第26話:混沌の王
完結まで残り…2話!
重厚な扉を押し開けた先――玉座の間は、異様な光景に包まれていた。
本来であれば、国王が座し、気品と威厳に満ちているはずのその場所は、禍々しい紫色の光に満たされ、床には複雑で巨大な魔法陣が、不気味な輝きを放っている。
そして、その中心。
玉座の前で、一人の男が両腕を広げ、恍惚とした表情で立っていた。
宰相ダリウス。
彼の周りには、王都の地下から強制的に吸い上げられたのであろう、人々の憎悪や絶望といった、どす黒い負のエネルギーが渦を巻いていた。
「…よくぞ来た、聖女リリアーナ。そして、忌まわしき黒騎士よ」
ダリウスが、ゆっくりと私たちの方を振り返る。その瞳は、もはや正気の色を失い、狂信的な熱に浮かされていた。
「貴様らの活躍、全て見させてもらった。おかげで、この王都には、上質な『絶望』が満ち満ちたわ。我が王の復活を祝う、最高の贄が揃ったというわけだ」
「ダリウス!あなたは何をしようとしているのです!」
私が叫ぶと、彼は心底楽しそうに、喉を震わせて笑った。
「何、を?決まっているだろう。この腐りきった世界を、一度、無に還すのだ。血筋や家柄といった、くだらぬ幻想に支配された偽りの秩序を破壊し、真なる混沌による、平等な世界を創り上げる。そのための、神の降臨の儀だよ」
「狂っている…!」
「狂っているのは、生まれながらに全てを持つ貴様らの方だ!」
ダリウスの憎悪が、嵐のように吹き荒れる。
ノワールが、私を庇うように一歩前に出た。
「戯言はそこまでだ、ダリウス。お前の野望も、ここで終わりにしてやる」
ノワールから放たれた闇の槍が、音速でダリウスに迫る。
だが、槍はダリウスに届く寸前で、魔法陣から放たれた障壁に阻まれ、霧散した。
「無駄だ。この魔法陣は、すでに発動している。もはや、誰にも止められん!」
ダリウスは、勝ち誇ったように叫んだ。
「そして、聖女よ!貴様のその聖なる光、我が王の復活の最後の供物として、有り難く捧げてもらうぞ!」
彼がそう叫んだ瞬間、魔法陣が、これまでとは比較にならないほどの輝きを放った。玉座の間の床が、壁が、天井が、まるで悲鳴を上げるように軋み始める。
ダリウスの体が、ゆっくりと宙に浮き上がった。
「さあ、来たれ!この我が身を触媒とし、この都の絶望を糧とし、そして、聖女の光を最後の鍵として――目覚めよ、我が王!混沌の王よ!」
彼の体は、魔法陣の中心で、眩いばかりの光の粒子となって砕け散った。それは、自らの命を捧げる、最後の切り札だった。
ダリウスの命と、王都に溜め込まれた負のエネルギー、そして、私の存在そのものから放たれる光の力が、強制的に魔法陣へと吸い込まれていく。
「リリア!」
ノワールが私の手を掴むが、もう遅い。
空間そのものが、悲鳴を上げている。
魔法陣の中心、ダリウスが消えた場所に、空間の亀裂が走った。
そこから、黒い太陽が昇るかのように、禍々しい、純粋な破壊の意思そのものとでも言うべき、巨大な『何か』が姿を現した。
それは、特定の形を持たない、不定形の闇の塊だった。だが、その中心には、無数の、苦悶に満ちた瞳が、こちらを憎悪の目で見つめている。
王都の上空は、たちまち暗雲に覆われ、街中から、人々の絶望に満ちた悲鳴が聞こえてきた。
混沌の王、降臨。
その存在が放つ、圧倒的なプレッシャーと瘴気だけで、屈強な騎士でさえも立っているのがやっとだろう。
「くっ…!」
ノワールですら、その全身から闇の力を放出して、私を瘴気から守るので精一杯だった。彼の闇魔法が、混沌の王が放つ根源的な破壊の力の前に、じりじりと押し返されていく。
これが、ダリウスの最後の置き土産。
これが、世界の終わりを告げる、絶望の始まり。
混沌の王が、ゆっくりと、その無数の腕の一つを私たちに向けた。
もう、駄目だ。誰もが、そう思ったに違いない。
だが、私の心は、不思議と凪いでいた。
私は、私を守るために、必死に闇の壁を支える、愛しい騎士の背中を見つめた。
「ノワール」
私が声をかけると、彼は苦しそうな表情で、私を振り返った。
「大丈夫だよ、リリア。僕が、必ず…」
「ううん」
私は、彼の言葉を遮り、その前に進み出た。そして、彼の頬に、そっと手を添える。
「私を信じて」
私の瞳には、もう恐怖の色はなかった。
ただ、愛する人を、そして、私たちが築き上げてきた全てを守るという、揺るぎない決意だけが、聖なる光となって輝いていた。
「私たちは、二人なら無敵でしょう?」
その言葉が、反撃の合図だった。
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