11 サキュバスのシグレ
僕の目の前に、美しい女性が現れた。
長く艶やかな黒髪と、透き通るような白い肌、大きく澄んだ黒い瞳。そして、抜群のプロポーション。絵に描いたような美しい女性だ。
アヤメちゃんには似てないが、別系統の美しさと可愛らしさがある。そして意外にも東洋人的な親しみやすい顔つきをしていた。
普通の人間と少し違っているのは、頭に突き出た二本の小さな角と、背中に生えた小さな一対の翼があること。ちなみに、角は白い真珠のような光沢があり、翼の羽は髪の毛と同じく艶のある黒い色をしている。
背中の大きく開いた濃紺のドレスが非常に似合っている。
その女性は長いスカートの裾をちょっと持ち上げて、スッと音もなく僕の前にひざまずいた。
「我が主よ、何なりとお申し付けくださいませ」
僕が生身の体だったら、絶対どこかしらに変調をきたしていたと思う。
でも、今の僕の身体は無機質なダンジョンコアだ。静かな湖面のように平坦な心で、その女性の肢体をじっくりと上から下まで観察した。どんなにネットリとした視線で穴のあくほど見ようが、今の僕には顔がないから大丈夫なのだ。眼福、眼福。
『最高だ! アヤメちゃんには悪いが、彼女が僕の中の一位になった』
何も言わない僕を、その女性はひざまずいたまま小首をかしげて、不思議そうに見上げている。
「あぁ、ごめんよ。僕は霧島武蔵、ダンジョンコアをやってる。ムサシって呼んでいいよ。それで、君の名前を教えてくれる?」
「はい、ムサシ様。私の名前はシグレと申します」
「時雨かぁ、いい名前だね。艶やかな君の雰囲気にピッタリだよ」
以前の僕なら、考えただけでも羞恥心で床を転げまわっていただろう。歯の浮くようなキザなセリフを、サラっとつっかえもせず言えてしまう今の身体に感謝だ。誰に感謝するのかは分からないが……。
「滅相もございません」
シグレは少しほほを染めて嬉しそうな顔をした。
その表情がまた素晴らしく、ダンジョンコアの僕でさえ正気を失いそうになった。これがサキュバスの能力なのかと、恐れ入った。
僕は近くに椅子を出して、シグレを呼んだ。
「じつは、今すごく暇なんだよ。ここに来て話し相手になってくれないか?」
「承知しました」
シグレはぱっと輝くような笑顔を見せると、僕が出した椅子に座る。シグレからなんとも言えない良い匂いが漂ってきた。
『あぁ、何と心地の良い……。以前の僕だったら、ひとたまりもなかったな』
それから僕は、シグレと5年分のおしゃべりをした。
昔観た映画やアニメのこと、読んだラノベのこと。このダンジョンのことも。
シグレはすごく聞き上手で、話し上手だった。頭の回転が早いのだろう。僕の拙い話を喜んで聞き、上手く話を膨らませてくれた。どんな話題でも生返事をすることもなく、きちんと返してくれるのだから驚きだ。僕のお母さんでも、ここまで親身になって聞いてくれなかったのに。
彼女は恐ろしく知識が豊富だった。それこそ、科学、歴史、芸術、語学、心理学、オカルト、政治、経済……、どんな分野にも詳しかった。僕の話の中の、半端な知識をさりげなく補ってくれた。僕のいた世界のテレビ番組のことまで知っているんだから、異常というしかない。
「すごいなぁ! シグレはそんなこと、どこで習ったんだ?」
「私は、この世とあの世の狭間におりました。そこでは、あらゆる世界のあらゆる物事に触れることが出来るのです」
「へぇぇ……。そこにいたのは何年くらい?」
シグレは眉を八の字にして、困ったような恥ずかしそうな顔をして言った。
「ムサシ様、それだけは秘密でございます。私も一応女ですから」
「え!? はっ、そうだった。ごめんごめん」
どう大きく見積もっても十代後半にしか見えないが、そういえば彼女は悪魔だった。僕よりもはるかに年上の可能性があるんだった。
『ああ見えて、実は1000歳とかな。あの知識量なら、あり得なくはないぞ。超絶BBAの可能性も……』
「ムサシ様。今、私の悪口を考えませんでしたか?」
シグレの笑顔が怖かった。