太陽光発電は絶望的にエコではない。メガソーラーが失敗するこれだけの理由
太陽光発電は絶望的にエコではない。メガソーラーに関するあらゆる政策が確実に失敗するこれだけの理由。
最近嫌われているメガソーラーについて、メガソーラーが嫌われる根源的な理由と、その対策についてのお話となります。
昨今メガソーラーは日本各地で増えて来ていまして、メガソーラーへの反対運動も盛んになってきました。
では、何故メガソーラーは大衆に嫌われるのでしょうか?
私こと、ふりがなが解説します。
メガソーラーが嫌われる理由の6割から7割は、見た目の悪さの問題です。
地球温暖化対策のために進められるメガソーラー建設ですが、直感的に見て、黒光りするソーラー発電は、一般大衆の誰がどう見ても『地球加熱装置』になります。
地球温暖化対策の、逆の見た目をしている『地球加熱装置』という事です。
実際はどうかと言えば、発電しているソーラーパネルに、触れば地面よりも暖まっている。
メガソーラーは現実的に見て、周囲の気温を上げています。
多くの太陽光発電は黒色に近いパネルで太陽光の大部分を吸収し、地球を暖めるのです。
発電装置ですから、熱を出すのは当然として、暖かな太陽光を利用するソーラー発電は、周囲の環境を加熱します。
ベクトルで言えば、火力発電もソーラー発電も、同じ『地球加熱装置』ではあるのです。
地球温暖化対策のために、地球を温める装置を増やしていく。
脱炭素は直感的には解り難い仕組みであり、太陽光発電は相対的な選択と言えます。
しかしながら、黒光りするグロい地球加熱装置が、現実的に身近に増えていくとなれば、住民の反対は必然と言えます。
太陽光発電政策は、この見た目問題に真剣に取り組まなければ失敗に終わるでしょう。
メガソーラー反対は、企業が、大規模太陽光発電の見た目対策を怠った結果、とも言えるのです。
また日本の場合、山林を切り開いて建設するメガソーラーは、地球温暖化対策のための植林とは完全に矛盾しており、結局は『地球加熱装置』であるメガソーラーの設置は、住民の理解と向き合わなければなりません。
何故、矛盾する行動を取るのか。
野山を切り開いて温暖化対策と称して『地球加熱装置』を無数と増やしていく、本当にそれで効率は良いのか。
日本政府は、太陽光発電事業の説明を企業に任せる事によって、企業はその説明を省き、住民との対話に完全に失敗しています。
何故、現役世代の日本の政治家は、大型太陽光発電を、住民との対話という、最小限のコストを支払わずに進められる政策だと思っているのかは、後ほど説明します。
さて、次はメガソーラーが嫌われる残り3割から4割の理由になります。
メガソーラーが嫌われる理由は、あまりにも採算性が悪いからです。
日本では2011年の福島第一原発事故から、太陽光発電への転換政策を一部実行しました。
当時の議論内での中心は、肝心の太陽光発電が、採算的に使い物にならない産廃であるという事です。
当時、技術的なボトルネックはいくつか存在しており、推進派に対して、採算性が良くなったら、市場原理に従ってソーラー発電は勝手に増えていくのだから放置した方が良いのだといった主張がありました。
しかし、政策というソーラーパネルの購入を通し、太陽光発電業界に資本を入れる事によって、ソーラー発電は進化するというのも事実であり、太陽光発電は、やがて採算のとれる物になるハズでした。
市場原理に従って勝手にニョキニョキ増えていく。
その現実が起きた時は、野山がソーラーパネルだらけになる。
当時、今の光景を脳内で見れた人はどれだけ居るのでしょうか。
メガソーラーの建設が活発化し始め、事故後10数年、太陽光発電は、ようやく採算がとれるようなったのかなと私は最初思いました。
しかし、驚くべき事にメガソーラーの実態は、補助金漬けでようやく採算がとれ、後片付けのリサイクル法案の整備もままならないという物でした。
太陽光発電に関わる企業と政治家は、多額の税金を投入されるようになってから、この10数年いったい何をしてきたのだろうか。
私は疑問に思いました。
日本政府は自分の尻拭いさえままならない、多額の補助金で成立する業界を作り上げていたのです。
結果、見た目はグロく『地球加熱装置』である上に、温暖化政策と矛盾するように山林を破壊し建てられ、その説明は一つも無く、後片付けは将来どうなるかわからない。
その癖、採算性は悪い、それが当たり前のメガソーラーが完成しつつあります。
太陽光発電の従来のイメージは綺麗な発電です。
今もなお、太陽光発電をエコと呼ぶ最悪な層が居ます。
この作り上げられた太陽光発電のエコなイメージは、致命的な失敗だったと私は断言します。
太陽光発電のエコなイメージは、一般大衆から見る現実の太陽光発電のイメージギャップからして、落差が大き過ぎ、落差の分だけ住民感情は悪化するからです。
太陽光発電は、一般企業と同じ金儲けに過ぎませんから、エコを前面に押し出すべきではなかったのです。
太陽光発電は、『地球加熱装置』による、政治責任を放棄した、汚い金儲けであるという現実を忘れてはなりませんでした。
この過酷とも言える太陽光発電のイメージギャップは、政府の政策そのものどころか、太陽光発電の将来を破壊し始めました。
これらの事が起きてしまった原因は残念ながら、税金だけは投入を続けるという、中途半端な自由市場における政治家側の危機感の欠如です。
政治家の危機感の欠如こそが、ソーラーパネルの見た目問題を放置し、廃棄ソーラーパネルの処理問題の不安を助長し、採算性の悪さ問題を表面化させ、太陽光発電の将来を破滅させるのです。
私ことふりがなは、世代論者ですので、何故今回のメガソーラーにおいて、政治家側の危機感が欠如したのかの理由を考えると、真っ先に世代論が浮かびあがります。
地球の将来を救う、綺麗な太陽光発電。
綺麗なソーラー発電に大きな問題は存在せず、反対する住民はきっと居ないだろう。
だから、税金をいくら使っても許されるんだ。
太陽光発電のろくに無かった前世代は、太陽光発電の現実を知らないので、問題が多発し始めても、イメージギャップから認知出来ない。
世代論的には、太陽光発電の諸問題は、これから更に長い期間悪化するだろうと予測出来ます。
それは太陽光発電を推進した元環境相小泉氏が、旧世代とも言える政治家ではなく、まだ若い世代なのに太陽光発電に発生し始めたイメージギャップを捉えていないからです。
認知的な問題から、対応は遅れに遅れるのではないでしょうか。
先に書いた、何故、現役世代の日本の政治家は、大型太陽光発電を、住民との対話という、最小限のコストを支払わずに進められる政策だと思っているのかという問いは、この世代論から出る認知的な問題から来ています。
現役世代の60歳中心の政治家は、推進に対して、住民と対話の必要もないほどクリーンな太陽光発電の認知からは一生抜け出せないのです。
更に地球温暖化問題からの、太陽光発電の立ち位置も、大型の太陽光発電政策において、大きな問題になります。
温室効果ガスの排出量実質0を達成出来るのは当面先、早くとも2050年ですから、メガソーラーの各地の建設に反し、太陽光発電の普及が進もうとも、地球は当面温まり続けると予測されます。
メガソーラーによる日本の温室効果ガス対策は、一般大衆から見れば、実を結ばない政策なのです。
今、温室効果ガスに将来が見えない中、地球の白に注目が集まっています。
雲と氷河です。
白色の雲や氷河は、太陽光を反射して、地球を直接冷やす効果を持っています。
アルベド効果です。
ですから、私は地球温暖化対策は、雲をどう増やすか、氷河をどう増やすかに焦点は変わると予測しています。
自明的に、地球の黒にも注目が集まっています。
それが海です。
黒に近い色の物は、太陽光を吸収し、地球を直接暖める効果を持っているのです。
そう、黒色側であるソーラー発電は、この点で地球を直接暖める側なのです。
ですから、私はソーラー発電を『地球加熱装置』と書いているのですが、雲や氷が注目されるにつれ、ソーラー発電には、さらなるイメージギャップと根本的な矛盾が襲いかかるでしょう。
現実問題として、ソーラー発電は、火力発電に対してCO2の排出量が10分の1以下です。
エネルギー分野のCO2排出量は、全体の45%ほどですから、エネルギー分野のCO2排出量を5%未満まで圧縮は出来るでしょう。
しかし、私が太陽光電において、最も地球温暖化対策として効果が大きいであろうと予測する事柄は、エネルギー分野におけるCO2排出量の削減では決してありません。
採算性の悪いソーラー発電導入すればするほど、電気代の高騰から庶民が貧乏になるから、消費が抑えられ、結果CO2の発生量が少なくなるだろうという物です。
今やあらゆる業界に電力は必要不可欠であり、人類は電気に依存しています。
太陽光発電の導入が、エネルギー分野だけの問題に留まるハズがありません。
そして残念ながら、政治家たちは、太陽光発電の導入がもたらす貧困化政策によってCO2の発生量が減った事を、経済政策の大失政ではなく、『自分たちの成果』であると喜ぶでしょう。
これを一般大衆目線に書き換えると、こうなります。
グロい『地球加熱装置』が身近に増えていくけれど、地球温暖化対策と銘打っているくせに、温暖化はどんどん加速していき、局地的な災害はどんどん増えていく。
木々を犠牲にしてまで『地球加熱装置』を増やしたのに、まともな説明は何もされない。
連中は、ただ理解もされないエコのイメージを押し付けてくるだけだ。
そのダメ業界は、自分たちの金儲け設備の後片付けだってままならないのだ。
肝心のメガソーラーは税金を吸い取って建てられていて、自分たちは電気代高騰や、メガソーラーを建てるための税金を取られるせいで、どんどん貧乏になっていく。
そして、メガソーラー企業から献金をしてもらっている政治家が居る。
結局、政治家は庶民を貧乏にして喜んでいる。
俯瞰的に見れば、メガソーラーは政治として破滅的な構造を持っています。
一見しただけで、あまりにも政治コストの大きなメガソーラーですが、他にも国家の安全保障である田畑と土地をシェアしやすくなっており、課題は各国で山積みとなっています。
本来、メガソーラーは官製市場としてきちんと統制しなければなりませんでした。
政治家がとにかく責任を取りたくないからと言って、下手に一部分だけを自由にして、説明もせずに国民に税金だけを負担させる状態は、市場に構造的な腐敗しか生み出しません。
メガソーラー市場をこのまま放置する未来では、民主主義の大きな混乱が起こるでしょう。
そして、このまま危機感のない政治家と市場を放置すれば、将来、太陽光発電全体が、市民に直接破壊されるような『悪』へと切り替わります。
仮にそんな未来が来るとして、混乱の真なる原因とは、中途半端な自由市場において、本来当たり前の事を当たり前に出来るか、出来ないか、ほんの些細なそれだけの問題を、政治家が解決しようと思えるか思えないか、そんな小さな意思の問題だと私は思うのです。
ですから、私は予見します。
太陽光発電はそんなに良いものではありません。
今まで良いとされて来た事に対して、太陽光発電の悪いところは大きく、故にイメージギャップは想像よりも遥かに大きい、かつ、イメージギャップが大きければ大きいほど、大衆は太陽光発電に失望し、前提として多額の税金を必要とする業界の構造から、自明的にあらゆる関係者を憎悪するようになるでしょう。
結果、膨大な政治コストが発生し、本来メガソーラーに限る問題だった事が、あらゆる太陽光発電に波及していく事となります。
少なくとも過去の太陽光発電と現在の太陽光発電のイメージギャップの改善に真剣に取り組まなければ、太陽光発電政策は、将来に渡って確実に失敗に終わる事になるのです。




