第十九話 漆黒との遭遇
自由都市サルタニアは地理的にも、王都フリードと六つの公領に囲まれたイングラス王国の中心都市だ。
市井の民が国内を移動するとき、何か特別な理由がなければサルタニアを経由する。交易の中心都市ということもあり、交通の便が圧倒的に良いからだ。
ただ、ここにきてルシアンは悩んでいた。
ノクスラントへの入口、旧ロス領、現ノヴァク直轄領である城塞都市カーレストの街までどうやって行くかだ。
勿論、馬を買う金はない。
ならば乗合馬車を乗り継いで行くしかない。
サルタニアからカーレストへのルートは二つある。
カーリッツ領を経由する北回りと、シュミット領を経由する南回り。
比較すると、隣国の『連合国家アイーダ』との交易も盛んなシュミット領の方が、街道が整備され、馬車の便も多い。ルシアンはシュミット領経由でカーレストに向かう南回りのルートを選んだ。
宿舎を出る時に、ゲイル団長への書置きを残した。
短い言葉だ。
『勝手を言ってすみません。三ヶ月ほど休暇をください』
ゲイル団長には、幼い頃から世話になった。文字通り命の恩がある。
だが、今は説明している時間がない。それに話をしたところで絶対に止められるだろう。
クレアの手紙を読んだ時から、ルシアンの心は決まっていた。
座して彼女からの連絡を待つことなど、できるはずがない。
荷物は最小限にまとめた。剣、予備の短剣、水袋、携行食、それから僅かな銀貨。クレアからの手紙は、懐の奥深くにしまった。
最初の馬車は、サルタニアから南の街道沿いの町へ向かう商人の交易馬車だった。
本来銀貨二枚の賃料のところを、見張りと荒事が起きた時の護衛をする約束で銀貨一枚に負けてもらえた。
御者台の隣に座らせてもらうが、いざ馬車が走り出すと落ち着かない。大人しく座っていると気ばかり焦ってしまう。
「兄ちゃん、急いでるのかい?」
中年の商人が、馬の手綱を操りながら声をかけてくる。
「ええ、少し」
「その様子だと女か?」
ルシアンは返事をせず、曖昧に微笑むしかなかった。
それを肯定と受け取ったのか商人も笑った。
「若いってのはいいもんだ。俺もお前くらいの頃は、女のためなら馬車の車輪にだってなれると思ってたもんさ」
街道沿いの風景が、ゆっくりと流れていく。サルタニアを出て数時間、麦畑が広がる穏やかな丘陵地帯。遠くに風車が回り、農夫たちが畑を耕している。
ルシアンの心とは正反対に平和な風景だった。
クレアは今、どこにいるだろう。ノクスラントの奥地で、魔物と戦っているのか。傷ついていないか。父であるゴリアテ団長は無事なのか。遭遇したやばいヤツって何なんだろう。
左目の魔眼は、常に、無意識に周囲を探っている。危険の気配はない。
だが、それがかえってルシアンを焦らせた。
自分がここにいても、クレアを守れない。
この距離では、何もできない。
夕刻、最初の町に到着した。ルシアンはそこで次の乗合馬車を探した。シュミット領の西寄りにある『公都フォルツハイム』へ向かう乗合馬車が、翌朝出発するという。
安宿で一夜を過ごし、朝一番の馬車に乗り込んだ。
比較的安全な街道を走る四人乗りの箱型の乗合馬車は席にクッションが置かれ、乗り心地も悪くなさそうだった。
既に二人の乗客がいる。一人は神経質そうな中年の男、もう一人は――黒いローブを纏った女だった。
ルシアンが乗り込むと、女は顔を上げた。フードの奥から、黒い瞳がルシアンを捉える。
瞬間、全身に悪寒が走った。
この女を、知っている。
黒髪、黒い瞳、美しい顔立ち。
そして、体の曲線がはっきりと分かる、タイトな黒いローブ。
ルシアンとクレアに名乗って姿を消したソーサレス、イリス・クレナ。
盗賊団と共に商隊を襲い、傭兵団の兄貴分だったレオンや仲間達を殺した女だ。
(こいつ!なんで!?)
ルシアンの手が、無意識に剣の柄に伸びた。だが、すぐに自制する。馬車の中で戦えば、他の乗客を巻き込む。
イリスは、ルシアンの反応を見て、小さく微笑んだ。
「あら、また会えたわね」
平然とした口調。まるで旧友に再会したかのような軽さ。
ルシアンは何も答えず、イリスから最も遠いーといっても四席の狭い馬車なので対角線の席に座った。神経質そうな男は、二人の異様な空気を察したのか、馬車の旅を寝て過ごすことに決めたようだ。
そんな三人の客を乗せた馬車が動き出す。
車内には、重苦しい沈黙が流れた。
どうしても、イリスに意識がもっていかれる。
あの時は暗闇の中で、火球の明かりでぼんやりとしか容姿は見えなかったが、改めて見るとまだ若いことが分かる。ヒューマンであれば三十はいっていないだろう。その若さであの魔術、あの魔力。恐ろしい才能だ。
「そんなに睨まないで。怖いわ」
イリスが、楽しそうに言った。
「……」
「傭兵団ガーゴイルの子よね。あの時は沢山の犠牲が出て大変だったわね」
ルシアンの拳が、膝の上で握りしめられる。
「あなたが、殺した!」
「私?うん、確かに何人か私の魔術に巻き込まれたかもしれないわね。でも、私も傭兵として彼らに雇われていただけだし。あなたも傭兵なら分かるでしょう?」
そういって、わざとらしい困り顔を作るイリス。
挑発だ。それは分かっている。だが、レオンの顔が脳裏に浮かぶ。明るく笑っていた、あの顔が。
「黙れ!」
「怖い顔ね。でも、あの時も思ったけど、その左目――面白いわね」
イリスが、興味深そうにルシアンを見つめる。そしてふいに、眠って過ごすことを決めていたもう一人の乗客に向けて魔術を放つ。
「スリープ・ミスト(眠りの霧)」
魔術をうけて、男の首がガクンと傾いた。
「眠そうだから、深く眠ってもらったわ。これで、ここでの話を聞いている者は誰もいない……安心して話せるわね」
お礼はいいわ、と笑って話しかけてくるイリスにルシアンの苛立ちが募る……
「魔眼なのは分かるけれど、魔力の流れが、普通じゃないのよね。常に体中のマナが眼に注がれている。あなた、どんな力をもっているのかしら?」
ルシアンは答えなかった。
魔眼のことを、この女に知られるわけにはいかない、何より話したくなかった。
「お友達が死んで、怒る気持ちも分かるけど、あなたも私のココに矢を射ったし、私の白い肌に傷だってつけられたのよ。お互い様じゃない?」
イリスは自分の額を指さした。
「俺の家族みたいだった、兄貴みたいだったレオンは、お前の魔術で手首だけ残して消滅した。お前に剣を抜かないので精一杯だから話しかけないでくれ……」
これは時間がかかりそうね、イリスはそんなポーズをとって荷物から取り出した書物に目を落とした。
馬車は街道を進む。昼過ぎ、馬車は街道沿いの小さな村で休憩を取った。ルシアンは馬車から降り、村の雑貨屋で携行食を買い足した。硬いパンと干し肉、それから林檎を二つ。
村の井戸で水を汲んでいると、背後に気配を感じた。
振り返ると、イリスが立っていた。
「馬車の旅って、身体が堅くなるわよね」
「話すことはない」
「そう冷たくしないで。私、あなたに興味があるの」
「興味?」
「ええ。あなたの目。普通じゃないわよね」
ルシアンは無言で踵を返した。だが、イリスは追ってくる。
「逃げないで。私、別にあなたに危害を加えようとしてるわけじゃないのよ」
「レオンや仲間を殺した、それで十分だ」
「それは運が悪かったわね」
ため息とともに吐かれたその言葉に、ルシアンは言葉を続けられなかった。
夕刻、馬車は街道沿いの空き地で野営に入った。御者が焚き火を起こし、御者も乗客たちもそれぞれに夕食を取る。
ルシアンは焚き火から離れた場所で、一人で携行食を口にした。硬いパンを齧り、干し肉を噛みしめる。味なんてしなかった。
「一人で食べるの?寂しいわね」
イリスが、いつの間にか隣に座っていた。
「……離れろ」
「せっかく同じ馬車に乗ってるんだから、仲良く……はまだ出来なくても、普通に話しましょう」
そう言いながら、イリスは自分の食事を取り出した。チーズと葡萄酒の小瓶だろうか。
「ねえ、私はイリス・クレナ。伝心の魔術で伝えたと思うけど、改めて自己紹介するわ。魔術師よ。基本的にこのスタイルだから『漆黒』なんて二つ名があるけれど、しがない傭兵よ」
(『漆黒』という二つ名の魔術師がいることは聞いたことがあったけど、こいつが……)
「俺はルシアンだ、名前を教えれば十分だろ。離れてくれ」
「名前を教えてくれてありがとうルシアン。あなたはガーゴイル団を離れて独りでどこに向かってるの?」
「……」
「あら?まただんまりかしら?じゃあ、当てちゃおうかな。ノクスラント方面よね。城塞都市カーレストあたり?」
正解でしょ?と笑みを浮かべるイリス。
ルシアンの目が、鋭くイリスを睨んだ。
「どうして、そう思う?」
「だって、この街道の先はそこしかないもの。それに――」
イリスは、ルシアンの懐をちらりと見た。
「あなた、あの時一緒にいたクレア・ライネルの何かを持ってるでしょう。懐にしまってる。私の眼も魔眼でね、人の魔力の流れ、色、そんなものが見えるの。彼女は不思議な色をしていたからよく覚えてる。その残滓みたいなものが、かすかにだけど、あなたの持ち物についているのよ」
顎に手をやり考えるようなそぶりをみせる。
「文字を書く行為ってね、魔力がインクに乗りやすいのよ。魔術師が魔力をこめたスクロール(魔術効果のある巻物)を書いたりするでしょう?普通の手紙でも、思いの分だけ強く魔力が乗るの。手紙なら見せてくれないかしら?」
イリスの手がルシアンにのびる。
「触るな」
短い言葉とともに、ルシアンの手が剣にのびる。
「本当にずっと怖い顔ね。でも、今のあなたじゃ私を殺せないわよ」
イリスは立ち上がった。焚き火の明かりが、彼女の黒いローブを照らす。
「一度、試してみる?」
挑発だ。分かっている。
だが、ルシアンは立ち上がった。
「後悔するぞ」
「あら、楽しみ」
ルシアンは剣を抜いた。
魔眼が、イリスの動きを捉えようとする。だが、何も見えない。赤い光が、ない。
危険が、視えない。
それが、何を意味するのかは明白だ。本当に殺すつもりがない。
(だが、知った事か!)
ルシアンが踏み込んだ瞬間、イリスは動いた。
(速い?)
剣を振るう前に、イリスの掌がルシアンの胸に触れた。次の瞬間、ルシアンの体が宙を舞っていた。
背中から地面に叩きつけられる。息がまともに吸えない。
「あら、もう終わり?」
イリスが、笑いながら見下ろしている。
ルシアンは歯を食いしばって立ち上がった。再び剣を構える。だが、イリスは魔術を使わない。素手のままだ。
「魔術はどうした?」
「どうして?使う必要がないもの」
再び踏み込む。今度は魔眼に全神経を集中させた。まだ成功したことはないが……未来を、視る。そうでなくてもイリスの動きを、予測してみせる。
だが、イリスは全てを上回る速さで動いた。
ルシアンの剣を持つ手を掌で逸らし、懐に入り込み、足を払う。またも地面に転がされる。
「ねえ、あなた本当に面白い目をしてるわね。戦いの中でマナが集まるのが見えたわ。何を視ようとしているの?」
ルシアンは答えず、再び立ち上がろうとした。だが、イリスがルシアンの胸に足を乗せた。黒いブーツが、ルシアンの胸を押さえつける。
「動かないで。もう少し、観察させて」
イリスが屈み込む。美しい顔が、すぐ近くにある。黒い瞳が、ルシアンを見つめている。
「あなたの顔はずっと怖いままだけど、眼は本当に綺麗ね。魔力の波長が、他の誰とも違う」
イリスの指が、ルシアンの頬に触れた。
「離せっ!!」
ルシアンが暴れると、イリスは小さく笑って離れた。
「ごめんなさい。少し意地悪をしすぎたかしら」
ルシアンは立ち上がり、剣を拾った。全身が震えている。怒りなのか、屈辱なのか、自分でも分からなかった。
「あなた、筋は良いと思うけれど、経験が足りないのね」
イリスは、戦いは終わりとばかりに焚き火の方へ歩いていく。
「でも、その眼は本物。いずれ、面白いことになるわ。期待している」
イリスは振り向いてルシアンを真っ直ぐに見た。暗闇の中、焚火の明かりと逆光ではあったが、彼女の顔には不気味で美しい笑顔が浮かんでいた。
「ノクスラントはあなたが思っているよりずっと危険な場所よ。もし、そこから無事に帰ってきたら、その眼を見せてもらいにくるわね」
そう言い残して、イリスは闇の中に消えた。まるで影のように。
ルシアンは、その場に座り込んだ。
何もできなかった。
魔術も使わずに、子供のようにあしらわれた。
口惜しい……そして強さが足りない自分が恨めしかった。
――――――
翌朝、馬車が出発する時、イリスの姿はなかった。
御者に聞いても「知らない」と首を振るだけだった。
まるで、夢だったかのように。
だが、ルシアンの体に残る痛みが、現実だったことを教えている。
馬車は街道を進んだ。シュミット領を抜け、旧ロス領、現ノヴァク直轄領へ。
途中、街道でゴブリンの群れに襲われた。御者が悲鳴を上げ、馬車が止まる。
ルシアンは剣を抜いて飛び降りた。
五体のゴブリン。錆びた剣と棍棒を持っている。
魔眼が、赤い光を示す。
ゴブリンの攻撃を予測し、躱し、斬る。一体、二体。
昨夜の屈辱を晴らすかのように、ルシアンは戦った。
三体目のゴブリンが、背後から襲いかかる。
魔眼がそれを捉え、振り返りざまに斬り捨てる。残り二体も、横なぎの一閃で同時に首をはねた。
「あ、ありがとうございます!」
御者が、震えながら礼を言った。
ルシアンは無言で剣を鞘に収めた。
イリスには勝てなかった。
だが、ゴブリンくらいは容易に倒せる。
それが、今の自分の力だ。
まだ、足りない。
クレアを守るには、まだ足りない。
馬車は再び動き出した。
――――――
サルタニアを出て四日後、ルシアンは『城塞都市カーレスト』に到着した。
石造りの高い城壁、頑丈な門、行き交う傭兵たち。ノクスラントに接する最前線の都市。
ルシアンは、サイクロプス団の拠点を探し始めた。




