第18話:黒の胎動
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秋の日は短く、ヴァインベルク領の空は、冬の気配を色濃く滲ませ始めていた。
私たちの領地は、本格的な冬が来る前の、最も忙しい時期を迎えていた。春からの本格的な生産と販売を目指し、そのための「種まき」を急がなければならないからだ。
「リリアーナ様、こちらの区画は『聖薬』用の薬草畑に。あちらの陽当たりの良い斜面は、『聖果』用のリンゴ畑にいたしましょう」
アーネストの指揮のもと、領民たちが一丸となって畑を整備していく。私も、その輪に加わり、春に芽吹くことになる薬草の種と、リンゴの苗木の一つ一つに、丁寧に光を注いでいった。この「聖なる種子と苗木」は、冬の間、新設された温室で大切に保管され、春の雪解けを待つことになる。
嵐のようにやってきた友人、リーナは、すでに王都へと旅立っていた。
「春には最高の舞台を用意して戻ってくるからね!それまで、最高のリンゴを育てておくのよ、リリア!」
彼女はそう言い残し、完成したばかりの最高品質のサンプル「聖薬」一箱と「聖果」一籠を携え、希望に満ちた顔で出発していった。
テオ率いる自警団も、今や領地の守りの要だ。街道警備だけでなく、冬の薪の確保や家々の補強まで手伝うその姿はすっかり頼もしく、領民からの信頼も日に日に厚くなっていた。
領地全体が、一つの家族のように、来るべき春という未来に向かって、着実に歩みを進めていた。
◇
その日も、私は夕暮れの温室で、ノワールと二人きりで苗木の準備に追われていた。
ガラス張りの温室は、外の冷たい空気から私たちを守り、穏やかな時間が流れている。私が苗木に光を注ぐ作業に没頭していると、ふと、ノワールが私の頬にそっと触れた。
「土、ついてるよ」
彼の指が、優しく汚れを拭う。その何気ない仕草に、心臓が小さく跳ねた。
「リーナ、という商人の娘…ずいぶん君と親しげだったな」
ノワールが、まるで独り言のように、何気ない風に呟いた。けれど、その声には、ほんの少しだけ面白くなさそうな響きが混じっている。
「え?リーナは初めてできた、大切な友達よ。とても元気で、一緒にいると、私まで元気になれるの」
私が無邪気に答えると、ノワールは「…ふーん」と、どこか素っ気なく相槌を打った。
「まあ、君が楽しそうなら、それでいいけど」
その少しだけ拗ねたような横顔に、私は思わずくすりと笑ってしまった。昔、新しいおもちゃに夢中になっていると、足元で不満げに喉を鳴らしていた黒猫の姿が重なる。
「やきもち、妬いてるの?」
からかうようにそう言うと、彼は一瞬、金色の瞳を見開いた。そして、観念したように小さく息を吐く。
「まさか。僕はただ…君の一番が僕じゃなくなるのが、少しだけ…嫌なだけだ」
真っ直ぐな瞳で、素直にそう認められてしまっては、もう、からかうことなんてできない。私の顔に、じわりと熱が集まるのを感じた。
◇
その頃、遥か離れた王都。壮麗な宰相執務室では、静かな時間が流れていた。
平民の出身でありながら、その類稀なる才覚で、宰相にまで成り上がった傑物、宰相ダリウス。彼は机の上に置かれた一つの小さな木箱を、冷たい瞳で見下ろしていた。それは、リーナがヴァインベルク領から持ち込んだ「聖薬」と「聖果」の現物だった。
ダリウスは、先日リリアーナを断罪したパーティーで彼女が見せた、あの眩い輝きを思い出す。
「おとぎ話に過ぎんと思っていたが…」
ダリウスは、指先で聖薬の小瓶に触れる。そこから放たれる、清らかで、しかし力強い聖なる気の奔流。
「ヴァインベルクの血に眠る『光の聖女』が、この時代に、まさか本当に蘇るとはな」
ダリウスは執務机の引き出しの奥にある、古びた羊皮紙をとり出し、今はもう存在しないはずの一族の紋章をなぞる。
はるか昔、この国がまだ統一される前、現王家の祖先によって滅ぼされた一族――
『混沌』を崇め、強大な闇の魔術を操ったとされる彼らの、最後の生き残り。それが、ダリウスの真の姿だった。
彼は、五大公爵家の一角であるヴァインベルク家を凋落へ仕向け、嘲笑と共に、しかし細心の注意を払って見つめてきた。その血筋だけが持つ、世界を混沌から救う――自らの悲願である「混沌の王」の復活を阻む唯一の力――その伝説を、彼は誰よりも信じ、そして警戒していたのだ。
「あの小娘、処刑を免れたばかりか、これほどの力を覚醒させていたとは…。セシリアたちを使ったまどろっこしい計画は失敗だ。これ以上、あの光を野放しにはしておけん」
ダリウスの瞳が、静かだが底知れない殺意に染まる。
「混沌の王の復活を阻む光は、完全に消し去らねばならん」
彼は、部屋の影に控えていた配下――王直属の隠密部隊の長を呼び寄せると、低い声で指令を下した。
「ヴァインベルク領へ潜入し、聖女リリアーナの力の源、行動、交友関係、そして…心の弱点。その全てを洗いざらい探り出せ。万全を期して、確実に息の根を止めるための情報をだ。決して、気づかれるな」
「御意に」
影は、一礼すると、音もなく闇に溶けて消えた。
◇
ヴァインベルク領に、その年最初の雪が舞い始めた夜。
冬支度は順調に進み、領地は静かだが希望に満ちた空気に包まれていた。リーナからの「王都の反応は上々よ!貴族たちが君のリンゴの噂で持ちきり!」という手紙も届き、私たちは春への期待に胸を膨らませていた。
執務室の暖炉には、ぱちぱちと心地よい音を立てて炎が揺れていた。私は、柔らかなブランケットにくるまり、揺り椅子に深く腰掛けて、その暖かさに微睡んでいた。
傍らには、完璧な騎士のように、しかしどこかリラックスした様子でノワールが控えている。彼は椅子に座るでもなく、床に敷かれた厚手の絨毯の上に、音もなく腰を下ろしていた。その姿は、まるで暖炉の一番暖かい場所を陣取る、大きな黒猫のようだ。
「春が来るのが、楽しみね」
私が、炎を見つめながら呟くと、彼は静かに頷いた。
「ああ。君が咲かせる花を、早く見たいよ」
穏やかな時間が流れる。彼の金色の瞳が、暖炉の光を反射して、ゆらり、と金色にきらめいた。その瞳は、時折、炎の揺らめきを追って、ほんの少しだけ左右に動いている。猫だった頃、揺れるものに目が釘付けになっていた癖が、無意識に出てしまっているのだろう。
その仕草がなんだか可愛らしくて、私はくすりと笑みを漏らした。
「ノワール?」
「…なんだい、リリア」
彼は、はっと我に返ったように、僅かにばつの悪そうな顔で私を見る。完璧な騎士の仮面が、一瞬だけ剥がれた隙間。
私は、揺り椅子からそっと手を伸ばし、彼の柔らかな黒髪を優しく撫でた。猫だった頃、一番喜んでくれた場所。
「…っ」
ノワールは、一瞬だけ体を強張らせたが、やがて諦めたように目を細め、心地よさそうに私の手に頭を預けてくる。その喉の奥から、微かに「ぐるる…」という、満足げな音が聞こえた気がした。
「いつもありがとう、私の騎士様」
「…君のためなら、当然だ」
騎士として威厳を保とうとする彼の声は、けれど、甘やかされて蕩けそうな響きを隠しきれていなかった。
平穏な冬の裏で、黒幕の魔の手が迫っていることを、こんなにも幸せな時間を過ごしている私たちは、まだ、知る由もなかった。
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