第14話「同じレシピ、違う味わい」
開店時間が近づくにつれて、店内の空気が少しずつ張り詰めていく。
《BAR Luminous》の暖色の照明は相変わらず柔らかいのに、カウンター越しの手元だけが、舞台のスポットライトみたいにくっきり見えた。
セレナはリチャードに見守られながら、カクテルを作っていた。
ボトルの口がわずかに鳴り、氷がシェイカーの中で軽く跳ねる。
計量カップの縁から、透明な液体が細い線になって落ちていく――その一つ一つが、なぜだか胸をざわつかせるほど真剣だった。
「……ステアが少し遅いな、セレナ。それでは味が変わってしまう。何度も作って体で覚えるんだ」
リチャードの声は静かで、しかし芯の通った鋭さがある。
さっきまでの“からかう父”とはまるで別人だ。
「は、はい!」
セレナは背筋を伸ばし、スプーンを持つ指に力を込める。
氷と氷が触れる音が、カウンターの木目に吸い込まれていく。
リチャードは、カクテルの色と揺れ方を見ただけで判断した。
「……分量は正確だが、一つ一つの工程に時間をかけ過ぎている。やり直しだな」
「す、すみません……」
口調は優しい。なのに甘さはない。
娘だからといって決して手加減しない――プロとしての厳しい指導。
そしてセレナも、そんな父の言葉にめげない。
悔しさを飲み込み、もう一度、氷を入れ直し、ボトルを取り直す。
(セレナさんもマスターも真剣そのものだ。俺も負けていられないな……!)
ジークは二人の背中を見つめながら、無意識に背筋を正した。
この店は、“雰囲気がいい”だけの場所じゃない。
ここには、二人が積み上げてきた時間と、守りたいものが詰まっている。
そして――。
開店時間になった。
今日はリチャードもカウンターに立つ。
セレナがグラスを整え、ジークが扉の方へ視線を向ける。
ほどなくして――いつもより扉の鈴が鳴る回数が増えた。
今日は客が多い。
理由は明白だ。
リチャードの作る酒を目当てに、かつての常連たちがやって来たのだ。
「いらっしゃいませ、どうぞこちらへ」
ジークは、入ってきた二人組の老夫婦を席へ案内する。
二人は店内を見回し、懐かしそうに目を細めた。
まるで、昔の記憶をひとつひとつ確かめるみたいに。
「おや、新入りさんかい? マスター、ようやく若い新人を確保できたんだねぇ」
老夫婦の旦那さんが、ジークを見上げながらリチャードに声をかけた。
からかい混じりなのに、どこか嬉しそうな響き。
リチャードはニッコリと笑ってうなずく。
「いらっしゃいませ、ローリング様。ええ、最近来てくれたアルバイトの方で、このお店の新しい仲間です」
「そうか、そうか。それはよかったねぇ」
二人はジークに優しい眼差しを向けると、カウンター席に座り、いつものように注文した。
「マスター。いつものをお願いするよ」
「私もこの人と同じのを」
その言葉の“迷いのなさ”に、ジークは内心で驚く。
(常連って、こういう感じなのか……かっこいいなぁ)
注文を受けたリチャードは、ふとセレナを見る。
そして、穏やかに提案した。
「もしよろしければ、一杯。今後このお店を継ぐ、私の娘に作らせてみてもよろしいでしょうか? その一杯はお代はいただきませんので。このお店に何年も通ってくださっているお二人に、ぜひ飲んでいただきたいのです」
ローリング夫妻は顔を見合わせ、嬉しそうに微笑む。
「おお、それはいいね! あんなに小さかったのにねぇ」
「ええ! ついにセレナちゃんにカクテルを作ってもらえる日が……これは楽しみだわ」
二人の視線がセレナへ向く。
セレナは少し緊張したように指先を握り――それでも笑顔でうなずいた。
「は、はい。精一杯頑張りますね!」
その様子を横目で見ながら、ジークは心の中でつぶやく。
(セレナさん……頑張れ)
セレナはカウンターに立つ。
姿勢を整え、呼吸をひとつ。
そして、夫妻が注文したカクテルをレシピ通りに作り始めた。
ボトルを持つ手は迷わない。
メジャーカップで量り、注ぎ、氷を入れ、ステア。
氷の音が一定のリズムを刻む。
その動作は手慣れていて、誰が見ても“一人前のバーテンダー”だった。
(よし、完璧にできた。きっと大丈夫なはず)
「お待たせいたしました」
セレナはスッと出来上がった酒を差し出す。
ローリング夫妻は嬉しそうに受け取った。
「それじゃあいただくとするかね、母さん。……乾杯!」
「ええ、いただいてみましょう。お父さん、乾杯!」
グラスが軽く触れ合う。
そして二人は同時に口をつけ――満足そうに微笑んだ。
「うむ、うまいなこれ!」
「ええ! セレナちゃんすごいじゃない!」
二人は嬉しそうにセレナを見る。
セレナは恥ずかしそうにはにかんで言った。
「お口に合ったようで何よりです」
リチャードは、そのやり取りを優しく見守っている。
セレナも、父の常連においしいと言われたことで少し自信がついたのだろう。
肩の力がほんの少しだけ抜けた気がした――その時。
「うまい、うまいのだが……。マスターのと比べると何かが足りんのう」
「そうねぇ。本当に美味しいのだけど、少し物足りない、かしら……」
その言葉に、セレナの表情がほんの一瞬だけ固まった。
胸を刺されたような痛みが走ったのが、遠目のジークにも分かる。
けれどセレナは、それを顔に出さない。
笑顔を崩さないまま、頭を下げた。
「心から満足いただけるものをお作りできず、申し訳ございませんでした。これからもっと精進してまいります」
慌てて手を振るローリング夫妻。
「いやいや、セレナちゃん! 頭を上げてくれ!」
「そうよ、本当に美味しいわ。でも……そう、何か物足りないのよねぇ……」
――そしてその一杯を飲み終えた後。
今度はリチャードが同じものを作って提供した。
“魔粒子症候群”によって五感に深刻なダメージを受け、バーテンダーとして致命的な味覚と嗅覚が衰えているにも拘わらず――。
リチャードの動きは、迷いがなかった。
ボトルを持つ角度。ステアの速度。グラスを置く位置。
すべてが、長年の積み重ねで“身体に染みついた”動作だった。
「むむ! やはりこれだ、マスター! やっぱりこの味なんだよねぇ」
「んん~! あぁ、これだわ……。ずっと変わらない、懐かしい記憶が甦る……」
セレナの時とは明らかに反応が違う。
二人は至福の表情で、まるで懐かしい音楽を聴いているみたいに目を細めた。
「すげぇ、マスター……」
ジークは思わず漏らした。
自分ではもう味見もまともにできないはずなのに。
きっと、記憶と経験が味を作っている。
そしてそれを、“体”が覚えている。
「ありがとうございます。ご満足いただけたようで、何よりです」
リチャードは心から嬉しそうに微笑んだ。
その時、呆気に取られていたジークのところへセレナがやってくる。
小さな声で、まるで自分に言い聞かせるように呟いた。
「あれがこのお店のマスター、リチャード・オルティスです。マスター、いえ……お父さんには、遠く遠く及ばないですね……」
その表情は、嬉しそうでもあり、悔しそうでもあり――そしてどこか悲しそうでもあった。
「いや、そんなことないですよ。セレナさんもすごいです!」
ジークは本心でそう言った。
レシピ通りに作る、それだけでも簡単じゃない。
まして“常連の舌”は、思い出と一緒に味わっている。
けれど――。
「ふふ、ありがとうございます」
セレナは寂しそうに笑うのだった。
(う~ん……何かいい方法はないかな?)
ジークが悩んでいると、カウンター席からローリング夫妻が声をかけた。
「セレナちゃん。そう落ち込んじゃダメだよ? マスターがここに至るまでには、何十年と掛かったんだからのぅ」
「そうよ~、セレナちゃんはまだまだ若いんだもの。これからこれから」
セレナは微笑んでうなずく。
外側だけ見れば、いつも通りの美しい微笑み。
「はい。これからもっともっと頑張ります」
――けれど。
その直後、セレナは心の中でひとり呟いた。
(でも……ゆっくりなんてしてられない……。お父さんが……元気なうちに。私がしっかり一人前にならないと……)
一瞬だけ、セレナの表情が歪んだ。
それを見たリチャードは、何かを察したように目を細めた。
ローリング夫妻が席を立つ。
「それじゃあまたね、マスター」
そして奥さんが、ジークに笑いながら声をかける。
「新入りくんはセレナちゃんのボーイフレンド? 彼女をよろしくね?」
「え? い、いやそういうわけじゃ……。だけど、はい! このお店のために俺も頑張ります!」
勢いよく返事をするジーク。
顔は少し熱い。いや、かなり熱い。
奥さんは満足そうにうなずき、微笑んだ。
「うんうん、若いっていいわねぇ」
それから数時間。
リチャードの“復帰”を待っていた客が次々と訪れ、店は久しぶりの賑わいを取り戻した。
ようやく閉店時間。
看板の灯が落とされ、空気が少しだけ静かになる。
「ふぅ……久しぶりにお店に立ったら、さすがに疲れたな。セレナ、ジークさん、今日もお疲れさまでした」
リチャードはグラスを置きながら、二人に労いの言葉をかけた。
「はい。お疲れさまでした」
「お疲れ様です!」
二人は返事をすると、閉店作業に取り掛かる。
テーブルを拭き、グラスを数え、氷を片付ける。
静かな作業音だけが店内に響く。
その最中、リチャードがふと口を開いた。
「なぁセレナ。明日は休業日だし、私はしばらく出勤できない。だから閉店作業が終わったら、少し時間をもらってもいいかな? 話したいことがあるんだ」
「え? あ、うん。いいけど……」
セレナは不思議そうにしながらもうなずく。
遠目に見ていたジークの胸が、少しざわついた。
(何だろう……?)
するとリチャードが、今度はジークにも声をかけた。
「う~ん、ジークさんにもいてもらった方がいいかもしれないな。ジークさん、これから少し話せないかな? 今日は疲れただろうから、無理にとは言わないけど……」
「は、はい。俺もご一緒させてください!」
ジークはすぐに答え、セレナを見る。
セレナは少し心配そうな表情をしていた。
(なんの話なんだろう……)
結局、ジークは二人に付き合うことにしたのだった。
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