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第三十話 父の言葉

壁の内側、旧ロス公爵邸の敷地内は放置された九年間という歳月をつきつけるように荒れ放題だった。


記憶では美しく刈り込まれていた芝生は、雑草に覆われている。


ただ、木剣を何度も打ち付けた庭園の大きな石、すっかり苔むしている水の止まった噴水の中央に立つ像、記憶を揺り動かす物がいたるところにあり、それがルシアンを物悲しい気持ちにさせた。


そして、そんなルシアンに現実をつきつけるように、黒焦げの屋敷が月明かりを受けて不気味な影を落としていた。


「祠も気になるだろうけど、先に屋敷の中を見ましょ」

クレアが小声で言った。


「祠のある方は正門の見張りから見えるかもしれない。見張りの動きを把握してからの方がいいと思う」


「そうだね、分かった」

ルシアンは頷いた。


正門には篝火が焚かれ、兵士たちが立っている。正確には、堀にかかった橋向こうと屋敷側に二人ずつ、計四人の兵士が見張りについていた。


元公爵邸とはいえ、焼け落ちて久しく、盗人が入っても収穫などないだろう。

不心得者が勝手に住み着くことを警戒するだけなら、交代制で常に兵士を四人も立てる必要はない。

ノヴァク公爵は、まだこのロス公爵家には『何かある』と考えているのだろう。


(クレアが見つけてくれた隠し部屋に答えがあるのかもしれない)

そんな事を考えながらルシアンはクレアと共に屋敷の側面から裏手に回った。


「こっちに厨房の裏口があったはずだ、そこから入ろう」

幼い頃の記憶を頼りに、ルシアンは先導した。


記憶通りの場所に厨房に繋がる勝手口があった。


ただ、木製の扉は焼け落ち、黒ずんだ石の枠だけが残っている。


二人は、くぐるように屋敷の中に足を踏み入れた。


屋敷の内部は、想像以上に荒廃していた。

九年前の火災で、木製のものは全て焼け落ちている。扉も、窓枠も、残っているのは石造りの壁と、焦げた梁の残骸だけだ。丈夫な床板もところどころ穴があいている。


それでも、幼少の頃に駆け回った家の間取りは、何となく覚えていた。


「厨房にはいつも料理番のご夫婦のどちらかがいてね」

ルシアンは、崩れた竈を見つめた。

「奥さんはいつもこっそり焼き菓子をくれたよ」


厨房を抜けると、辛うじて焼け残った壁で仕切られた部屋が左右にあった。


「こっちは使用人部屋だったかな」

庭師の老人が、馬が喜ぶブラシのかけ方を教えてくれたのを思い出す。


「こっちは武器庫…半分倉庫だったけど…何もないね。当たり前か」

覗き込むと、がらんどうだった。当然だ。ノヴァクの兵が全て持ち去ったのだろう。


クレアが心配そうにルシアンの横顔を覗き込む。


感傷で油断しているところを見つかったら、苦労して忍び込んだ意味がなくなるからだ。


「ごめん、大丈夫だよ。上にあがろう」

ルシアンは努めて明るい声をだした。


「ねぇルシアン、二階には大広間の階段を使うしかないの?」

クレアが尋ねた。


「そうだね、あの左右の大階段しかないと思う。焼け落ちて床が穴だらけだから長梯子でもあれば上れるかもしれないけど、梯子の用意がないからね」


クレアが頷く。


「入口正面の大扉がないから、手前の見張りがこっちを向くと見つかる可能性がある。静かにいきましょう」


クレアが先に動いた。

音もなく瓦礫の間を縫っていく。猫だってあんなに素早く動けないんじゃないだろうか。


ルシアンも後に続いた。

クレアのようには動けないため、音を立てない事に気を配る。


大広間は、かつての面影をしっかりと残していた。


『優しく微笑む母の肩に手を添えて凛々しく立つ父』そんな両親の肖像画が飾ってあった場所にはノヴァク公爵家の旗が掲げられていた。


大広間の大階段は石造りなので崩れる心配はない。

注意すべきは入口の方に立つ見張りの兵士たちだ。


クレアが振り返り、先に上るとハンドサインを送る。

ルシアンは頷き、慎重に、そして出来るだけ音を殺して後を追った。


二階に上がると、一階よりも更に内壁が崩れていた。

火勢は上にいくほど強くなるからだろう。


明かりはないが、いたるところに空いた穴から月明かりが差し込んでくるので、危なげなく進む事ができた。


「確か、この辺が……」

ルシアンは、記憶を辿りながら歩いた。


「両親の寝室だったかな」

焼け焦げた部屋の残骸。かつてはここに、大きなベッドがあった。


「そして、こっちが……」

足が止まった。


「俺の部屋だった」


壁は半分崩れ、天井は抜け落ちている。

それでも、窓の位置は覚えていた。あの窓から、毎朝庭を眺めた。

木製の寝台は跡形もない。本棚も、机も、大切にしていた玩具も。

全て、灰になったのだろう。


「……」

気づかぬうちに、涙が頬を伝っていた。


悲しいのか、悔しいのか、自分でも分からなかった。

ただ、込み上げてくるものを抑えられなかった。


「ルシアン」

クレアが背中から腕を回してぎゅっと抱きしめてくれた。


「…ごめん」


「大切なものを無くした時に泣くのは悪い事じゃない、でしょ?」

クレアの声は、優しかった。


「それに、私ばっかり泣いてるところを見せてるからね」

それはそうかも、と返すと馬鹿とかるく小突かれた。


二人はしばらくそのままだった。

クレアの温もりが、少しずつルシアンの心を落ち着かせてくれた。


――――――――――

「もう、大丈夫」

ルシアンは、目元を拭った。


「クレアが見つけてくれた隠し部屋は、三階だったよね」


「うん。行ける?」


「ああ」

ルシアンは力強く頷いた。


三階への階段は大階段とは違い木製だった。

もともと丈夫な木材を使っていたおかげか、辛うじて階段としての機能を残しているが、あちこちが炭化し、手すりは焼け落ち、段の一部は欠けている。


何も考えずに進めば、容易に踏み抜いて落下してしまいそうだった。

慎重に足を運びながら、二人は三階…屋敷の最上階へ上った。


三階は、火勢が最も強かったのだろう。


屋根にはいくつも穴が開き、月明かりが直接差し込んでいる。石壁もかなりの部分が崩れていた。


「クレアが見つけた隠し部屋ってこの階だよね?」


「そう、確か向こうの突き当り」


「たしか、父の執務室と書庫があった場所だね」


そこは、一見何もない部屋だった。

壁と、瓦礫と、灰。それだけ。


だが、クレアは迷いなく部屋の隅に近づいた。

そしてすっと目を閉じる。


もう一柱の力を使っているのだろう。周囲の全てを把握できるという、あの力を。


「うん、やっぱりこの壁の裏だね」

クレアは目を開けると、壁に手を当てた。


ぐっ、と押す。


すると——壁の一部が、軸を中心に回転した。

隠し扉だ。


「ここを押すと開くから。幅が狭いから一人ずつしか入れない。先に行くね。あと、結構扉が重いから、気をつけて」

忠告を残してクレアが扉の向こうに消えた。


その忠告の意味を、ルシアンはすぐに理解した。


両手で体重をかけて押しても、扉はほとんど動かない。

じりじりと、わずかずつ回転する扉。


どれほどの重量があるのか、岩を押しているような感覚だ。

ようやく身体が通る隙間ができた瞬間、扉が急に大きく回った。


「うわっ——」

つんのめるように、ルシアンは隠し部屋に転がり込んだ。


「ごめん、私が開ければよかったね」

内側から力を貸してくれたクレアが苦笑しながら手を差し伸べた。


「いや、こんなに重いとは思わなかった…」

ルシアンは立ち上がりながら、扉を見た。


「逆に言えば、これだけ重いから九年間見つからなかったんだろうな」


クレアがメイスの力を使って、常人ならざる膂力で開けたのは理解できる。

だが、父は『それ無し』でどうやって開けていたのだろう。


「ルシアン、上を見て」

クレアが天井を指差した。


見上げると、焼け焦げた滑車のようなものが見えた。


「恐らく、開閉用の仕掛けがあったんじゃないかな。火で焼け落ちたみたいだけど」

なるほど、と納得した。


隠し部屋は、二メートル四方の、文字通りの小部屋だった。


大理石の机が一つ。その上には、灰になった紙の残骸が散らばっている。

だが、全てが燃え尽きたわけではなかった。


厚い革に挟まれた数枚の紙が、机の上に残っていた。

革が紙を守ったのだろう。端は焦げているが、中身は読めそうだ。


脇の棚には、宝石箱ほどの大きさの金属の箱。

そして、銀色に鈍く光る腕輪のようなもの。魔道具だろうか。


「ルシアン、これ……」

クレアが、革表紙をひらいて挟まっていた紙を取り出す。


「お父さんが書き残したものじゃない?」

果たしてクレアから受け取った紙は、父ファーガスが残した手記だった。


――――――――――――――――――――

これを読んでいるのが息子ルシアンであることを祈る。


もしそうなら、お前の無事と、俺の行いが無駄ではなかったことを喜ばせてくれ。

もし違うなら、残念だ。

この国は終わるかもしれん。


時間がないので、伝えるべきことを書く。

まず、俺をはめて、いま屋敷に火を放ったラインバッハ・ノヴァク公爵は人間ではない。

たとえ話ではなく、魔族、魔人、悪魔、正体は分からんがそんなやつだ。

恐らく、ネロス公爵も同様だろう。どちらも昔は人間だったが、いつの間にか中身が入れ替わっていやがった。


ロス家がノクスラントを監視しているのは、あの地が危険な未開拓領域という理由だけではない。 神チェルダロが悪神を封じた場所だと聞いている。


そして、その封が綻び、人ではない化け物が出てきている。 ノヴァク公爵やネロス公爵はそれだろう。


王に進言しようとしたが、間に合わなかった。 せめてもの悪あがきで、この手紙を書いているところだ。


お前は一昨日の、七歳の誕生日に、無事にロダンから魔眼を授かっただろうか?

ロス家はイングラス王国の七氏族の中でも特殊だ。


幾つかの役目があり、それに魔眼が必要となる。もし、魔眼を授かっていなければそれでいい。むしろ国を離れて平和に一生を終えてくれた方が良いかもしれない。


ただ、もしお前が魔眼を持ち、ロス家の人間として生きることを選択した時のことを考えて大切なものをこの部屋に残しておく。恐らく役に立つ。


金属の箱は、祠でロダンに開けてもらえ。ノヴァク公爵の皮をかぶったヤツも、祠には手をだせないはずだ。


お前の母サーシャは、オニール公爵領に逃がした。

お前とサーシャ、二人が無事に逃げてくれることを祈るばかりだ。


無力な父ですまない。


最後に、お前の成長を見たかった。

俺のように、素敵な女性に出会えることを願っているよ。


――――――――――

読み終えたルシアンは、大きく深呼吸をした。

手紙は走り書きで、決して長い文章ではなかった。

だが、書かれていることが、頭の中で整理できない。


昨日見たノヴァク公爵が、人間ではない。


母が、生きているかもしれない。


ロス家は、封印を見守る役目がある。


「……ルシアン?」

クレアが、心配そうに覗き込んできた。


「何が書いてあったの?」


ルシアンは、無言で手紙をクレアに渡した。

クレアは、遠慮がちに目を通し始めた。


やがて、その表情が強張っていく。


「……そんなことって」

クレアが、小さく呟いた。

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