へ向かうと、家の外へと出る。
そこにはいつもと変わらない昼間の日差しが照り付けている。風は穏やかで、空は澄んでいる。
「よし! 天気は大丈夫! お買い物に行きますかね」
アミはそうつぶやくと、スーパーに向かって歩き出したのだった。
それから数十分の時間が流れる。
ジークは勉強をしながらも、彼女のことが心配になってくる。
問題文を追っているのに、頭の片隅がずっと外の気配を探してしまう。
(大丈夫だろうか? やっぱり一緒に行くべきだったかな……)
ペン先が止まり、ジークは小さく舌打ちしそうになるのをこらえる。
心配しすぎだ、と自分に言い聞かせても、ニュースの言葉が引っかかる。
すると、そんなジークの不安を察してくれたかのようにスマホが震える。
(ん?)
画面を確認するとアミからのメッセージだった。
『ジークさん! お買い物は無事終わりました~!』
そのメッセージを見てジークは安心する。
(なんだ、よかった……)
ジークはほっと胸をなでおろす。
肩の力が抜けた瞬間、部屋の静けさが戻ってきて、ようやく勉強に意識が戻った。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
次回もよろしくお願いします!




