第17話:風乾き、コートを畳む日――衣装部屋と新しい装い
ティアのコートは、すっかり乾いていた。
昨夜、雨の中庭で濡れたまま焚き火のそばにかけていたそれは、
今は穏やかな風に揺れ、どこか清められたように見えた。
そのコートを前にして、ティアがぽつりとつぶやいた。
「……もう、これじゃない気がするんです」
朝のカフェフロア。
ポヨがパンと紅茶を運びながら、きょとんとした声を出す。
「ティアさん、そのコート、もう着ないんですか?」
「ええ。もう十分着た気がして。……あのコート、私の“守り”だったんです」
「……守り?」
ティアは頷いた。
「街を出たとき、不安でたまらなくて。
誰かに会いたくなかったし、何も見られたくなかった。
だから、体を包むものが必要だったんです。けれど――」
彼女は窓の外を見る。
「ここでは、もうそれがいらないって、思えてしまったんです」
そうして、彼女は提案した。
「新しい服を作りたいです。今の私に合う、風を通す服を」
俺は、すぐに了承した。
そしてその日のうちに、ティアの発案で《衣装部屋フロア》が立ち上がった。
《衣装部屋》は、布を織る場所ではない。
“心の装い”を写すための空間だった。
中央には、鏡のような魔導水面があり、
自分の魔力と気持ちを投影することで、今必要な衣装のイメージを可視化できる。
それをもとに、魔布と呼ばれる素材を調合し、
自身の魔力と同調させて編んでいく。
ポヨが驚く。
「わあ〜……衣装作るのって、こんなに“心”が要るんですね」
ティアは笑いながら、水面に手をかざす。
波紋が広がると、そこに淡い青と白の布が浮かび上がった。
「風のように軽くて、でも、芯のある布。
空気みたいに、ふわふわじゃないけど、ちゃんとここにある――そんな服がいいな」
衣装の製作には、三日かかった。
キノコ三姉妹が糸を紡ぎ、ポヨが飾りの提案をし、モグが縫製器具を組み上げてくれた。
俺はティアの魔力調律をサポートするだけだったが、
それでも、彼女が服と向き合う時間に付き添えたことが、なんとなく誇らしかった。
三日後、完成した衣装は、白に近いグレイブルーのワンピースだった。
袖は短く、裾は軽やかに風を拾う。
胸元には淡く金の刺繍が入り、ダンジョンの風景がそっと描かれていた。
「これが、今の私です」
ティアはそう言って、鏡の前で軽く一回転する。
その動きは、ごく自然で、かつての彼女からは想像できないほど自由だった。
俺は、ただうなずいた。
「似合ってるよ。……すごく」
ティアはほんの少し、照れくさそうに微笑んだ。
その日、古いコートは、衣装部屋の片隅に丁寧に畳まれた。
誰も触れない場所ではなく、見えるけれど手に取られない位置。
“過去の自分を否定しないための保存”だった。
ティアはその上に、そっと小さな札を置いた。
『ありがとう。私を包んでくれて』
その夜、日記ノートに記す。
【第十七日目:心をまとう衣、そして古い殻との和解】
・《衣装部屋フロア》完成。魔導水面による意識投影。
・ティア、新たな服を仕立てる。
・過去の装いは、否定ではなく“卒業”として収蔵。
人は、変わる。
でもそれは、過去を捨てることではない。
このダンジョンには、変わるための“余白”がちゃんとある。
そして、それをそっと見守る者たちも、ちゃんといるのだ。
◇あとがき
今回は“服”を通して、“自己再構築”をテーマにしました。
コートを脱ぐという行為は、ただ物理的な軽装化ではなく、“心の再定義”でもあります。
ティアの物語は、ここから“選ぶこと”の章へと進み始めます。
◇応援のお願い
この装いの変化が、少しでもあなたの心に重なる部分があったなら――
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静かでやさしい服の物語に、どうぞ風を送っていただけたら嬉しいです。