第十三話 約束
東の空が白み始めたばかりの時刻に、ルシアンは王都でサイクロプス団が駐留する宿の中庭に立っていた。
昨夜、クレアとの別れ際に「もう一度だけ」と稽古を願い出た時、彼女は少し驚いた顔をした。
「明日の朝?出発前に?」
それはそうだろう。
半日かけて、クレアから一本も取れなかったのだ。
そのすぐ翌日に何か大きく変わる訳がない。
「本当に申し訳ないけど、もう一度だけ稽古をつけて欲しいんだ。それに、頼みたいことがある」
だが、クレアはルシアンの真剣な頼みを聞き入れてくれた。
「私たちがここを発つのは昼前だから別に構わないけど、頼みたい事ってなに?」
「それは……明日、会った時にお願いするのでもいいかな?」
そう言うルシアンの表情が、いつになく真剣だったからだろう。
クレアは聞きたい事を飲み込んで頷いてくれた。
そして今。
朝露に濡れた石畳の中庭に、二人だけが向かい合って立っている。
クレアは普段通りの旅装、黒革のビスチェに革パンツ、腰には愛用の二振りのショートソードを帯びている。赤銅色の髪を後ろで一つに結び、琥珀色の瞳がルシアンを見つめていた。
「それで、昨日言っていた頼みたいことってなに?」
「俺と、本気を出して、『真剣』を使って戦ってほしい」
その提案に琥珀色の瞳が大きく見開かれた。
「私が本気でやるって、どういうことか分かってる?」
「ああ。クレアの『二柱』の力を使って、刃引きしていない真剣でお願いしたいんだ」
クレアが眉をひそめる。
「ルシアン、それは——」
そう、言うまでもなく無謀な申し出に、言葉がつまる。
「言いたい事は分かってる…つもりだよ。そんなお願いを言っておいて格好悪いけど、まだ死にたくないから、もう無理だと思ったらちゃんと降参する」
自分が言っている事が矛盾していて、且つ極めて情けない事は自覚していた。
「木剣じゃ駄目なんだ。刃を潰した剣では、俺の魔眼が働かない。本物の死の危険があって、初めて力を発揮するからさ。クレアが教えてくれた魔眼に頼らない戦いを身に着ける大切さも理解しているんだ。それでもお願いしたい」
クレアは少し考え込むような表情を見せた。
「……私、手加減は苦手だよ」
「だから頼んでる。おこがましいけど、クレアの本気が見たい」
「どうして?」
ルシアンの緑色の瞳の奥に隠された真意を探るように、真っすぐな視線を向ける。
その問いかけに、ルシアンは少し躊躇いつつ、答えた。
「俺は……君との本当の差を知りたい。逆立ちしても勝てないのは分かってるんだ。でも、今どれだけ離れていて、どうすれば追いつけるのか、しっかり覚えておきたいんだ。次に会った時、差を縮まったところを見て欲しいからさ」
クレアの表情が柔らかくなった。
「負けず嫌いだなぁ、それに私が今よりもっと強くなってるかもよ」
からかうような表情で笑みを浮かべる。
「そうかもしれない」
苦笑しながらそれにこたえる。
「それなら、ちょっと待っていて」
そう言うと、クレアは宿に入り、直ぐに戻ってきた。
「一応、これを持ってきた」
そういって見せたのは緑の液体が入った小さな小瓶だった。
「これって、あの時くれたポーション?」
「そう、たいていのケガならこれで治るからね。でも万能じゃないから気を抜かないで」
回復役の「ポーション」にも様々な種類がある。
薬師が『用途』に合わせて薬草を煎じたものが一般的だが、薬学の知識と『魔術』を掛け合わせてヒーリング(回復魔法)のような効果を持たせたものが存在する。錬金術師や魔術師が作ったものがそれで、ハイ・ポーションと呼ばれる。これは紛うことなきハイ・ポーションだ。
前者が銅貨二、三枚だとすれば、後者はその十倍、銀貨が必要になる。
「気を遣わせてごめん」
「いいよ、これくらい。でも怪我をしても文句は言わないこと。そして、約束して」
「約束?」
「私に、あなたを殺させないで」
「...…分かった」
クレアが二振りのショートソードを抜いた。鈍い光を放つ刃が、朝日を受けて白く輝く。
「昨日も言ったけど一撃でも当てる事ができたら、何でも言う事をきいてあげるよ」
「昨日の話は、まだ有効なの?」
「もちろん。でも、本気の私に当てられると思ってる?」
クレアが挑発的に笑った。
「当ててみせる」
二人が構える。
朝の静寂の中、張り詰めた緊張が漂う。
――刹那。
クレアが動いた。
昨日までとは次元が違う速さ。
地を蹴った瞬間、彼女の姿が霞んだ。
(速すぎる!)
ルシアンの左目に、鮮やかな赤い軌跡が走る。右から来る斬撃を、盾で受け止めようとした瞬間——
バキッ!!
堅いエルダ・オークのラウンドシールドの半分まで刃が食い込み、盾がただの一撃で真っ二つに割れた。
盗賊の副頭目との戦いで割れた後、新調したばかりの盾があっさりと木片に変わった。
「くっ……」
驚愕する間もなく、左からの二撃目が迫る。ルシアンは身を捻って剣で受けた。火花が散り、衝撃で腕が痺れる。
(分かったつもりになってたけど、力も速さも、段違いだ!)
クレアは容赦なく攻め立てる。
右袈裟、左薙ぎ、突き、——そして肘や蹴りによる打撃
二刀から繰り出される連撃は、まるで嵐のようだった。ルシアンは魔眼が示す軌跡を頼りに、必死で捌き続ける。
剣で受け、身体を捻り、地を転がり、跳ね起きる。
反撃を試みるが一瞬の隙も見つけられない。
(これが、クレアの本気……)
汗が噴き出す。呼吸が荒くなる。攻撃を剣で受ける度に腕が悲鳴を上げる。
早々に盾を失ったため、食らったら終わる刃の一撃こそ避けているが、身体のあちこちにあざや裂傷ができているのが分かる。
それでも、魔眼のおかげで即ゲームオーバーにならずにすんでいた。
「いいね、ルシアン。避け方も無駄が減ってる。でも守ってばかりじゃ一撃入れる事はできないよ」
クレアが笑った。戦いを楽しむような、獰猛な笑み。
琥珀の瞳が金色に光って見える。
「もっと来なさい!」
攻撃の速度が更に上がった。
魔眼に映る赤の軌跡が、複雑に絡み合う。
剣線、蹴り、体当たり、更に視界から急にクレアが消えたと思った瞬間、下から顎に頭突きをくらっていた。
吹き飛ばされるように、たたらを踏むルシアン。
中庭の端まで追い詰められる。
(このままじゃ——)
そう思った時、クレアの右の剣が、ルシアンの首筋を狙って閃いた。
勝負を決める一撃……ゆえに一番『振り』の大きな一撃だった。
魔眼がその軌跡を捉える。
(避けられる!)
身を低くして躱す。クレアの剣が髪を掠めた。
その瞬間、ルシアンは反撃に転じた。
低い体勢から、渾身の突きを放つ。
狙うは、クレアの胸元——ではなく、その僅かに右を狙う。
右に避けるか、左に避けるか分からない。
右に避ける事に賭けたのだ。
(当てるつもりで放たなければ、当たらない)
クレアはルシアンの読み通り右に躱した…、だが躱す速度はルシアンの予想をはるかに超えた。
斜め下から鋭く伸びた剣先だったが、クレアの赤銅色の髪にわずかに触れるに留まった。
サラリと、一房にも満たない髪が舞い落ちる。
二柱の神に愛された少女は、避けるだけにとどまらなかった。
右薙ぎの剣の勢いをそのまま、コマのように回転して突きを交わしたクレアは左のショートソードから手を放すと、拳を握りこみルシアンの左頬に強烈な裏拳を叩きこんだ。
ミシッ!!!
自分の顔から聞いた事のない音が聞こえたと思った瞬間、中庭の植え込みに突っ込んで、そのまま意識を失った。
――――――
気付けばルシアンは、石畳の上、クレアの膝に頭を乗せるように寝かされていた。
口内には妙な味が、そして口の端には緑の液体が残っていた。
「クレア…」
「良かったっ!目覚めてくれた……!」
少し泣きそうな顔をしたクレアが安堵の声を上げた。
「その、ポーション、飲ませてくれたんだよね」
「そうだよ、ちっとも起き上がってこないから、慌てて植え込みから引きずりだしたら、ぐったりして全然起きなくて、呼吸も止まってて…慌てて飲ませたんだよ!ポーションが効いてよかった……ほんとにさ、『殺させないで』って言ったのに!危なくなったら降参するって自分で言ってたのに!」
クレアの目から一筋、涙が流れ落ちた
そして、ルシアンは気付いてしまった。
クレアの唇が、朝日を受けて微かに緑の光沢を帯びていることに。 それは紛れもなく、ポーションの——
「ごめん、無理なお願いをして、死にかけて、心配かけて」
「ほんとうだよ、馬鹿ルシアン」
そういいながら額をデコピンではじく
「っ痛…本当にごめん」
「まあ、でもさ」
クレアが目元をぬぐってルシアンを見つめる。
「……当てたわね」
そういうと、ほんの僅かに短くなった赤銅色の髪の毛をつまんでみせた。
「いや、これは当たったうちには——」
「私は少しも触れさせるつもり、なかったんだよ」
彼女は地面に落ちた自分の髪を拾い上げた。
「正直びっくりした」
クレアが笑う。いつもの、少しからかうような、意地悪な笑顔。
「それで、何かしてほしいことはある?何でも聞いてあげるよ」
ルシアンは首を横に振った。
「いや、これは当たったうちに入らないよ。でも、次に会ったとき、もう一度稽古をつけてくれる?もう少しマシになっておくからさ」
「次に会う時?」
「うん、サイクロプス団は当面ノクスラントだったね。いつになるか分からないけど」
「半年から一年は会えないわよ」
「分かってる」
しばらく、二人は無言で立っていた。
朝日が昇り、中庭全体を照らし始める。
「ねえ、ルシアン」
クレアが口を開いた。
「私から、一つお願いしていい?」
「何?」
「手紙を出し合わない?月に一回くらい」
ルシアンは少し驚いた。
「手紙?」
「ええ。傭兵ギルド経由の託送便があるの。月に一回くらいしか来ないし、届くまで二、三週間かかるけど」
クレアが少し照れたように視線を逸らす。
「うん、喜んで……」
ルシアンの胸が温かくなった。
「じゃあ、約束ね」
クレアが小指を差し出した。
「約束」
ルシアンも小指を絡める。
子どもじみた仕草だが、二人にとっては大切な誓いだった。
「死なないでよね」
クレアが真剣な表情になる。
「あのソーサレス、結局あの後出てこなかったけど、また現れるっぽいことを言ってたじゃない」
「そうだね、僕らのことを『興味深い存在』だとか」
「もし、ルシアンの方に現れても、私は守れないから、絶対死んじゃダメだからね」」
「クレアもだよ。あれだけの威力の魔術を連発するなんて普通じゃない。それに……」
「それに?」
「未開拓領域『ノクスラント』の魔獣被害が拡大してるって噂を王都で聞いたよ」
「そうだね、今回うちの団が行くのはその調査と対処みたいなものだからね」
「クレアも絶対に死なないで」
ルシアンは祈りにも近い気持ちをこめて伝えた。
「そうだね、互いに手紙が届いているうちは生きてるって証しになるからね。でも、もし私からの手紙が途絶えても…」
「途絶えても?」
「あまり心配しないで。ノクスラントは託送便が来られないこともあるの」
そういって、微笑んだ。
「でも、もしクレアが本当に危険な状況になっていたら、助けにいくよ」
「私より弱いのに?」
「少しでも追いつくように努力はするし、戦い以外で助けられることだってあるかもしれないだろ」
少しすねたように答える。
「そういえば、命を救ってもらってたね」
ルシアンの左頬に手を添えて、それから優しく微笑んだ。
「嬉しいよ……ありがとう」
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それから数刻後、王都の北門で別れの時が来た。
サイクロプス団は西へ、旧ロス領を経由してノクスラントへ向かう。
ルシアンは南へ、自由都市サルタニアへ戻る。
「じゃあ、また」
クレアが手を振る。
手を振るクレアが、朝日を受けて緋色に輝いて見えた。
恐らく…それは危険を示す赤ではなく、もっと温かい、大切な何かを示す色だ。
「ああ、また」
ルシアンも手を振り返した。
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ガーゴイル団の生き残り、十二名は護衛依頼も兼ねて交易馬車でサルタニアに向かう。
行きとは異なり、帰りは馬車四台の小規模な商隊だ。
ルシアンは朝の稽古を思い返していた。
クレアの圧倒的な強さ。そして優しさ。
(多分、俺はクレアが好きなんだろうな)
クレアが手紙の約束を言い出したとき、たまらなく嬉しかった。
当面の間、会う事はできないけれど励みになる気がした。
それと同時に一つの決意が固まった。
『もし、ルシアンの方に現れても、私は守れないから』
クレアの言葉を思い出す。
(強くなろう。ただ強くなるだけじゃない。 クレアが信頼してくれるような、対等な戦士に)
左目に、微かな熱を感じた。
馬車は自由都市サルタニアに向けて順調に走り続けた。




