第二七話 ノヴァク公爵
朝の『つがいの兎亭』はいつもより静まり返っていた。
昨夜の酒宴、団長ゴリアテに向けた送り酒は明け方まで、続いたらしい。
一階の大広間は、夜は酒場、朝には宿泊客が利用する食堂に変わるのだが、テーブルに突っ伏したまま眠りこけている団員は一人や二人ではない。酒瓶が床に転がり、椅子が乱雑に散らばった状態だ。
それでも、宿の女将が口うるさく言わないのはサイクロプス団が二階から上の宿を貸切っているからだ。
意識を酒の沼に沈めたまま動けない団員達を横目に、ルシアンとクレアは隅のテーブルで向かい合って朝食をとっていた。
女将とて、明け方まで料理や酒の提供で酒宴に付き合っただろうに、広間の一画を清掃し、薄焼きパンとシチュー、卵に豚肉の腸詰という立派な朝食を用意してくれたのは接客業のプロとしか言いようがない。
「…みんな、すごい飲みっぷりだったみたいね」
クレアが、眠りこける団員たちを見渡しながら呟いた。
「ゴリアテさんの弔い酒だったから、かな」
ルシアンは昨晩使わせてもらったゴリアテの部屋に、空の酒瓶が沢山あったのを思い出す。
「父さん、呆れるほど酒好きだったから。湿っぽく送られるより喜んでると思う」
そう言って、クレアは小さく笑った。
あれだけ泣いたのに..、.いや泣いたからこそだろうか。
彼女は父について話すときも穏やかな表情をしているように見えた。
ルシアンは、シチューに浸したパンを口に運びながらクレアを見る。
別にやましい事をしたわけではないが、昨夜のことがあってか、クレアの態度に変化を感じていた。
以前より距離が近い。顔を覗き込まれているような視線も感じる。
時折、ふっと微笑む。
前から『可愛い』とは思っていたが、そんな仕草が一層そう感じさせた。
クレアだけではなく、自分にも小さくない変化があったことを実感するルシアンだった。
「……何?」
視線に気づいたクレアが、首を傾げた。
「いや、なんでもないよ」
慌てて目を逸らす。
心臓が、少しだけ跳ねた。
「変なの」
クレアは、シチューを一口啜った。
その仕草も、なんだか目で追ってしまう。
(落ち着け、俺。これから一緒に旅をするのに挙動不審なのは良くない…)
自分に言い聞かせながら、ルシアンはパンの残りを口に放り込んだ。
朝食を終えた頃、ぞろぞろと階段を降りてくる足音が聞こえた。
「おう、早いな」
ギルフォード達だ。
その顔は疲労というよりも、酒で精彩を欠いていたが、流石に足取りはしっかりしている。
「ギルフォード、顔色悪いよ。あまり寝てないんじゃないの?」
「問題ない、少し横になった。それより、クレアこそ大丈夫か?昨夜はいつの間にかいなくなったていたから心配したぞ」
「私は平気、ルシアンの......やっぱりなんでもない」
そこまで言って、クレアは口を噤んだ。
ギルフォードの眉が、僅かに上がった。
「ほう?」
「…別に、変な意味じゃないし、教えないから」
「俺は何も言ってないが」
「その顔が何か言ってるでしょ!」
クレアの頬が、わずかに赤くなった。
ルシアンは黙って視線を逸らした。下手に口を挟むのはよくない。
「まあ無事ならいいさ」
ギルフォードは、空いている椅子に腰を下ろした。
「それでクレア、お前はこれからどうする。昨夜は落ち着いて話せなかったからな」
クレアは、表情を引き締めた。
「うん。私、しばらくサイクロプス団を離れようと思う」
「そうか、期限付きか?脱退か?」
ギルフォードは、驚いた様子を見せず、予想していたかのような反応だった。
「今のところ期限付き。父さんが死ぬ前、ルシアンに私の母さんの故郷について話をしたんだって。父さんの遺言みたいなものだから、行ってみようと思うの。隣国のアイーダにあるって事と村の名前しかわからないけど...。もし、母さんのお墓があるのなら父さんのこと、報告したいから」
「団長の細君の故郷か」
「うん。母さんのこと、私ほとんど覚えてないから。知りたいと思って」
ギルフォードは、静かに頷いた。
「分かった。気を付けて行ってこい」
「うん、…ありがとう」
「ただ、一つだけ言っておくぞ」
ギルフォードの隻眼が、ルシアンに向いた。
鋭いが、しかしどこか温かみのある眼差し。
「ルシアン」
「はい」
「クレアを頼む…いや、違うな」
ポリポリとこめかみをかくと、ギルフォードは、ルシアンの耳元に近づいてささやくように言った。
「クレアの隣にいてやってくれ。お前も歳のわりに色々背負っているんだろう?二人で支え合うといい」
その言葉に、ルシアンは背筋を伸ばした。
「はい、約束します」
クレアはギルフォードがルシアンに何を約束させたのか、訝し気な表情をうかべる。
「まあ頼む、こいつは俺たち全員の娘みたいなもんだからな」
ギルフォードが笑いながら立ち上がると同時に、階段からドタドタと足音が響いた。
「流石に、昨日は酒ばかりだったから腹減ったな」
「あれだけ飲んで食欲があるっておかしいだろ、俺はスープだけでいい」
「俺は水だけでいい…」
ジムが寝癖だらけの頭を掻きながら降りてくる。続いてアレン、そして二日酔いなのかこめかみを押さえるようにしながらハイドも姿を見せた。
「あれ、クレアにルシアン。副団長も早起きですね」
こちらに気付いたジムが近寄ってくる。
「おい、ギルフォードさんが今日から団長だ」
ジムの言葉を訂正するアレン。
「そうだった、早く呼び慣れないといけないな...、ってクレアとルシアンも...その格好と荷物は?」
ジムが二人の旅装を見て驚いた表情を浮かべる。
「ちょっと行くところがあって、暫くのあいだ、団を離れるからよろしくね」
「サイクロプス団を抜けるわけじゃないのか?」
アレンが疑問を口にする。
「違うよ、父さんがいなくなっても私はここを、ここのみんなを家族だと思ってるから、色々済んだら帰ってくるつもり」
ジムとアレンが、顔を見合わせた。
「で、クレアにルシアンが同行する?」
「そう、色々あるの。詳しくは後でギルフォードに聞いて」
クレアが立ち上がり、旅装を肩にかけた。
ルシアンも続いて立ち上がる。
「クレア」
ハイドが、静かに声をかけた。
「お前のことだから、めったな事はないと思うが、気をつけてな」
「…うん、ありがとう」
ジムが、ルシアンの前に立った。
ぐっと顔を近づけてくる。
「おい、ルシアン」
「な、なんですか?」
「男をみせろよ、いい報告を期待してるぜ!」
そう言いながら、チラチラとクレアに視線を送る。
「とはいえ、クレア相手に力づくは駄目だ。下手をすると潰されるから気を付けろよ」
ジムに並んでアレンも笑いながらルシアンに耳打ちする。
「この旅は、そんなんじゃないですよ」
たった数日ではあったが、年嵩の戦友に揶揄われて苦笑するしかない。
「まあ、ゴリアテ団長も、娘の為に必死に駆け付けたお前の事を認めていたみたいだし、何よりクレアがお前を頼ってる。頑張れよ」
口はひらけど、アレンの言葉になんと答えたものか、とっさに出てこない。
何ともいえない表情をしたところで、早々に宿の入口まで歩を進めていたクレアから声がかかった。
「行くわよ、ルシアン」
「ああ、わかった」
入口の扉に手をかけたふたりにギルフォードが声をかける。
「死ぬなよ」
短い言葉だったが、二人の耳に残った。
盗賊団と、イリスというソーサレスによる仲間の死、魔物や魔獣が異常行動をとるノクスラント、そして極めつけは劫魔という化け物と、ゴリアテやフォードの死。
市井の民より遥かに死に近いところに身をおきつつも、自分にはまだその日は訪れない。
そんな考えは幻想である事を思い知ったばかりの二人は、それぞれ頷き宿を出た。
早朝ということもあり、朝の清涼だが冷たい空気が頬を撫でた。
「ジムやアレンとコソコソ話してたけど、もしかして私の悪口?」
「そんな訳ないだろ。絶対にクレアを守れ…みたいな話だよ」
「ふーん...、それにしちゃニヤニヤ話してたけど、そういうことにしておくか。あ、馬車乗り場はこっちよ」
スタスタと先をあるくクレアの後を慌てて追うルシアンだった。
―――――――――――
カーレストからかつてのロス公爵領の『公都ヴァーレン』までは、馬車で半刻ほどの距離だ。
乗合馬車の待合い小屋には予想よりも先客がいた。
早朝のこんな時間に、カーレストからヴァーレンへ向かう客がこれほどいるとは思わなかった。
客層を見渡すと、半分ほどは身なりの地味な女や老人だった。
荷物だけは多い。生活用品を詰め込んだ大きな袋を抱えている者が目立つ。
不穏なノクスラントから距離をおこうと考えているのかもしれない。
商人らしき者も若干いる。
元々ノクスラントは独自の植生などから希少な薬草などが採取できる。
手持ちの荷物の中は採取した戦利品で、鮮度が高いうちに公都で売ろうと考えているのかもしれない。
馬車の定員はつめて十人ほど。
一本見送る必要があるかも、と思ったが華奢な女性や老人がつめ合うことで何とかルシアンとクレアも乗り込むことができた。
「まだ朝早いのに、混んでるね」
クレアがつぶやく。
「定員オーバーで、馬も少し辛そうだね」
ルシアンが苦笑しながら答える。
「少し、肩借りるね」
ルシアンは自分の左肩に重さを感じた。
今朝も間近でみた赤銅色の髪が目の前で踊る。
「なんだか寝不足なの。昨日、あんまり寝れなかったから」
本当だろうか?自分が目覚めたときはしっかり寝ていたように見えたが、聞くのは野暮だろう。
「いいよ、着いたら声をかける」
クレアは目を閉じた。
規則正しい呼吸。眠っているのか、そうでないのか分からない。
馬車の外に目をやると、朝の光を浴びた街道が、ゆっくりと後ろに流れていく。
時折、クレアに目をやる。
朝は動揺して落ち着いてみることができなかったクレアの顔。
閉じた瞼。長い睫毛。形の良い鼻。薄い唇。
(あらためて…綺麗だな)
そう思った瞬間、クレアの目が薄く開いた。
慌てて目をそらす。
「…何、見てるの」
「いや...何も」
「嘘、見てたでしょ」
「気のせいだよ」
「私のもう一つの力、忘れた?目を閉じてても周囲の事は把握できるんだから」
クレアの唇が、微かに弧を描いた。
からかうような、しかしどこか嬉しそうな笑み。
「こんなことに力を使うなんて聞いてないよ...」
クレアが使えるもう一柱の『神の力』をこんな時に使うとは予想外だった。
「寝顔も美人だなと思って見てた」
ふてくされるように答えるルシアン。
「…でしょ?そこは母さんに感謝だね」
そう言うと、クレアは満足したように再び目を閉じた。
今度こそ本当に眠るつもりなのか、呼吸が深くなっていく。
ルシアンは、そっと息を吐いた。
心臓が少し速い。でも不快じゃない。
馬車は、ヴァーレンへ向かって進み続けた。
―――――――――――
公都ヴァーレンに近づくにつれ、街道の往来が増えていった。
商人の荷馬車、旅人、そして...兵士の姿が目立つ。
「なんか、騒がしいわね」
目を覚ましたクレアが、窓の外を見て呟いた。
ルシアンも同じことを感じていた。
人が多いのだ。特に、兵士の姿が目立つ。
馬車は予定通りヴァーレンの西門前で停まる。
降りようとすると、兵士に呼び止められた。
「待て。身分と目的を述べよ」
「ノクスラントの魔獣討伐依頼を受けている『サイクロプス団』の傭兵です。物資の仕入れにヴァーレンにきました」
ルシアンに先んじてクレアが兵士に答える。
「あのサイクロプス団の?ずいぶんと若いな...。まあ良い、街中での抜刀は禁止だぞ。」
「はい」
兵士の態度に少々高圧的なものを感じたが、それ以上の詮索はなかった。
門をくぐると、さらに騒がしさが増した。
街路には人が溢れ、兵士たちが慌ただしく動き回っている。
「何かあるのかな」
「かもしれない、野次馬も多い感じだし」
クレアが周囲を見渡す。
ルシアンも同じ疑問を抱いていた。
「すみません、俺たち、今ヴァーレンに着いたばかりなんですが、何かあったんですか?」
近くにいた街の住人然とした男に声をかけた。
「ん?ああ、知らんのか。もう直ぐノヴァク公爵様がこの街にいらっしゃるんだよ」
「ノヴァク公爵......様が?」
「ああ。なんでも、ノクスラントの視察でカーレストまで行く途中に立ち寄るらしいぜ。公爵様が直接ヴァーレンにいらっしゃるのは八年、いやもう九年前か?ロス公爵の反逆を鎮圧して以来だから、街を挙げて歓迎するようにと、公爵様の弟、アルトン卿のお触れがあったのさ。それでこの騒ぎだ」
『ノヴァク公爵』
『ロス公爵の反逆』
ルシアンの胸に複雑な感情が渦巻いた。
ラインバッハ・ノヴァク公爵。
父ファーガスに反逆の汚名を着せ、ロス家を直接滅ぼした男。
九年前、ルシアンから両親と故郷と、すべてを奪った男。
「ルシアン?」
クレアが、心配そうに覗き込んできた。
「…大丈夫。ちょっと、思い出しただけ」
笑ってみせたルシアンに、クレアはそっとルシアンの手をとって指を絡めた。
「…行こう。こんな有様だし、先に宿を確保した方がいいかも」
「うん…」
二人が混みある大通りを避け、裏通りに向かって歩き出そうとした時、大通りの東門の方から四頭立ての豪奢な馬車が入ってきた。馬車は速度を落とすと目の前に止まった。
兵士が集まった群衆を道の端に押しやる。
奇しくも、ルシアンとクレアがいた場所は、街の中心『領務館』の前だったらしい。
「ラインバッハ・ノヴァク公爵様のご到着だ、拍手をもってお出迎えせよ」
兵士たちの怒号が飛ぶ。
馬車の入口に向かって跪く壮年の男、身なりから彼が普段この街を治めているノヴァク公爵の弟、アルトン・ノヴァク卿なのだろう。
ルシアンとクレアも、人波に押されて道の端に追いやられた。
ノヴァク公爵家の紋章が入った馬車の入口が静かに開くと、黒に金の意匠をしつらえた服をまとった男が降りてきた。歳は五十前後だろうか?身体が大きいが肥満ではない。筋骨隆々の身体と無駄のない動きは貴族というよりも、練達の武芸者を連想させた。
銀髪を後ろに撫でつけ、鋭い目で周囲を見渡す。
拍手で出迎える住人にぐるりと視線をやるが、その表情はまるで変わらない。
貴族にある『尊大な態度』というよりも、『つまらぬもの』を見るような...
跪いていたアルトン卿が、立ち上がりラインバッハに頭を垂れる。
「兄上、ようこそヴァーレンへ、民達も兄上を歓迎しております」
「うむ」
ラインバッハは、まったく表情を変えず軽く頷いただけだった。
対して、アルトン卿の表情には緊張が見えた。
アルトンの態度には、敬意だけでなく、恐れが滲んでいるように見えた。
実の弟が、兄をあんな目で見るものだろうか。
その様子を眺めていたルシアンの視界が突然歪んだ。
(……なんだ?)
魔眼が左目が反応している。
ラインバッハを見ていた目に開けていられないような痛み。
目を開けていられない。
そして、隣のクレアも、微かに身を強張らせていた。
「ルシアン、何か変...」
「…ああ、俺も」
何かがおかしい。
言葉にできないが、本能が警告していた。
ここを離れた方がいい。
アルトンに案内されて領務館に入ろうとしていたラインバッハがふいに振り返った。
その視線がルシアンとクレアのいる一群を睨みつける。
無機質なラインバッハの顔に初めて表情らしいものが見てとれた。
怒り
恐らくそれが一番近い言葉だろう。
視線の先にいたルシアンとクレアの背筋に、冷たいものが走った。
見られている。
これだけ大勢の、人混みの中にいるはずなのに、恐らくあの男は自分たちを見ている。
だが、次の瞬間には視線は外れ、ラインバッハは館の中へと歩いていった。
「…行こう」
クレアが、ルシアンの手を引いた。
「ここを離れた方がいい」
「うん…」
二人は、人混みを縫うように大通りから離れた。
路地裏に入り、ようやく足を止める。
「今の…なんだったのかな?」
クレアの声が、僅かに震えていた。
「分からない、俺も魔眼を開けていられなくなった」
ルシアンは、自分の手を見た。
まだ、僅かに震えている。
ラインバッハ・ノヴァク公爵。
父を死に追いやった仇敵だという男。
およそ九年前の記憶は、正直なところ曖昧だ。
当時はまだ七歳で、何が起きているのかも分かっていなかった。
だから、強い恨みがあるかと問われれば、正直分からない。
むしろ、それが自分を薄情な人間に思わせた。
クレアとゴリアテのような、まっとうな親子の愛情を見た後では、なおさら。
だが、今、あの男に感じたのは恨みとは別の何かだった。
恐怖、あるいは、本能的な拒絶。
「…とりあえず、今日は宿を取ろう」
クレアが、気を取り直すように言った。
「あの男は、カーレストに行くらしいから、明日、人が少ない時に動こう」
「うん、そうだね」
ルシアンは、深呼吸をした。
旧ロス公爵邸。
クレアが『下見』をしてくれた、九年ぶりに訪れる生家。
「行こう」
クレアが、再びルシアンの手を取った。
二人は、今夜の宿を探してヴァーレンの裏通りを歩き始めた。




