第15話:未来への投資
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財政危機を乗り越えた翌朝、執務室には新たな希望の光が満ちていた。
私とアーネスト、そしてノワールは、運び込まれた財産を前に、今後の計画を練っていた。
「リリアーナ様、この資金があれば、まずは近隣の商業都市から冬を越すための食糧を十分に買い付けることができます。民も一安心でしょう」
アーネストが安堵の表情で提案する。それは領主として、当然の責務だった。
「ええ、もちろん食糧の確保は最優先です」
私は頷き、そして続けた。
「ですが、アーネスト。ただ食糧を与えて冬を越すだけでは、春になっても私たちの状況は何も変わらないと思うのです」
私の言葉に、アーネストは「と、申しますと…?」と問い返す。
「この資金は、民の『未来』に投資したいのです。彼らを日雇いで雇用し、この領地のインフラを整備する。荒れた街道を補修し、詰まった水路を整備する。そうすれば、彼らは仕事の対価として賃金を得ることができます」
私は、熱を込めて語った。王立魔法学園で「魔力なし」と蔑まれていた私は、実技の授業に出ることを許されなかった。その膨大な時間を、私は一人、図書館で過ごした。魔法の代わりに、様々な本を読んだ。その中で歴史や経済、そして統治論も読んでいたのだった。
そのときは特に役に立てようなどとは思ってもいなかった。ただ、ただ、現実逃避をするために読書に没頭していただけである。でもそれが、こうして誰かの役に立つのなら、あの時間も決して無駄なことではなかったと思い、嬉しさがこみ上げてきた。
「その賃金で、彼らはパン屋でパンを買い、鍛冶屋で農具を直し、市場で日用品を買う。お金が領内で循環すれば、それはただの消費ではなく、領地全体の活気に繋がるはずです。仕事と誇り、そして自分たちの手で村を良くしていくという希望を、彼らに取り戻してほしいのです」
私の、付け焼き刃ではない知識に裏打ちされたビジョンに、アーネストは目を見開いた。そして、深く、深く頷いた。
「素晴らしいお考えです、リリアーナ様。このアーネスト、感動いたしました。全身全霊で計画を支援させていただきます!」
その様子を、ノワールが満足げな笑みを浮かべて見守っていた。
◇
その日の午後、私は領地の片隅にある、陽当たりの良い開けた場所に来ていた。ノワールとの、秘密の魔法レッスンのためだ。
「いいかい、リリア。君の力は、ただ祈るだけで発動するものではない。もっと明確なイメージを持つことが重要だ」
ノワールは私の後ろに立つと、私の両手をそっと包み込むように取った。彼の体温が背中から伝わってきて、心臓がどきりと跳ねる。
「まずは、小さな光を、この手のひらの上に灯すことから始めよう。夜空に輝く一番星を思い浮かべて。小さくても、誰かの道しるべになる、強く、優しい光を」
彼の囁きが、耳元をくすぐる。集中しなくちゃいけないのに、意識が全部、背中の彼に持っていかれそうになる。
私は深呼吸をして、彼の言う通りに、澄んだ夜空に瞬く星をイメージした。
(私の光が、誰かの希望になりますように…)
すると、包まれた私の手のひらから、ぽっ、と蛍のような小さな光が生まれた。
「すごいじゃないか、リリア!初めてでここまでできるなんて」
ノワールが、心から嬉しそうに言う。その声に励まされ、私はもっと光を大きくしようと意識を集中させた。すると、光はふわりと大きくなったものの、すぐに輪郭がぼやけて消えそうになる。
「あっ…!」
「焦らないで。力を制御するんだ。君の魔力は、まだ生まれたての仔猫みたいなものだ。優しく、優しく導いてあげないと」
彼はそう言うと、私の手に重ねた自身の手に、ぐっと力を込めた。彼の冷たい闇の魔力が、私の温かい光の魔力にそっと寄り添い、暴走しかけていた光を優しく鎮めてくれる。まるで、光の揺りかごのようだった。
「僕の闇が、君の光の輪郭を作る。さあ、もう一度」
「うん…!」
彼のサポートを受けながら、私は何度も光を灯す練習をした。彼の腕の中は、世界で一番安全な魔法の教室。失敗しても、彼がすぐに助けてくれる。その安心感が、私の力をどんどん安定させていった。
レッスンの終わり、私はようやく、掌の上でビー玉ほどの大きさの光を安定して灯せるようになっていた。
「よく頑張ったね」
ノワールが、労うように私の頭を優しく撫でる。その大きな手で、髪を梳くようにゆっくりと撫でられる感触は、ただ甘やかされているのだと実感させられ、顔が熱くなるのを止められなかった。
「ありがとう、ノワール先生。あなたのおかげよ」
私がはにかんで言うと、彼は「ご褒美をくれるなら、もっと頑張れるんだけどな」と悪戯っぽく笑った。
◇
翌日から、領地の再生計画は本格的に始動した。
広場で私が自ら計画を説明すると、最初は半信半疑だった民も、「日雇い」と「確かな賃金」という言葉に、次第にその目を変えていった。
街道整備が始まると、私は豪華なドレスではなく、動きやすいシンプルな服を着て、毎日現場に顔を出した。額に汗して働く民にお茶を配り、子供たちの他愛ない話に耳を傾け、そして、練習したばかりの光魔法で、彼らの小さな切り傷や擦り傷を癒して回った。
「聖女様の光は、あったかくて気持ちがいいなあ」
「姫様がこうして見ていてくれるんだ、頑張らねえとな!」
私の真摯な姿と、その日の終わりに銅貨で支払われる確かな賃金は、民の心を急速に溶かしていった。
数日もすると、領地には目に見える変化が起き始めた。男たちが得た賃金で、女たちがパン屋に列を作り、子供たちが新しい服をねだる。パン屋の主人は儲かった金で鍛冶屋に新しい窯の修理を依頼し、鍛冶屋の親方はその金で酒場に飲みに行く。
お金が、活気が、希望が、確かにこの村で循環し始めていた。
だが、その熱狂から少し離れた場所で、腕を組み、鋭い目つきでその光景を見つめている青年がいた。自警団のリーダー、テオだ。
ある日の夕暮れ、彼はついに、民に囲まれる私の前に進み出た。
「姫様、あんたのやってることは悪くねえ。村が活気づいてるのもわかる。だが、順番が違うんじゃねえか?」
彼の厳しい声に、周囲の和やかな空気が一瞬で凍り付く。
「街道を綺麗にして、村が豊かになれば、それを嗅ぎつけた盗賊や魔物が必ず現れる。街道整備なんかに金と人を使う前に、まずは村を守るための柵や見張り台を強化し、俺たち自警団にまともな武具を揃えるのが先だろうが!」
彼の言葉は、厳しい現実を突きつける刃だった。浮かれていた民の顔にも、「確かに…」という不安の色が広がる。私は、その正論に、返す言葉を見つけられなかった。
「黙ってないでなんとか言ったらどうだ!あんたを守ってる、そこの黒いのですら何も言えねえようじゃ…!」
テオが苛立ち紛れに、ノワールを指差した、その瞬間だった。
「――馴れ馴れしい」
氷のように冷たい声と共に、ノワールの姿が掻き消えた。そう見えた。
次の瞬間、テオは「ぐっ…!?」と苦悶の声を上げ、その場に膝をついていた。彼の腕が、捻り上げられ、ノワールに片手で完璧に制圧されていたのだ。あまりの速さに、誰の目にも何が起きたのか理解できなかった。
「なっ…!?」
テオの仲間たちが慌てて武器に手をかけるが、ノワールの「動くな」という一言と、殺気とも呼べない純粋な『圧』だけで、全員が金縛りにあったように動けなくなる。
「お前は、この領地を守ると言ったな」
ノワールは、苦痛に顔を歪めるテオの耳元で、冷ややかに囁いた。
「だが、その程度の実力で、何が守れる? 俺の動きが見えもせず、こうして容易く腕一本取られるような男が、どうやってリリアを、この領民を守るというんだ?」
「それに、この領地に手を出そうとする愚か者がいれば、俺が影で処理している。現に、この数日でお前たちの知らないところで、三つの盗賊団がこの森から『消えた』」
「なっ…!?」
テオが絶句する。
その言葉は、テオのプライドを根元から叩き折る、絶対的な実力差の証明だった。
ノワールが手を離すと、テオは地面に崩れ落ち、捻られた腕を押さえながら激しく咳き込んだ。その瞳には、初めて見せる屈辱と、そして底知れない強者への畏怖が浮かんでいた。
「だが…、お前の熱意と覚悟は認めよう。領民が領土を守る。これが本来あるべき姿だ。だが、力が伴わなければ、それはただの犬の遠吠えだ」
ノワールはテオを見下ろし、冷徹に言い放つ。
「明日から俺が直々に鍛え上げてやる。死ぬ気でついてこい。半端な覚悟なら、今すぐ農具でも担いでいるんだな」
それは、情け容赦のない宣告だった。しかし、テオの心の奥で燻っていた「強くなりたい」という渇望の炎に、油を注ぐには十分すぎる言葉だった。
テオは、震える足でゆっくりと立ち上がると、ノワールを真っ直ぐに睨みつけた。その瞳には、もはや侮りはなく、ただひたすらに強さへの渇望が宿っていた。
「…望む、ところだ…!絶対に、アンタに一太刀入れてやる…!」
まだ交わることのなかった二つの「守る」という意志が、火花を散らしながら、初めて一つの方向を向いた瞬間だった。
私の領地改革は、新たな師弟(?)関係の萌芽と共に、次のステージへと進み始めたのだった。
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