第21話:リゾート開発
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「月の庭園」の発見は、ヴァインベルク領に新たな、そして壮大な目標をもたらした。
特産品の生産と並行して、この聖女の遺産を中心とした**保養地**を建設する――。その壮大な計画は、領地全体を新たな熱狂の渦に巻き込んでいった。
「リリア、まずは各分野の専門家を呼びましょう!最高の庭園には、最高の職人が必要よ!」
リーナは、商人としての人脈を最大限に活用し、王都や近隣都市から、腕利きの専門家たちを次々とヴァインベルク領へ招聘した。
しかし、やってきたのは、いずれも一筋縄ではいかない人物ばかりだった。
『神の石工』とまで呼ばれるが、その頑固さゆえに貴族の依頼をことごとく断ってきた老建築家、ギデオン。
宮廷の画一的な庭造りに反発し、自らその地位を捨てた、天才的な感性を持つ庭師、ルミナ。
そして、美食家として知られるが、最高の素材でなければ決して厨房に立たないという、気難しい元宮廷料理人、アントニオ。
彼らは、開発設計室に集められるなり、腕を組み、疑念に満ちた目で私を見つめた。
「ふん、ヴァインベルクの姫君が、我らに仕事を依頼、だと?凋落した公爵家に、我らの腕に見合うだけの報酬が支払えるのかね?」
ギデオンが、その見事な白髭をしごきながら、値踏みするように言った。
「わたくしは、ただ美しいだけの庭には興味ありませんわ。そこに、魂がなければ…」
ルミナは、気だるげにため息をつく。
「俺の料理は、最高の食材と、それを味わうにふさわしい客人のためにある。おままごとのような晩餐会に付き合う気はないぞ」
アントニオは、顔をそむけたまま、吐き捨てるように言った。
アーネストが青ざめ、リーナが「ちょっと、あんたたち!」と食ってかかろうとするのを、私は静かに手で制した。
「皆様のおっしゃる通りです。今のヴァインベルクには、皆様をお呼びするに足る名声も、財産も、まだありません。ですが…」
私は、侍女に用意させていたものを、彼らの前に一つずつ並べた。
まずは、アントニオの前に、宝石のように輝く『聖果』のリンゴを。
次に、ルミナの前に、夜の闇の中でも淡く光を放つ『月の庭園』の植物の押し花を。
そして最後に、ギデオンの前に、庭園から持ち帰った、月光を浴びて不思議な強度と輝きを持つようになった石のかけらを。
「…なんだ、このリンゴは…!?」
アントニオが、リンゴを手に取り、その尋常ならざる香りに目を見開く。一口かじった彼の顔は、驚愕から、歓喜へ、そして創作意欲に満ちた料理人の顔へと瞬時に変わった。
「ば、馬鹿な…!これほどの食材が、この世に存在したとは…!この甘み、この香り…!ソースは?いや、いらない!この素材そのものを生かす、最高のパイを…!いや、冷たいソルベもいい…!」
「この植物…!なんと清らかで、強い生命力を宿しているのでしょう…!」
ルミナは、押し花にそっと触れ、その魔力の流れにうっとりと目を細める。
「この子たちとなら…ええ、きっと、誰も見たことのない、魂の宿る庭が創れるわ…!」
そして、ギデオン。彼は、黙って石のかけらを手に取ると、懐から取り出した小さなハンマーで、こん、と軽く叩いた。石は、澄んだ高い音を立てる。彼は何度も、何度も石を様々な角度から叩き、その音に耳を澄ませていた。やがて、彼はゆっくりと顔を上げた。その瞳には、初めて見る、職人としての熱い炎が宿っていた。
「…生きている。この石は、生きている。姫君、あんたは、石にさえ魂を吹き込むのか…」
彼は、その頑固な顔を、ほんの少しだけ和らげた。
「これほどの石材を前にして、『神の石工』の名が泣くわ。よかろう。このギデオン、生涯一度の仕事として、この聖なる石で、天上の宮殿を創り上げてみせよう」
頑固な職人たちの心を、ヴァインベルクが持つ「本物の素材」と、その源である私の力が、完全に鷲掴みにした瞬間だった。
彼らはもはや、報酬や名声のためではない。一人の職人として、最高の仕事をするために、この地に残ることを決意してくれたのだ。
◇
その日から、開発設計室は、プロフェッショナルたちの熱気で満ち溢れた。
「庭園へのアプローチは、この聖なる石を使った回廊にしよう!」「それなら、回廊を抜けた先に、この聖果を使ったウェルカムドリンクを用意するのはどうだろうか?」「その回廊には、月の光に呼応する夜光花を植えましょう…!」
アーネストがまとめ役となり、私が最終的な判断を下す。
バラバラだった専門家たちが、一つの目標に向かって、最高のチームになっていく。その光景は、領主として何よりも喜ばしいものだった。
◇
そんなある日、領主の屋敷に一本の連絡が舞い込んだ。
「隣国アードラートの有力貴族、ジュリアン・フォン・アードラー侯爵様が、非公式にお忍びで視察に訪れたい、と…」
アーネストからその名を聞き、執務室に緊張が走る。アードラー侯爵家は、我が国に匹敵する力を持つ大国の、その中でも指折りの名門だ。現当主のジュリアンは、若くして家督を継ぎ、その冷徹なまでの合理主義と辣腕で、領地を驚異的に発展させた傑物として知られている。
しかし同時に、「病弱な妻のために、どんな薬でも手に入れたいと願っている」という、人間的な噂も聞こえてきていた。
「おそらく、目的は『聖薬』の真偽を確かめるためでしょう。下手に刺激すれば、何をされるか…」
アーネストが懸念を示す。しかし、私は静かに首を振った。
「いいえ、お受けしましょう。隠すものは何もありません。ありのままのヴァインベルクを見ていただきましょう」
数日後、ジュリアン侯爵は、最小限の供だけを連れてヴァインベルク領を訪れた。銀色の髪に、切れ長の理知的な青い瞳。噂に違わぬ美青年だったが、その表情は能面のように固く、感情を一切読み取らせなかった。
彼は、活気を取り戻した領都、整備された街道、そして私たちの案内で見せた「月の庭園」の存在に、確かに目を見張っていた。だが、その態度は変わらず、どこか値踏みするような視線を崩さない。
(やはり、聖女の力も、ただの噂話としか思っていないのね…)
その空気が一変したのは、視察の最中、不意に起こった事故がきっかけだった。
侯爵の供の一人である老騎士が、突然、顔を青くして胸を押さえ、その場に崩れ落ちたのだ。
「持病の、発作が…!」
供の者たちが慌てて薬を取り出すが、老騎士の呼吸はどんどん浅くなっていく。誰もが青ざめる中、私は静かに彼のそばに膝をついた。
「下がっていてください」
私の静かな、しかし有無を言わせぬ声に、皆が道を空ける。私は、苦しむ老騎士の胸にそっと手を当てると、純粋な祈りと共に、光魔法を注ぎ込んだ。
「光よ、この方の苦しみを、和らげてください――」
私の掌から放たれた温かい光が、老騎士の体を優しく包み込む。すると、彼の苦痛に歪んでいた顔は穏やかになり、浅かった呼吸は、深く、安らかなものへと変わっていった。数分後、彼はゆっくりと目を開け、何事もなかったかのように身を起こした。
人知を超えた奇跡の光景を目の当たりにし、その場にいた誰もが言葉を失った。そして、今まで氷の仮面を崩さなかったジュリアン侯爵が、初めて、その青い瞳を驚愕に大きく見開いていた。
◇
その夜、侯爵は私に、二人きりで会いたいと申し出た。
応接室で向かい合うと、彼はそれまでの冷徹な表情を消し去り、一人の苦悩する人間として、私に深く、深く頭を下げた。
「聖女殿、本日は我が共を助けて頂いたこと、心より御礼申し上げる。そして、私の無礼な願いを、どうかお聞き届けいただきたい」
彼は、長年、原因不明の病で眠り続ける最愛の妻を救うため、あらゆる治療法を探し求めてきたことを、切々と語り始めた。どんな名医も、どんな秘薬も、彼女を目覚めさせることはできなかった、と。
「聖女リリアーナ殿。どうか、その奇跡の力で、私の妻を救ってはいただけないだろうか。もし、それが叶うのなら、アードラー家が持つ全ての力で、あなたと、このヴァインベルク領を支援することをお約束しよう」
彼の瞳には、妻への深い愛情と、最後の希望にすがる、必死な想いが溢れていた。
「…お顔を上げてください、ジュリアン様。あなたの奥様を想うお気持ち、痛いほど伝わりました。私にできることがあるのなら、喜んで協力させていただきます」
私は、彼の申し出を、静かに受け入れた。
この瞬間、ヴァインベルク領は、隣国の有力貴族という、非常に強力な後ろ盾を得ることになった。
◇
領主として、また一つ大きな決断を下した私を、仲間たちは誇らしげな顔で迎えてくれた。
その夜、自室のバルコニーで一人、星空を見上げていると、音もなくノワールが隣に立った。
「リリア、また一つ、大きなものを背負ったな」
「ええ。でも、不思議と怖くはないの。私には、みんながついているから」
私が微笑むと、彼は私の髪を優しく撫でた。そして、少しだけ拗ねたような声で、私にだけ聞こえるように囁く。
「あのジュリアンという男、妻への想いは本物のようだ。その点は信用できる。…だが、君にあんなに熱い視線を送るのは、少し気に入らないな」
「もう、またやきもち?」
私がからかうように言うと、彼はふっと息を漏らし、困ったように微笑んだ。
「…そうかもしれないな。君が誰かに微笑むたびに、僕の世界が、ほんの少しだけ曇るような気がするんだ」
詩のような彼の言葉に、私は何も言い返せなくなる。彼の穏やかな独占欲が、私の心を優しく締め付けた。
新たな協力者を得て、リゾート開発はさらに加速する。しかし、その輝かしい成功は、同時に、王都に座す黒幕の警戒心を、より一層、強めることになるのだった。
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