表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/31

第二六話 故郷へ

意識が、ゆっくりと浮上した。


瞼の裏に、柔らかな光を感じる。宿の小窓から朝の陽光が差してるに違いない。


久しぶりに、深く眠れた気がした。


ノクスラントに入ってから...いや、クレアの手紙を読んでからずっと張り詰めていた緊張が、ようやく解けたのだろう。


ルシアンは目を開けようとして、違和感に気づいた。


身体が、動かない。

いや、動かないのではない。何かが、のしかかっている。

温かくて、柔らかい、何か。


そっと目を開けた。

赤銅色の髪が、視界いっぱいに広がっていた。


「...え?」


心臓が、跳ね上がった。


クレアだ。


クレアが、ルシアンの胸に顔を埋めるようにして眠っていた。

ルシアンの右腕は、いつの間にかクレアの背中に回されていて、左腕はクレアの手に握られていた。


(え、えええ……!?)


混乱が、頭の中を駆け巡る。

どうしてこうなっている?


昨夜、クレアが泣いて、それを抱きしめて...そこまでは覚えている。

二人とも疲労の極致だっただけに、いつの間にか眠ってしまったのだろう。


クレアは、まだ眠っているようだった。

規則正しい寝息が、ルシアンの胸元に当たる。


こんなに近くで、明るいところでクレアの顔を見るのは、初めてだった。

長い睫毛。形の良い鼻。薄く開いた唇。

戦場で見せる鋭い表情とは違う、無防備な寝顔。

昨夜泣いたせいか、目元が少し腫れている。


ルシアンは、自分の心臓がうるさいほど鳴っているのを自覚した。

この音で起きてしまうんじゃないか。そう思うほどに。


どうしようか。起こすべきか。このまま寝かせておくべきか。

でも、このままだと...


クレアの身体が、微かに動いた。

寝返りを打とうとしたのか、ルシアンの胸に頬を擦り付けるように身じろぎする。

その拍子に、クレアの身体がさらに密着した。


柔らかな感触が、ルシアンの胸板に押し付けられる。


(まずい、まずい、まずい...!)


顔が熱くなる。

目のやり場に困る。

そして、図らずも全身で感じる「幸せな感触」に抗うように理性が激しく警鐘を鳴らしていた。


気をそらそうとして天井を見る。窓の外を見る。だがどこを見ても意識がクレアに向かってしまう。


もう一度、クレアを見た。


眠っている。

昨夜あれだけ泣いて、ため込んでいたものを出す事ができたのか、安心したような穏やかな表情に見える。


ルシアンは、そっと左手を動かした。

クレアに握られていた手を、ゆっくりと引き抜く。

起こさないように、慎重に。


そして、その手で…恐る恐る、クレアの髪に触れた。


赤銅色の綺麗な髪は、見た目通り柔らかかった。

朝日を受けて、淡く輝いている。


抗うことのできない『愛おしい』という感情がこみ上げてゆっくりと髪を撫でた。


クレアの睫毛が、ぴくりと動いた。


「…ん」


小さな声が漏れた。

クレアの目が、ゆっくりと開く。


琥珀色の瞳が、ルシアンを捉えた。

体感で永遠のような数秒間、二人は無言で見つめ合った。


「………」


「………」


沈黙。


言葉より先に、状況を理解したクレアの顔が、みるみる赤くなっていく。


「…っ!」


弾かれたように、クレアが身体を起こした。

ルシアンも慌てて上体を起こす。


「お、おはよう」


「お、おはよ……」


ぎこちない挨拶。

二人とも、目を合わせられない。


「あの、その……」


「ご、ごめん、私、いつの間にか寝ちゃってて……」


「いや、俺も…疲れてて…あ、勝手に髪に触ってごめん…」


言い訳じみた言葉を、互いに交わす。


クレアは、ベッドの端に座り直し、ルシアンとの間に、少し距離ができる。

変わらず近くにいるのに、僅か数十センチの距離がやけに遠く感じた。


窓から差し込む朝日が、クレアの横顔を照らしている。

寝起きで少し乱れた髪。昨夜の涙の跡が残る目元。

それでも…いや、だからこそ、綺麗だと思った。


「……あの、さ」


クレアが、ようやく口を開いた。

まだ頬が赤い。


「昨日は、その、ありがとう」


「いや……俺は、何もしてないけど」


「してくれたよ」


クレアは、ちらりとルシアンを見た。

すぐに視線を逸らしたが、その一瞬で目が合った。


「助けに来てくれたから生きて帰ってこられた。辛い時にそばにいてくれた。改めてありがとう」


その言葉に、ルシアンは何と答えればいいか分からなかった。


クレア達の目的だったゴリアテを救えなかったという無力感、それでも生きて帰る一助にはなったという実感、そして大切な人の心を少しでも軽くできたのであれば…と、様々な思考や感情で言葉が出なかった。

ただ、胸の奥が温かくなるのを感じた。


再び、沈黙が落ちた。

特に気まずいわけではない。ただ、どう言葉を繋げばいいか分からないだけだ。


先に口を開いたのは、クレアだった。


「…ルシアンは、これからどうするの?」


「これから?」


「うん。ノクスラントまで来てくれたけど……元々、何か予定があったんじゃないの」


ルシアンは、少し考えた。

自分がノクスラントに来た理由。それは単純だった。


「手紙を読んで…心配だったから、来ただけだよ」


「え?」


「ゴリアテさんが行方不明で、救出に向かうって書いてただろ?いてもたってもいられなくて、書置きだけ残して飛び出してきた」


クレアは、目を丸くした。


「書置きだけ?ゲイル団長に許可とか…」


「とってない。少し長めに、三ヶ月ほど休暇をくださいって書いてきた。多分、帰ったらめちゃくちゃ怒られるだろうな」

そういって笑うルシアン。


「お礼を言っておいてなんだけど、馬鹿ね」

クレアが、呆れたように呟き、ルシアンの胸にそっと手を当てる。

言葉とは裏腹にどこか嬉しそうな響きがあった。


「だから…サルタニアに戻って、団長に謝らないといけない…かな」


「…そっか」


クレアは、小さく呟いた。

その声が、どこか寂しげに聞こえたのは、気のせいだろうか。


「クレアは……どうするの?」


ルシアンは、聞き返した。


「私は…」


クレアは、窓の外を見た。

朝のカーレストの街並みが見える。城塞都市の灰色の建物が、朝日に照らされている。


「サイクロプス団のホームは、シュミット領にあるの。当たり前だけど、この宿は依頼を受けている間だけの仮拠点」


「うん」


「ノクスラントでの依頼は…正直、もう続けられないと思う。劫魔なんて化け物がいるなんて、ギルドもその依頼主である国も分かってなかっただろうし、アレはいち傭兵団の手に負える相手じゃない。ギルフォードも、そう判断するはず」


クレアは、膝の上で手を組んだ。


「だから、多分…シュミット領に、ホームに戻ることになる…のかな?」

語尾が、疑問形になった。


断言できない、という気持ちが滲んでいた。


「…何か迷ってるの?」


ルシアンは、静かに聞いた。


クレアは、しばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。


「…父さん、私に傭兵になってほしくなかったんだなって、昨日話したでしょ」


「うん」


「それを知っちゃったら…このままでいいのかなって考えちゃってさ」


クレアの声が、少し震えた。


「サイクロプス団は家族だよ。父さんがいなくなっても、ギルフォードも、アレンも、ジムも、みんな大切な人たち。でも…」

言葉が、途切れた。


「……あと、もう一つ」

クレアは、ルシアンを真っ直ぐに見た。


「父さん、最期にルシアンに何か言ってたよね。『さっき伝えたことを頼んだぞ』って」

ルシアンは頷いた。


「あれ、何を頼まれたの?」


僅かな不安と興味の入り混じった声音。ルシアンは正直に答えるべきだと思った。


「…クレアのことを、頼まれた」


「私のこと?」


ルシアンは、ゴリアテの言葉を思い出した。


「うん。それと『クレアがお母さんのことを知りたいって言ったら、連れていってほしい場所がある』って」


クレアの目が、大きく見開かれた。


「母さんの、こと……?」


「リーフェ村って知ってる?隣の連合国家アイーダにある、お母さんの故郷の村だって」


「……」

クレアは、しばらく言葉を失っていた。


「どうする? 行きたい?」

ルシアンは、静かに聞いた。


「……正直、分からない」

クレアは、視線を落とした。


「前に言ったけど、母さんのこと、ほとんど覚えてないの。優しい人だったなってくらい。顔も、声も、ぼんやりとしか。七歳か八歳で死んじゃったから……」


「そっか」


「でも」

クレアは、顔を上げた。


「父さんが、ルシアンにそう言ったなら…私がそこに行く意味があるんだと思う」

その言葉には、迷いと、それでも前に進もうとする意志が混在していた。


「隣国のアイーダまで結構な長旅になるけど、私が頼んだらルシアンは一緒に行ってくれるの?」


「うん、ゴリアテさんとの約束だからね」


その言葉を聞いたクレアは何故か苦笑した。

「まあ、今はその言葉で満足しておく」


ふと、クレアはあごに指をあてて思い出したように言った。

「…ねえ、ルシアン」


「うん?」


「私のルーツを探してくれる前に、何か忘れてない?」


クレアが、少しだけ笑った。

昨夜の涙の後で見せる、最初の笑顔だった。


「ここ、ノヴァク直轄地は元はロス領でしょ?あなたの故郷じゃない」


「そうだね、一応」


「手紙に書いたよね。私があなたの生家に行ったことと、旧ロス公爵邸を案内するって」


「見張りをかわして、危険な中を見に行ってくれたんだよね、本当にいいの?」


「勿論、当たり前でしょ」


クレアは、立ち上がると窓辺に歩み寄り、朝日を浴びながら振り返る。


「じゃあ、まずはあなたの生家に行こうよ」


「俺の生家から?」


「私より、先にそっちでしょ。だって、あなたの生家がある公都ヴァーレンまでは馬車で半刻の距離だよ。すぐ近くにいるんだからそっちからでしょ」


逆光の中で、クレアの表情は見えにくかったが、普段のクレアの調子が戻ってきた気がする。


「父さんのことがあって…私、自分のことでいっぱいいっぱいだった。でも、ルシアンだって色々抱えてるでしょ」


「……」


「八年前に何があったのか、あなたの家族に何があったのか。私に話してくれたこと、忘れてないよ」


ルシアンは、胸が詰まるような感覚を覚えた。

自分は、クレアが心配で、支えるつもりでここに来た。

でも、父を失った悲しみの中にいるはずのクレアは、ルシアンのことを気にかけてくれている。


「だから、まずはそっちに行こう、そしたらアイーダにあるというリーフェ村。私はともかく、ガーゴイル団に長い間戻れないけど本当にいいの?」


不安そうな表情のクレアに、安心するように微笑みながら手を差し出した。

「もちろんだよ」


ルシアンが差し出した手をクレアが握り返す。


「じゃあ、二人そろって暫く傭兵はお休みだね、早速出発しようか」

朝日を背にしたクレアの姿は、眩しかった。

赤銅色の髪が光を受けて輝いている。琥珀色の瞳が、真っ直ぐにルシアンを見ている。



「……ああ、行こう」


「でも、その前に顔洗ってくる。寝起きのままじゃ恥ずかしいし、ギルフォードにも話しておかないと」

今更ながら、泣きはらした後だったことを思い出したようだ。


「俺も、少し準備をしたいかな」


「じゃあ、下で待ち合わせね。朝ごはん、食べてから出発しよう」


クレアは、部屋を出る直前、振り返った。


「……ルシアン」


「うん?」


「本当に、ありがとう」


そう言って、クレアは出ていった。


一人残されたルシアンは、しばらくその場に立ち尽くしていた。

右手には、まだクレアの手の温もりが残っている気がした。


窓の外では、朝日がカーレストの街を照らしていた。

新しい一日が、始まろうとしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ