第12話:聖女のチカラ
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私が足を踏み入れたのは、かつて領地で最も豊かな穀倉地帯だった場所。今では、ひび割れた大地が広がり、生命の気配すら感じられない、打ち捨てられた不毛の地だ。
その噂を聞きつけた領民たちが、遠巻きに、しかし大勢集まってきていた。誰もが、腕を組み、冷ややかで、疑いに満ちた視線を私に送っている。
「何しに来たんだ、新しい姫様は…」
一人の年老いた農夫が、乾いた土に唾を吐き捨てるように言った。
「どうせ俺たちの苦しみなんてわかりゃしねえ。着飾って、見物に来ただけだろ」
「聖女だって?そんなもの、おとぎ話だ。俺たちに必要なのは、奇跡じゃなくて、明日のパンなんだよ!」
辛辣な声が、あちこちから聞こえてくる。無理もない。彼らはあまりにも長く、裏切られ、虐げられてきたのだ。その心は、この大地と同じように、固く、ひび割れてしまっている。
アーネストが私の前に立ち、必死に彼らを宥めていたが、その声は不信の壁に虚しく吸い込まれていく。
私は、そんな喧騒にも惑わされず、畑の中心へと静かに歩みを進めた。そして、次の瞬間、領民たちの間に、どよめきが起こった。私が、その場に深く、膝をついたからだ。
ノワールが用意してくれた、一点の染みもない純白のドレス。その清らかな裾が、乾いた泥に汚れ、無残に色を変えていく。
「なっ…!」
「姫様が、地に膝を…!?」
「あのドレス、汚れるじゃねえか…!」
彼らにとって、貴族とは常に民を見下し、汚れることなど決してしない存在だった。その常識が、今、目の前で覆されたのだ。
ノワールは、私の数歩後ろに立っている。彼は何も言わない。ただ、その金色の瞳が、絶対的な信頼を込めて私を見守ってくれている。それだけで、私は無限の勇気が湧いてくるようだった。
私は目を閉じ、心を澄ませる。
(お願い、私の力…)
民の囁き声も、吹き抜ける風の音も、今はもう聞こえない。ただ、私の内なる声に、耳を澄ます。
(この乾いた大地を、潤してあげて)
(生きる気力さえ失った、この人々の心を、癒してあげて…!)
舞踏会で「月の涙」に触れた時の感覚を思い出す。あの、心の奥底から溢れ出した、温かい光。私の純粋な祈りに、体中の魔力が、まるで夜明けの太陽のように、ゆっくりと、しかし確かな熱を持って呼応し始める。
全身が、温かい光に包まれていく。
私は、そっと目を開け、両手を乾ききった大地に当てた。
「――光よ」
その瞬間、私の体から、眩いばかりの光の奔流が溢れ出した。それは、舞踏会の時とは比べ物にならないほど、強大で、優しく、そして神々しい、生命そのものの輝きだった。
光は、私を中心に、金色の波紋となって大地へと広がっていく。
奇跡が、始まった。
光に触れたひび割れた土は、みるみるうちに潤いを取り戻し、ふかふかとした黒々しい豊かな土壌へと生まれ変わっていく。
枯れて、茶色く変色していたはずの作物の芽が、まるで祝福を受けるように再び生命の緑を取り戻し、力強く、目に見えるほどの速さで天へと伸び始めた。水量が減り、淀んでいた川の水が、光に呼応するようにきらめき、清らかな水で満たされていく。
そして、その光の粒子は、遠巻きに見ていた領民たちの体にも、春の陽だまりのように優しく降り注いだ。
長年の重労働で凝り固まった腰の痛みが、和らいでいく。絶望に曇っていた視界が、クリアになる。諦めで冷え切っていた心の奥底に、じんわりと、何十年も忘れていた温かいものが灯っていく。
「あ……あ……」
最初に声を漏らしたのは、あの年老いた農夫だった。彼の乾いた瞳から、一筋、また一筋と、涙がこぼれ落ちる。
「なんだ…これは…あったけえ…」
その嗚咽は、伝染した。
「腰が…痛くねえ…」
「花が…咲いてる…」
「川の水が…きれいだ…」
目の前で起きている、人知を超えた光景。神にさえ見捨てられたと思っていたこの地に、確かに、恵みの光が降り注いでいる。
誰からともなく、固い膝が、泥の上に折られた。一人、また一人と、その場にひざまずき、祈りを捧げ始める。それは、誰かに強制されたものではない。心の底から湧き上がってきた、感謝と畏敬の念だった。
「聖女様だ…」
誰かが、震える声で呟いた。
「おとぎ話じゃなかった…本物の、聖女様が、俺たちのために…!」
絶望の淵に差し込んだ、あまりにも温かく、そして圧倒的な、希望の光。
ひび割れていたのは、大地だけではなかった。彼らの心もまた、この奇跡の光によって、潤され、癒され、新たな希望の芽が吹き出そうとしていた。
領民たちの目に確かな希望の光が灯ったのを確かめた、その瞬間。私の身体を支えていた最後の糸が、ぷつりと切れた。
全身の力が抜け、視界が真っ白に染まっていく。体中の魔力を、文字通り最後の一滴まで絞り出してしまったのだ。
「あっ…」
ふらりと傾いだ私の体は、しかし冷たい地面に打ち付けられることはなかった。倒れる寸前、いつの間にかすぐ側にいたノワールが、その力強い腕で私のことをしっかりと受け止めてくれていたからだ。
「リリア!」
間近で聞こえる彼の声には、焦りと、そして深い労りが滲んでいた。
「だ、大丈夫よ、ノワール…少し、立ち眩みがしただけ…」
強がって見せるけれど、足は鉛のように重く、もう一歩も動けそうになかった。
私の虚勢を、彼が見抜かないはずがない。ノワールは深いため息を一つつくと、有無を言わさず、私の膝の裏と背中に腕を差し込んだ。
「えっ…ちょ、ノワール!?」
次の瞬間、私の体はふわりと宙に浮く。いわゆる、お姫様抱っこというものだった。
大勢の領民たちが、ひざまずいてこちらを見上げている、その目の前で…。
「無茶をしすぎだよ、僕のご主人様。少しは自分のことも大事にしてくれないと、僕の心臓が持たない」
呆れたような、それでいてどこまでも優しい声で囁かれ、私の顔にカッと熱が集まるのがわかった。
「だ、だって…!下ろして、自分で歩けるから…!」
「だめ。君は頑張りすぎたんだ。あとは僕に任せて、少しお休み」
彼の腕は想像以上にがっしりとしていて、びくともしない。領民たちの「おお…聖女様を運ぶ、黒衣の騎士様だ…」という囁き声まで聞こえてきて、私はもう羞恥心で限界だった。
耐えきれず、彼の硬い胸板に顔をうずめる。とくん、とくん、と規則正しく聞こえる心音が、不思議と私の心を落ち着かせてくれた。
「…ありがとう、ノワール」
「どういたしまして、リリア」
彼の腕の中は、日向で丸くなる猫のように、世界で一番安心できる場所だった。
恥ずかしさと、疲労と、そして言いようのないほどの安心感に包まれながら、私はゆっくりと意識を手放した。
私の知らないところで、泥に汚れた純白のドレスの聖女を、漆黒の騎士が優しく抱きかかえて運ぶその姿は、まるで古い叙事詩の一場面のように、領民たちの心に深く、深く刻み込まれることとなるのだった。
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