第二四話 託されしもの
「今度は逃げるなよ、傭兵王」
ザルガが、ゆっくりと黒い剣を構えた。
「前回のような煙玉は通用せん。あの時は不意を突かれたが、同じ手は二度と食わん」
「逃げる気はねえよ」
ゴリアテは、背中の鞘から大剣を抜いた。
赤みを帯びた刀身が、木漏れ日を受けて鈍く輝く。軽量化と不壊の魔術が付与された魔剣
——銘はヴァーミリオン。傭兵王ゴリアテの名と共に知られている業物だ。
「ほう、死ぬ覚悟ができたか」
「馬鹿を言え、てめえばかりガタガタぬかすな。こっちも条件がある」
ゴリアテは、右足を庇いながら剣を構えた。
「俺が勝ったら、下級どもを引かせろ」
「……ほう?お前がこのザルガに勝てるとでも?」
「ハッ、俺様に勝つ自信があるなら受けても問題ねぇだろ?そして誇り高い劫魔様は、約束を違えたりしないんだろう?」
挑発めいた言葉に、ザルガは愉快そうに喉を鳴らした。
「面白い。いいだろう、約束しよう」
ザルガは下級劫魔たちに向き直った。
「聞け、下級ども。万が一、万が一だ。我がこの人間に敗れたならば、お前たちは速やかに退け!」
下級劫魔たちは会話ができないようだ。故にザルガの命令を理解したのか分からないが、一斉に動きを止めてザルガを注視したことから、意思疎通はなされたのかもしれない。
「さあ」
ザルガが、再びゴリアテに向き直った。
「始めようか、傭兵王」
――――――――――
二つの影が、激突した。
ゴリアテの大剣が弧を描き、ザルガの持つ黒剣と噛み合う。赤と黒の大剣同士、金属がぶつかり合う甲高い音が、森に響いた。
同時に、下級劫魔たちが動き出した。
「来るぞ!」
ルシアンの魔眼が、赤い軌跡を捉える。獣型の劫魔が飛びかかってきた。獣のように見えて、足は昆虫のように胸部から六本のびている。通常の獣とは関節の位置がまるで違った。
予測した位置に剣を振るう。だが、関節が逆方向に曲がり、爪が予想外の角度から襲ってきた。
「くそっ!」
盾で受けたが、衝撃で腕が痺れた。
「気持ちわりぃ動きでよけるんじゃねえよ!反則だろ!」
ジムが悪態をつきながら、バスタードソードを振り下ろす。渾身の一撃が劫魔の頭部を叩き割った。
だが、頭を砕かれた劫魔は、何事もなかったかのように動き続けた。
「嘘だろ!? 頭カチ割っても死なねえのかよ!」
「心臓があるのか分からんけど、身体の中央、胸が弱点だったりしませんかねっ!!っと」
アレンが叫び、ロングソードを突き出した。刃が劫魔の胸を深々と貫く。
しかし、劫魔は怯みもしなかった。むしろ、剣を刺されたまま前進し、アレンに爪を振るう。
「マジかよ……!」
慌てて剣を引き抜き距離をとる。
――――――――――
一方、ゴリアテとザルガの戦いは激しさを増していた。
ゴリアテの片腕で振るわれているとは思えぬ剛剣。だが、ザルガは難なく受け止めていた。
「どうした、傭兵王。その程度か?」
返す刃が、ゴリアテの首を狙う。
身を捻って躱したが、右足が悲鳴を上げた。踏み込みが浅くなる。本来ならば相手の懐に飛び込むべき場面で、半歩が足りない。
「足が動かんようだな。前回の傷か?」
ザルガが、嘲るように言った。
「人は惰弱よな。その程度の傷を治すこともできぬとは。まあ、良い。これも娯楽だ」
――――――――――
「脳も心臓も急所じゃない、むしろ通常の生物のように弱点があるかどうかも怪しいな」
一方、ギルフォードが、下級劫魔を相手に状況を分析していた。不慣れな片目で戦場全体を俯瞰しようとする。
だが、右側の視界がない。死角から襲いかかる劫魔に、反応が遅れた。
「副団長、右!」
フォードのクロスボウが唸り、矢が劫魔の目を射抜いた。白い体液が飛び散り、劫魔が怯む。
「すまん、助かった……!」
「目を狙うのは、こいつらにも有効です」
フォードは短く言って、次の矢を番えた。寡黙な彼らしい、必要最低限の言葉だった。
「あのデカブツも目を潰すのは有効だったな。お前ら、目を狙え!」
ギルフォードの指示が飛ぶ。
クレアが二刀を閃かせ、不定形の劫魔に斬りかかる。琥珀色の瞳が金色に輝き、ショートソードが閃光のように走る。
金色の目が、次々と潰れていく。加えて常人では目で追えない剣速は劫魔の身体を削り落としていく。白い体液が飛び散り、クレアが相対していた一体の劫魔の動きが止まる。
だが——
クレアの意識は、半分以上が父の戦いに向いていた。
重い剣戟の音が聞こえる。同時に研ぎ澄まされた知覚が父の荒い息遣いを捕らえていた。
(父さん……!)
見たい。駆け寄りたい。助けたい。
だが、代わって押し寄せる目の前の敵が、それを許さない。
――――――――――
ゴリアテとザルガの剣が、再び交差した。つばぜり合いの恰好だがゴリアテは踏ん張りがきかず押し切られる。
黒剣が、再び襲いかかる。
ゴリアテは大剣で受けたが、衝撃で体が押される。
膝をついたゴリアテの胸に重い蹴りが入った。
「ぐっ……!」
体が吹き飛び、木の幹に背中を打ちつける。口から血が溢れた。
「父さん!」
クレアの悲鳴が響いた。
クレアの、周囲の全てを知覚する力が、目で視ずともゴリアテの危機を正確に捉えてしまう。
割って入りたい。だが、目の前の劫魔が倒れてくれない。
(お願い、持ちこたえて……!)
祈るような気持ちで、クレアは剣を振るい続けた。
――――――――――
「フォード、援護を続けろ!俺たちで前を抑える!」
ギルフォードが指示を出した。
フォードのクロスボウが、的確に劫魔の目を射抜いていく。中距離からの援護射撃は、徐々に戦況を支えていた。
ギルフォードが考える有効な戦略は二つ。
一つ目は金目を潰し視覚を奪うこと。
二つ目は手や足といった移動手段を奪うことだ。
「よっしゃ、これで三体目!」
ジムが、渾身の一撃で劫魔の脚を叩き斬った。バランスを崩した劫魔に、アレンが追撃を加える。
「ジム、次は左から来てる!」
「おう!」
二人の連携が、徐々に噛み合い始めていた。
だが、その時だった。
「ぐあっ!」
フォードの悲鳴が響いた。
――――――――――
大型の劫魔——海洋生物のような、ぬめりを帯びた体躯を持つ異形——が、いつの間にかフォードの背後に回り込んでいた。
触手が、フォードの右足を掴んでいる。
「フォード!」
アレンが駆け寄ろうとしたが、別の劫魔に阻まれる。
フォードは咄嗟にクロスボウを捨て、腰からショートソードを抜いた。右足に絡みつく触手を斬ろうとする。
だが、体表をぬめる液体のせいか刃がまったく通らない。
「……っ!」
何度斬りつけても、触手の表面で刃が滑るだけだ。
そして、触手が足を締め上げ始めた。
ペキ、ペキ、と嫌な音が響いた。フォードの骨が砕ける音だ。
「ぐ、ああ……っ!」
フォードの顔が苦痛に歪む。普段は感情を表に出さない彼が、声を漏らしている。足首から腿へ、触手の圧力で骨が砕けていく。
「フォードさん!」
ルシアンが叫んだ。駆け寄ろうとするが、目の前の劫魔が立ちはだかる。
魔眼が、フォードの周囲を深紅に染め上げていた。彼に死が迫っているのが視えてしまう。
「誰か……フォードを……!」
ギルフォードが投擲用のダガーを放った。だが、劫魔の体表で弾かれる。
クレアが身をひるがえして駆けつけようとした。が、間に合わない。
フォードの右手が力を失い、ショートソードが地面に落ちる。
触手によって身体が、ゆっくりと持ち上げられた。真下には大きな口が待ち構えていた。
「すまん……」
フォードの目が、ゴリアテの戦う方を向いた。
「団長を……頼ん——」
その言葉は、最後まで紡がれなかった。
劫魔の巨体がフォードの身体を飲み込み、不気味で無慈悲な咀嚼音が、森に響いた。
大きな口の端から赤い血が滴り、地面を濡らす。
「「フォオオオオド!!」」
アレンとジムの絶叫が、木々を震わせた。
――――――――――
「おお、一人死んだか」
ザルガが、戦いながら嘲笑った。
「仲間が死ぬのは辛かろう。だが、これが現実だ。人間と劫魔の差というものだ」
「貴様……!」
ゴリアテの大剣が、怒りを帯びて振るわれる。
だが、ザルガは余裕を持って受け流した。
「いかんな、剣が乱れているぞ、傭兵王。もう少し冷静になれ」
――――――――――
ルシアンは、フォードの死を目の当たりにして、一瞬動きが止まりそうになった。
だが、歯を食いしばった。
(これ以上、誰も死なせない)
魔眼を最大限に働かせる。自分だけでなく、クレアを、ギルフォードを、ジムを、アレンを
——ゴリアテ以外の全員を意識の中に入れる。
視界が、赤い警告で埋め尽くされそうになる。
だが、その中から、最も危険な光を見極める。
「ギルフォードさん、右後方!死角から来ます!」
「!」
ギルフォードが即座に振り返り、襲いかかる劫魔を迎え撃った。
「ジムさん、そいつはもう動けません!そのまま止めを!」
「おう!」
ジムの大剣が、劫魔の胴を両断した。
「アレンさん、左の奴から片付けましょう!目が少ない!」
「ああ、了解だ!」
アレンが、指示通りに動く。
ルシアンは、戦いながら全体を見ていた。
(俺にできることは、これだ。皆を見て、危険を伝える。それが、今の俺に出来る全力だ。ゴリアテさんの集中力をこれ以上削ぐようなことはさせない!)
――――――――――
「剣の打ち合いも飽きてきたな」
そう言うと、ザルガの左手に炎が生まれた。
「我の魔術、しのいでみろ」
火球が、ゴリアテに向かって放たれる。
迫る火球をゴリアテは避けなかった。
大剣ヴァーミリオンの側面で火球をすくい上げるように軌道を逸らす。赤い刀身が炎を弾き、火球は木々の間に消えていった。
「ほう、器用なことをする」
ザルガが、感心したように言った。
「ならば、これはどうだ?」
今度は、稲妻だった。
黒い雷光が、ゴリアテに向かって走る。
火球とは違い、軌道を逸らすことはできない。
雷撃が、ゴリアテの全身を貫いた。
「がああっ……!」
肌が焼ける臭いが立ち込める。全身に火傷を負いながら、それでもゴリアテは倒れなかった。
「まだ立つか。大したものだ」
ザルガが、ゆっくりと近づいてくる。
「だが、もう限界だろう。終わりにしてやる」
その時、ザルガの目が動いた。
戦場の片隅で、赤銅色の髪が舞っていた。
クレアだ。二刀を閃かせ、下級劫魔を次々と斬り伏せている。その動きは、他の男たちとは次元が違った。
「あの娘も……貴様と同じ、メイスの加護持ちか…いや」
ザルガの目が、妖しく光った。
「いや、それだけではない。まさか『モス』の力とも共鳴している……?」
その瞬間、ザルガの表情が変わった。
愉悦が消え、憎悪が浮かんだ。
「モス……あの忌まわしき女神の力だと?」
ザルガの声に、怒りが滲んだ。
「ヴァイセン様を封じた三柱の一柱……憎きモスの加護を受けた小娘が、私の前に現れるとはな」
ザルガは、ゴリアテを見下ろした。
「傭兵王よ、予定を変更だ。貴様より先に、あの娘を殺す。モスの名を呪いながら死なせてやる」
その言葉に、ゴリアテの目が変わった。
怒りではない、覚悟だ。
静かな、しかし絶対的な覚悟。
「……そうか」
ゴリアテは、深く息を吸った。
「なら——」
残った力を、全て込める。
「——絶対に、お前を殺す」
――――――――――
ゴリアテの動きが、変わった。
右足の痛みを無視し、踏み込む。雷撃の火傷も、もはや意識の外だ。
ただ、娘を守るために。
この化け物を、殺すために。
「ほう……!」
ザルガが、初めて驚きの声をあげた。
いっさいの守りを捨てたゴリアテの大剣が、一番の鋭さを以って襲いかかる。
剣を受けようとしたザルガの黒剣が遅れた。
ヴァーミリオンが、ザルガの肩を深く斬り裂いた。白い血が噴き出す。
「ぐっ……!やるな、傭兵王!だが、終わりを早めただけだ!」
肩に食い込む大剣の痛みなど無いかのように、黒剣がゴリアテの腹を貫いた。
「がはっ……!」
血が溢れる。致命傷だ。
だが、ゴリアテは剣を離さなかった。
「……もらった」
腹を貫かれたまま、ゴリアテは前に出た。
ザルガの目が、驚愕に見開かれた。
「馬鹿な……!死に体で、まだ——」
「黙れ」
ゴリアテの大剣が、右の肩口から左に抜ける。
中空で下半身と分断されたザルガの上半身、首に向かって左からヴァーミリオンが弧を描いた。
「がっ——」
白い血が噴き出し、ザルガの首が宙を舞った。
――――――――――
ドンッ…という音と共にザルガの下半身、上半身、首が同時に地に落ちる。
同時に腹に黒い大剣を刺したままゴリアテは膝から崩れ落ちた。
「父さん!!」
クレアが、全てを放り出して駆けた。
足が絡まりそうになる。息が苦しい。視界が滲む。
(嘘、嘘よ、こんなの——)
父の傍に辿り着いた時、クレアの手は震えていた。
転がったザルガの首が、まだ動いていた。唇が、恨み言を紡ごうとしている。
「お、のれ……人間、風情が……モスの…ヴァイセン、様に……」
クレアは、その首を見下ろした。
震える手で、二振りのショートソードを握り直す。
ギリリと歯を、食いしばった。
「黙れ」
二刀が閃いた。
一度、二度、三度——何度剣線が走ったか分からぬほど、ザルガの首が微塵に斬り刻まれる。白い血が飛び散り、クレアの顔を汚した。
もう、何十という肉片になったそれは、もはや何も言わなかった。
その瞬間、残る数匹の下級劫魔たちの動きが止まった。
そして、一斉に踵を返し、森の奥へと消えていく。
ザルガが命じていた通り、ザルガの死をトリガーに撤退していったのだろうか。
――――――――――
「父さん、父さん!」
クレアが、ゴリアテを抱き起こした。
腹から大量の血が流れている。止血する方法がない以上、腹に刺さった忌々しい黒剣を抜くこともできない。誰の目にも、もう助からないことは明らかだった。
「……クレア」
ゴリアテが、掠れた声で言った。
「泣くな……お前は、泣き顔が……似合わん……」
「何言ってるの、そんなこと……」
「誰か……酒は、ないか……」
ギルフォードが、懐から小瓶を取り出した。
「気付け用の……消毒酒しかないが」
「……構わん」
ゴリアテは、震える手で小瓶を受け取り、一気に煽った。
喉が焼けるような、強烈なアルコール。
「……ああ、美味い」
だが、ゴリアテは満足そうに息を吐いた。
「クレア」
「……なに」
「お前は……俺の、自慢の娘だ」
クレアの目から、涙が溢れた。
「分かってる……分かってるから……」
「幸せに……なれ。お前は…傭兵稼業に…縛られることはない…」
「……」
「ギルフォード」
「ああ」
「団を頼む、迷惑を……かけるな」
「まったくだ。……頼まれた」
ギルフォードの声も、震えていた。
「アレン、ジム」
「は、はい」
「ギルフォードを……支えてくれ」
「……任せてください、団長」
アレンが、涙を堪えながら答えた。
ジムは、無言で拳を握りしめていた。
「…ルシアン」
「……はい」
ゴリアテの目が、ルシアンを捉えた。
「さっき……伝えたこと……頼んだぞ」
ルシアンは、拳を握りしめた。
言葉にせずとも、伝わっていた。
「……必ず」
「……ああ」
ゴリアテは、最後にクレアを見た。
「久々に、お前の母さんに…ニーナに……会ってくる……楽しみ…だ」
その言葉を最後に、ゴリアテの目が閉じた。
傭兵王ゴリアテ。
その生涯に、幕が下りた。




