一時
去年、癌が発覚して少し歩行が困難になった私の父
梅雨時頃から私が通院に付き添っている
雨降りや猛暑の中、公共交通機関を利用するのは大変なので、車で送迎
インフォームドコンセントなどもあるので、結局診察や検査も付き合う
不幸自慢がしたいのではない
自分の子に障害があって、親が病気とか言うと可哀想な私アピールとか思われそうだが、そうじゃない
幸せな時間を過ごしている
親孝行したい時には親はなし、などという
卒寿を越えて生きていてくれる高齢の父に感謝である
子育てが落ち着いてから、親と再び一緒に居られる時間が与えられた私は幸運である
総合病院の果てしない待ち時間も、父と母と私でおしゃべりをする
母の子どもの頃の話、父の健康状態について意見を交わす
くだらない話、何度も聞いた話をまた、繰り返し聞いたり
父と母と私、絶妙なバランスで楽しい
私が独身の頃は、いつも父と母の仲介役だった
末っ子の私の言うことは、父も聞く
母も無邪気な様子になり、のびのびとくつろぐ
病院終わりに、好きなランチを食べる
頑張ったご褒美に何でも食べたいものを皆で食べる
味の好みも食べる量も把握している家族
ケンカしたり不機嫌になったり、心配したり笑ったりする時間
(待ち時間が長すぎて、空腹が限界なので何を食べても美味しいのかも)
そんな訳で、病院にばかり行っていたので風邪をもらい体調を崩してしまった私
丁度夏休みに入り、ゴロゴロと休養中
これといった親孝行もしていなかったので、こういう形ではあるけれど役に立てることは本当に嬉しい
迷惑かけて申し訳ないと両親は毎回言うが、全然そんな風に思わない
頼られて、役に立てて、とても幸せだ
専業主婦のかいがあった
姉たちは仕事をしているので平日昼間は動けない
珍しく二人の姉からもお礼などを言われた、驚きである
人間は、人のために生きられることは幸せなのである
ましてそれが両親ならばなおさら
自分のためが人のため
人のためが自分のため
自分を大事にすることは、もちろんなのだが
人を大事にすることが、自分の幸せなのだと再認識させられている
やり過ぎると、自分が壊れて持たない
でもやっぱり、大切な誰かのために生きられることが、私の心からの幸せで生きている意味になる
生きている実感が得られる
素晴らしい人生に感謝である
私に生まれてきた喜びを教えてくれる全てに感謝している
身内の世話なんていう、当たり前のことで大げさかな
いずれ必ず来る別れの時の前に
父と母と一緒に、ゆっくりご飯を食べられる一時
神様ありがとう