第11話:誰もいないカフェの窓辺で、春色シフォンと風を待つ
春――と言っても、このダンジョンに季節の移ろいはない。
本来ならば、空も草木も温度も、全てが静止した人工の空間だ。
けれどそれでも、風の流れや光の色、空の模様を調整することで“春の気配”を感じることはできる。
今朝、ティアが言った。
「風が……やわらかくなりましたね」
その言葉がきっかけだった。
俺たちは、《喫茶フロア》を作ることにした。
発案からわずか半日、フロアの基礎は完成していた。
円形の床は魔法木材の濃いブラウン、天井は大きく開けて透明な結界が貼られ、常に柔らかな陽光が差し込む。
四方には大きな窓を配置し、その外側には《幻風花》と呼ばれる魔法の花が咲き乱れていた。
花弁は風に応じて微妙に色を変え、空気の匂いまでも調整するらしい。
「これはもう……普通にカフェより居心地良いわね」
ティアがそっと窓辺に座り、風に髪を揺らす。
スライムのポヨは、パティシエ帽を自前の体で作りながら跳ねている。
「お菓子! お菓子作りましょう! 今日は“春色シフォン”です!」
「春色って、何色だよ」
「ふわっとした桃色と、淡い緑と、あとは空の水色! つまるところ、カラフルなシフォンケーキです!」
「三色団子の洋菓子版みたいだな……」
「完璧な表現です!」
キッチンフロアから材料を持ち込み、みんなで春色シフォン作りが始まった。
ふわふわの魔素卵を泡立てて、色と香りのついた果汁を混ぜる。
桃香果、風葉草、空白果実――ダンジョンで採れた自然由来の素材ばかり。
ティアは泡立てのリズムに合わせて、口ずさむようにハミングする。
「……なに、その歌?」
「ふふっ。このダンジョンで覚えた“日常の音”ですよ。ほら、焼きたてのパンの匂いとか、風の中に溶けるお茶の香りとか」
「それ、音じゃなくて感覚じゃない?」
「いえ、“感じる音”です。私は、そう呼んでいます」
……なるほど。
音楽室で朝の旋律を奏でて以来、ティアの中にあるものが、少しずつ輪郭を持ち始めているようだった。
ポヨが高く跳ねる。
「焼けました〜! これが、春色三段シフォンです!」
透明な魔法ガラスの皿に並ぶ、ふわふわのケーキたち。
色とりどりの層は、美しさというより“あたたかさ”を感じさせる。
ティアが窓辺に置いたカップには、ミントと白桃のブレンドティー。
誰もいない。客もいない。外の世界とも切り離された、最果ての場所。
だけど――
「ここがいちばん、心が自由になれる気がする」
彼女が、そう呟いた。
午後の風が、フロアを抜けていく。
キノコ三姉妹は隅のソファでお昼寝中。ゴーレムのモグは外で花壇の手入れをしている。
ポヨは“シフォンの甘み解説原稿”を書いている。
ティアと俺だけが、窓辺に並んで座っていた。
「ねえ、マスター。……ここ、永遠にこのままだと思います?」
唐突な質問に、一瞬だけ考える。
「このダンジョンの構造としては、たぶんずっとこのまま維持できる。魔素の循環も、自動修復機能もあるし」
「……そうじゃなくて。私たちの心は?」
今度は、少し長く沈黙が落ちた。
外界にいたときのティアは、誰かに求められ、誰かに評価されることばかりに疲れていた。
ここでは、その必要はない。
でも、それでも、心というものは――
「……ずっと同じ場所にい続けるのって、意外と難しいかもな」
俺は、ようやく言葉を探して答えた。
「だからこそ、少しずつ“風景”を変えるんだ。ダンジョンの形を、日常の流れを、少しずつ」
「……進まなくてもいい。でも、止まらないように」
「うん。それが、たぶん、“生きる”ってことなんじゃないか」
ティアが静かに笑った。
その笑顔は、花の色に似ていた。
夕暮れの時間、シフォンケーキの残りをポヨが丁寧にラップして冷蔵庫に入れながら言った。
「明日もカフェ、開きますか?」
「ああ。明日は“風見クッキー”でも作るか。空を見上げながら食べるやつ」
「やったあ!」
「……ポヨ、あとで放送に流すレポートも頼むぞ」
「了解です、ぷるぷる記者、出動します!」
その夜、日記ノートにこう記す。
【第十一日目:風とシフォンと、窓の向こう】
・喫茶フロア設置完了。春仕様、好評。
・ティアの感性が明確な“音”を持ちはじめている。
・この空間に“止まらない安らぎ”を――
カフェの窓から見えた空は、変わらないのにどこか少しずつ違っていた。
何も起こらない。
でも、何かが確かに育っている。
このダンジョンは、生きている。
そう思えた一日だった。
◇あとがき
今回は“変化しないこと”と“少しだけ変わり続けること”をテーマにした回でした。
静かで、やわらかく、心に風が通り抜けるような物語にしたかったのです。
ティアの内面の変化はまだまだ続きます。
日々が続いていくというのは、物語が動く以上の奇跡だと感じています。
◇応援のお願い
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