婚約者に「君の愛は重い」と言われたので、愛情表現を控えることにした……ら?
完全に趣味で書きました。バカップルのすれ違いを「何を見せられてるんだろう」と思いながらさくっとお読みいただけたら幸いです。
「セシル様、大好きです」
私、リア・アシュリーは婚約者のセシル・レイクスが大好きだ。
セシル様と出会ったのは十二歳の時に開かれたお茶会。星ひとつない夜空のような真っ黒な髪に、雲ひとつない晴天のような空色の瞳をした彼をひとめ見た瞬間、これまで経験したことのない胸の高鳴りを覚えた。
あまり会話が得意でないセシル様だったが、たまに僅かに口角を上げてくれるだけで飛び上がるほど嬉しくて、気づけばいつもセシル様のことを考えるようになっていた。それをメイドに相談すると「リアお嬢様、それは〝恋〟ですよ」と教えてくれた。
私はセシルが好き。
それはいつしか、アシュリー伯爵家で周知の事実となる。
そして私が十四歳になった頃、正式に私とセシル様の婚約が決まった。なんでも、お父様がレイクス侯爵家に直々に掛け合ってくれたらしい。その時、お父様が投資とサポートをした芸術家の作品が国で高く評価され始め、アシュリー伯爵家は結構な収益を得ていた。
その噂は貴族間で広まっており、レイクス侯爵家も悪い話でないと踏んだのだろう。むしろ今繋がりを持っておけば、芸術関係の人脈や仕事を得るチャンス。我が家が伯爵家の中でもお金持ちであることも影響したのか、あっさりと婚約の申し込みは受け入れられた。
セシル様からすると、ただ家に決められた政略結婚だったかもしれない。
だけど、私はセシル様を誰よりも幸せにすると決めていた。会うたびに目一杯、愛の言葉を伝え続けた。
『セシル様、今日も大好き』
『……ありがとう』
返ってくるのはいつもお礼の言葉だったが、いつか「好き」って返してもらえるように。
セシル様に好きになってもらうため、必死に頑張った――のもたしかなのだけれど……。
婚約者として共に過ごす時間が増えてから、私はどんどん彼への想いが膨らんでいった。同時に独占欲も高まっていく。それ故に時には醜く嫉妬をぶつけ、セシル様を束縛してしまうことも増えていった。
私以外を見ないでほしい。私以外の女の子と話さないでほしい。家に帰らないで、もっと一緒にいてほしい。
年齢を重ねてどんどん大人になっているというのに、私はこんな子供じみた我儘を言うようになったのだ。
それでも優しいセシル様は文句ひとつ言わなかった。黙って私の言うことを聞いて、婚約関係を続けてくれた。
……セシル様はあまり感情を表に出さないから、どんなふうに思っているかわからない。でも、嫌そうに眉をひそめられたことも、ため息をつかれたこともない。
周囲からは「クールというより無愛想。なにを考えているかわからない」と言われているセシル様だけれど、私はそんな中に隠れた優しさや熱さを持っている彼を知っている。そんなセシル様が誰よりもかっこよくて、素敵だと思っていた。
もちろんそんなセシル様を周囲に教えたくはないから「クールなセシル様最高!」って言い回っているのだけれど。
「半年後、ついにセシルも二十歳になる。誕生日に合わせて正式に結婚してもいいかもしれんな」
婚約してからもうすぐ四年が経とうとした頃。ついにレイクス侯爵の口から私とセシル様の結婚について言及があった。
――ついに、ついにセシル様の妻になれるのね!
私は最上級に浮かれていた。貴族に生まれながら初恋の人との結婚が叶うなんて、私はどれだけ幸せ者なのだろうか。
セシル様も、昔より私の目を見てくれることが増えたし、微笑んでくれることも多くなった。多分だけれど、嫌われてはいないはず……。
私との結婚を少しでも喜んでくれていたらいいな。
脳内にそんなお花畑な考えを浮かべたまま、私は屋敷でクッキーを焼き、サプライズでセシル様の屋敷を訪ねることにした。
このクッキーは、私が初めてセシル様に渡したプレゼントと同じものだ。あれは十三歳の時だったろうか。セシル様は「美味しい」と言って、すべて完食してくれた。一生忘れることのない思い出だ。
屋敷へ到着すると、馴染みのメイドが私をセシル様の部屋まで案内してくれた。どうやらフィニアス様も来ているようだ。フィニアス様はセシル様の唯一無二の親友でとても仲が良い。フィニアス様も侯爵令息で、元々親同士が仲が良かったこともあり、一緒に過ごす時間が増えたようだ。
私もフィニアス様と会ったことは何度もある。
三人でお茶をしたこともあるし、簡単なカードゲームをしたり、セシル様と一緒にフィニアス様の屋敷へお邪魔したことも。
……フィニアス様は女性の扱いがうまくて、社交場でもモテている。そんなフィニアス様と一緒にいるセシル様を見ると、ものすごく不安になっていた。
セシル様は無愛想だけど、すっっっっごくかっこいいのだ。背も高いし、スタイルもいいし、髪もサラサラだし瞳はキラキラで声も低くて色気が合って……はあ、好き。好きすぎる。
話は逸れたが、フィニアス様目当てで近づいてきた令嬢がセシル様に見惚れる、なんて事態は多々あった。だから、フィニアス様がセシル様とふたりでどこか出かけると聞くと、なんとなく嫌だった。
私のその気持ちを察して、フィニアス様もこうやって屋敷で話す、というスタイルをとるようになったらしいが――絶対、私はフィニアス様に面倒な女だと思われているに違いない。
ふたりがいつまで話すかわからないし、今日はクッキーだけ渡して帰ろうかしら。……結婚したら、同じ屋根の下でセシル様と暮らせるんだもの。妻としての余裕を持つのも大事よね! うん。今日はすぐに帰ろうっと。
廊下を歩き、セシル様の部屋に到着する。
扉を開けようと重みのある金色のドアハンドルに手をかけたその瞬間、フィニアス様の軽快な声が聞こえてきた。
「なあセシル。実際どうなんだよ。リアのこと」
私はそのまま手をぴたりと止めて、扉の前で立ち止まる。
盗み聞きなんてよくないとわかりながらも、聞き耳を立ててしまう自分がいた。
……ずっと知りたかった。セシル様が、私をどう思っているか。
親友のフィニアス様になら、セシル様は本心を打ち明けるだろう。これは私が知らないセシル様の感情を知るチャンスかもしれない。
「半年後に結婚って話だろ。……たいへんなんじゃないか? ほら、リアって独占欲強いし。情緒も安定はしてない。お前のこと好きなのはわかるけど、ちょっと重すぎるっていうかさ」
フィニアス様の言葉がひとつひとつ、大きな石のようにずしんと響く。
自分でもわかっている。というかやっぱり、フィニアス様は私をそんなふうに思っていたのね……。
セシル様は、なんて答えるんだろう。
ごくりと生唾を飲み込むと同時に、心臓がドキドキと大きく脈打つ。ドアハンドルを握ったままの手にはじわりと汗が滲むほどだ。
「――正直、リアの愛は重い」
ずしん。
さっきとは非にならないほどの巨大な石が、私の心にのしかかる。
胸の奥からざわざわとした気持ち悪い感情がこみ上げて、うまく息ができない。おもわず、左手で持っていたクッキーの包みを床に落とす。
「だからこそ……たまに耐えられなくなる」
大好きなセシル様のその声は、とても辛そうに聞こえた。
――ああ、セシル様、ずっとそう思っていたのね。
私の一方的で自己中な愛情表現はずっと……セシル様の負担になっていたんだ。
「……っ」
これ以上は、聞く勇気がない。
私はクッキーをひったくるように拾うと、セシル様の部屋に入ることなくその場から逃げるように立ち去った。
ごめんなさい。セシル様。
それでも私、あなたが大好きなんです。ここまで聞いてもあなたを諦められない私を、どうかお許しください。
◇
俺の婚約者、リア・アシュリーは、俺をとても好いてくれている。自分で言うのもなんだが、愛されているという自覚がある。
リアは俺が十四歳の時にとあるお茶会で出会った。
白銀の長い髪を揺らし、すみれ色の大きく丸い目をした彼女は、会場でもひと際目立っていた。生まれて初めて、誰かに見惚れてしまった。それは、周囲の男たちも同じだったと思う。
そんなリアが、なぜかその日以来やたらと俺に構うようになった。
そして気づけば、婚約関係にまで発展していた。両親は本来ならば俺を同等の身分の令嬢と結婚させたかったようだが、アシュリー伯爵家から縁談の話が出た際はふたつ返事でオーケーしたという。
『リア嬢は、セシルがずっと想いを寄せていた相手だろう? それが決め手だ』
婚約が決まった夜、父上が俺ににやにやしながらそう言った。
俺はなにも答えなかった。そもそもリアを想っているなど父上に言ったことがない。それなのに、なぜ。父上には俺の心が透けて見えていたのだろうか。
リアは会うたびに毎回「大好き」と言葉にしてくれて、俺を見る目にはいつも熱がこもっていた。
だが俺がほかの女性と少しでも会話をすると、途端に目に光がなくなって、嫉妬心を剥き出しにする。束縛もしてくるが、言うことを聞けばいつもの笑顔にすぐ戻り、安心したように微笑んでくれる。
『リア嬢って、セシル様への愛が重すぎるわよね。あれじゃあ、男性が耐えられなくなると思うわ』
令嬢たちが、リアのことをそんなふうに言っているのを何度か耳にした。リアの愛が普通よりも重いというのは、その愛情を正面から受けている俺がいちばんわかっていた。
「なあセシル。実際どうなんだよ。リアのこと」
ある日の昼下がりのこと。
半年後に正式にリアとの結婚を控えた俺のもとに、親友のフィニアスが訪ねてきた。そして、頬杖をつきながらそう言った。
「半年後に結婚って話だろ。……たいへんなんじゃないか? ほら、リアって独占欲強いし。情緒も安定はしてない。お前のこと好きなのはわかるけど、ちょっと重すぎるっていうかさ」
フィニアスは肩ほどまである金髪の毛先を人差し指でくるくると弄びながら、俺のリアへの気持ちを探るように続ける。
俺は手に持っていたティーカップを置くと、フィニアスに向けて口を開いた。
「――正直、リアの愛は重い」
彼女の愛が重くないといえば嘘になるだろう。
フィニアスは俺に目線を向けて、少し驚いたような顔をする。
「だからこそ……たまに耐えられなくなる」
言葉にしながら、どんどん辛くなってきた。
それより……なにかが落ちたような音がした気がするが、気のせいか?
「耐えられないって?」
「そんなの……あの愛がもし、ほかのやつに向いたらと思うと…! 耐えられないに決まっているだろう……!」
なにを当たり前のことを聞いてくるんだと、俺はフィニアスを睨みつけた。
フィニアスは「ああ、そっちか……」とか言いながら、呆れた顔でまた視線を自分の毛先へと移す。
「リアの愛は重い。あんなに愛情を注いでくれる。その素晴らしい愛が軽いわけがないだろう。いつか彼女の愛が俺以外に向くことがあるとしたら……俺は冷静ではいられない。罪を犯す可能性だって大いにある。その時はフィニアス、どうか止めないでくれ」
「そこは普通、止めてくれって頼む場面じゃないのか?」
リアが俺を好いてくれているように、俺も当然、リアが大好きだ。
それを知っているのは、目の前にいる男だけ。……それと、リアにも伝わっている……と思っているが、如何せん俺は不器用なため、ここまで想っていることは伝わっていない可能性もあるだろう。
「リアはこの世で最も美しく、愛情深く、優しい完璧な女性だ。そんな彼女が俺なんかと付き合ってくれている。話もうまくない陰気な俺と……」
「なんでお前ってそんなに自己評価低いんだよ。綺麗なツラして背も高くて身分も立派で、剣の才だってあるくせに」
「そんなのお前だって全部あるじゃないか。そのうえお前は女性の扱いを心得ているし、流行りにも敏感でおしゃれだろう。だがリアはそんなお前より、俺をいちばんだと言ってくれるんだ」
「なんかむかつくなお前」
リアほどの女性ならば引く手あまただろうに。それなのにも関わらず、リアの視線はいつも俺を捉え、決して逸らそうとはしない。一途な眼差しを受けるたびに、心臓がときめきで鷲掴みにされる。
ああ、彼女の美しい瞳には俺しか映っていないのだと、自分に自信を持たせてくれるのだ。
「リアに束縛されることは、俺にとって喜びだ。むしろ俺をもっと独占してほしい」
「……」
「なあフィニアス。リアは婚約してすぐ俺にこう言ったんだ。〝私はセシル様がいなくなったら死んでしまいます〟と。涙ぐみながら、俺の袖をきゅっと握って……」
「その話、百回は聞いたからもういいぞ」
「こんなに求められ、必要とされたのは初めてだった。……嬉しかった」
思い出すと全身が熱くなる。
俺もリアがいなくなれば生きていけない。俺は完全にリアに依存している。リアは俺のすべてなのだ。生きていく希望でもあり、意味でもある。
「相変わらず惚気はうざったいけど……まぁ、通常運転で安心した。ていうかさ、お前の愛も同じくらい重いって、そろそろリアにバラしてもいいんじゃ?」
呆れた表情を浮かべて、フィニアスはチョコレートをつまむとひょいっと口に放り込む。
「駄目だ! 前も言っただろう。俺はリアの前で、最高な俺のままでいたいんだ」
俺は以前、リアが令嬢たちと会話している中で「クールなセシル様は本当に最高なんです」と言っているのを聞いてしまった。それからはあまり感情を出さないように気を付けた。すべて、リアに最高と思われたいがために。
「ああ、早く結婚したい。半年後が待ち遠しい……結婚したら、生涯リアが俺を独占してくれる。幸せすぎて死ぬかもしれない。リアが悲しむから死ねないが」
「おいセシル、もう帰ってもいいか?」
帰りたがるフィニアスを無視して、俺はリアとの結婚について空の色が変わるまで語りつくした。フィニアスはまだ婚約者もいなければ恋人もいない。「まだいろんな子と遊びたい」なんて言う始末だ。そんな親友に、一途な愛がどれほど素晴らしいかを語るには、これでも時間が足りないほどだった。
「あ、セシル様」
「なんだ」
フィニアスを見送った後、メイドに声をかけられる。
「リア様にはお会いできましたか? セシル様に会いにきていたので、お部屋にご案内したのですが」
「……リアが? いいや。来ていない」
「えっ。だとしたら……フィニアス様がいる旨を伝えましたので、それを気にして引き返されたのかもしれませんね」
リアは気を遣って、俺の部屋に来るのをやめてしまったようだ。……残念。会いたかった。
だが結婚すれば、毎日リアと一緒にいられる。ここは未来の夫として、心に余裕を持とう。
それに――明日はリアと午後から会う約束をしている。その時に今日の件を謝ろう。
……そう思って迎えた、次の日の午後。
「セシル様、ごきげんよう」
「ああ」
「……」
「……」
どうもリアの様子がおかしい。こんなにもよそよそしく、俺と目を合わさないリアは初めてだ。
「あ、あの、セシル様」
「! なんだ」
今日はまだ、リアに「大好き」と一度も言われていない。ようやく来たと思い、いつもより大きな声で返事をしてしまった。恥ずかしい。冷静を保つんだ。セシル・レイクス。
「……いえ、なんでもありません」
「……え」
「あの、今日はもう帰りますね」
「……あ、ああ」
リアは屋敷へ来てまだ一時間というのに、そそくさと帰ってしまった。リアが乗った馬車が遠のくのを見つめながら、俺はこれまでにないほどの不安に苛まれ、その日はショックで眠れなかった。
◇
あの後、どうやって屋敷まで帰ったかの記憶がほとんどない。自室のテーブルの上には、誰の手にも渡らなかったクッキーが寂しげに置かれている。……食べ物に罪はないため、後でお父様にでもあげよう。
「……どうしよう」
ベッドの上で枕に顔を埋めて、私はこれからどうしようかと考える。
セシル様は、私の愛が重すぎて耐えられないと言っていた。
このままでは、セシル様の二十歳の誕生日を前に婚約破棄をされる可能性だってあるだろう。
「……そんなのは嫌!」
セシル様がどうしても私といるのが苦痛で、私と結婚など死んでもしたくないと言うのならさすがに諦める。でも――まだ挽回できるチャンスがあるのなら、私が今後もそばにいることを許してほしい。
「たしかに……やりすぎだったわよね……」
大好きなセシル様に好かれたいと思いながら、私は彼の負担になってしまっていた。思い返しても、私は我儘だったと思う。
セシル様を誰にも奪われたくないという感情が強くて、彼の外出先を毎回確認したり、自分は誘われていない社交場にも強引に付き添ったり、一緒にいたくて「帰りたくない」または「帰らないで」と駄々をこねた回数は数えたくもないほどだ。
「決めた。今後は愛情表現を控えるわ」
私にとってはつらいことだが、セシル様に婚約破棄されるのはそれよりももっとつらい。
過激な愛情表現をやめて、セシル様を困らせないようにすれば……きっと彼も心を入れ替えたと思ってくれる。
セシル様に嫌われたくない。ずっとずっと、一緒にいたい。
これはすべて、セシル様のため。
それから私は、愛情表現を抑える計画をひとりで実行に移した。
姿を見るだけで自然と口から「好き」の二文字が発せられそうになるのを必死で堪え、くっついたり抱きしめたりしたくなったら自らその場を退散する。
ほかにも、これまではセシル様が私の屋敷へ遊びに来て「そろそろ帰る」と言えば、最低でも3回は引き留めていたが、おとなしく帰すようにもした。
セシル様がほかの令嬢やメイドと話していても、あからさまに嫉妬を露にはしない。なんとか気にしていない素振りを貫き、醜い嫉妬心をセシル様に気づかれないよう心掛けた。
暇があればセシル様に会いに行っていたが、一緒にいればいるほど愛情表現をしてしまいそうになるため、できるだけ距離を置くようにもした。
これまで私は散々セシル様の自由を奪っていたから、セシル様に好きなことをできる時間を確保してほしかったのだ。
私は寂しくてたまらなかったが、誘われたお茶会に片っ端から参加して気を紛らわせた。令嬢とおしゃべりをしている間も頭の中はセシル様でいっぱいだったが、回数をこなすうちに、こういった時間もこれはこれで楽しいなと思うようになった。
そんな生活を続けて、三か月が経った頃。
「リア、話がある」
珍しく、セシル様がそう言って急に私のもとへ訪ねてきた。
ちょうどお茶会帰りだった私は、慌ててセシル様が待つ部屋へと向かう。
「お待たせしました。あの、話ってなんでしょうか」
ふたりきりの空間で向かい合い、どこか気まずい空気が流れる。
……婚約破棄の話だったらどうしよう。そう思うと、自然と膝の上に置いた両手が震え始めた。
しばらく沈黙が流れた後、セシル様の空色の瞳がゆっくりと私を見据える。久しぶりに目が合って、どきりと心臓が跳ねた。
ああ、こんな状況でも「セシル様大好き」という言葉が喉元までこみ上げてくる。でみ我慢よ! だって、私の愛はセシル様にとって重すぎるのだから!
「……俺はリアに、なにかしただろうか」
か細い声で、セシル様がぽつりとそう呟いた。
「えっ」
予想外の質問に、おもわず素っ頓狂な声を上げてしまう。
「いえ……セシル様はなにもしておりません」
どちらかというと、これまで私がセシル様にいろいろとしでかしてきた側だ。
「じゃあ、リアは俺が嫌いになったのか?」
セシル様は前のめり気味に、今度はそんなことを聞いてくる。
「まさか! ありえません! 私がセシル様を嫌いになるなんて……」
〝嫌い〟なんて、どんな状況でも口にしたくない言葉だ。
「だったら……どうして……」
「……セシル様?」
私の答えを聞いても、セシル様は納得いかないようだ。それに、なんだか具合が悪そうにも見える……。
「最近のリアはおかしい。今日だって、俺に黙って知らない子爵家のお茶会に行っていたそうじゃないか。今まではそんなことなかったのに……君は、俺が参加する社交場にしか来なかっただろう」
「えっと……私個人でも、人脈を広げておこうかなって……」
「……俺のところにもあまり来なくなったな。我儘も、人前でところかまわず触れてくることもなくなった。あきらかに様子が変わっている」
セシル様がどんな意図でこんな質問を私にしているのかはわからない。もしかすると、確かめにきたのかも。私の愛が、本当に重くないかどうかを。
様子のおかしな私が嘘でないかを、頭のいいセシル様は探りにきた。じゅうぶんありえる話だ。
ここで私が昔の調子に戻っては、すべての努力が水の泡になる。
「それは……そもそも、今までの私がおかしかったんです!」
「……どういうことだ?」
「過剰な愛情表現をしていた私は、自分でもおかしかったと思っています。だから、今が本来の私なんです」
セシル様に耐えられないとまで言われた私は、いっそいなかったことにしてしまえばいい。そうしたら、セシル様も安心して、改心した私と向き合ってくれるはず――と、思っていたのに。
「……そうだったのか」
私はこの時、初めてセシル様の悲しそうな表情を見た。セシル様はそのまま、なにも言わずに部屋を出て行く。
「セ、セシル様っ……」
追いかけて部屋を出る。だけど、セシル様はこちらを振り返ってはくれなかった。
どうして、あんな顔をするの?
私は……セシル様に嫌われないように行動したつもりだった。それなのに、どうして?
さっきのセシル様の表情が頭から離れない。
今までどれだけ束縛して、独占して、なりふり構わずベタベタしても顔色ひとつ変えなかったセシル様があんな顔をするなんて。私はなにを間違ったのだろう。
◇
「もう消えてしまいたい」
フィニアスを呼び出し、俺は開口一番にそう言った。
「……まだ病んでるのか?」
呆れつつも向かいの席に腰掛けてくれるフィニアスに、俺は心の底から感謝した。気持ちをすべてぶつけられる先は、親友の彼しかないからだ。
「数か月前まで散々惚気てたくせに、なんでこうなるんだよ」
「そんなのは俺が聞きたい。平和で幸せだったあの日々はもう戻ってこないんだ」
「……まぁ、たしかにリアのここ最近の様子は明らかにおかしかったな」
おかしい、なんて四文字で片付けられるものではない。
リアは急に変わってしまった。毎日言ってくれた「大好き」の言葉もなくなり、俺と一緒に行動する時間も減った。リアはリアで、自由な時間を楽しむようになった。この前なんて、俺以外の男がたくさんいる社交場に顔を出していたらしい。
「リアがほかの男に笑いかけたのかと思うと死んでしまいたい」
「メンタル弱すぎだろ。そこは笑いかけられた男を全員ぶっ飛ばしたいとかじゃないのか?」
「ぶっ飛ばしたところでなんになる。リアが俺から離れている現実は変わらない」
「そうだけど……でも、これが本来の形なんじゃないか? いい距離をとって、互いに互いの時間を楽しむって。いちばん理想的な距離感だと思うなぁ。今までがおかしかったんだろ」
その言葉を聞いた途端、心臓にズキリとした痛みが襲い掛かる。
「……それ、リアに言われたんだ。元々の自分がおかしくて、本当の自分は今の自分なんだって」
「? つまり、今までリアは無理にあんな愛情表現をしていた――って?」
「具体的に言うのはやめろ。死にたくなる」
ただでさえ抉られた心臓をさらに抉ってくるような真似はやめてほしいと、フィニアスに訴えかける。
「俺は……これまで一緒にいたリアが嘘だったなんて信じたくないんだ」
俺の名前を呼んでくれる時の、普段より少しだけ高い声色も。
やきもちをやいて、俺の腕にしがみついてくる時に込められた力も。
我儘を言った後、自己嫌悪に陥っているのか、後悔するように眉を下げている子犬のような表情も。
愛おしげに俺を捉える、キラキラとした眼差しも……。
リアが俺に向けてくれていたすべてのことが、走馬灯のように蘇る。そしてそれらがもう見られなくなるのかと思うと――もう消えてしまいたい、と、冒頭のセリフを吐きたくもなる。
「じゃあ、お前は過去のリアに囚われ続けて、今のリアを好きではいられないってこと?」
「そうじゃない。リアのことは変わらず愛している。でも……寂しいんだ。それに、不安なんだ。リアは俺のことが嫌になったのではないかって……」
リアは俺を嫌いになるなんてありえないと言ってくれたが、本当はどうかわからない。俺の知らないところで、新たな出会いを探している可能性だって大いにある。
リアが俺から離れたいなら離してやるべきなのか。だが俺は、リアを幸せにする役目をほかのやつに渡すくらいなら、無理矢理にでも自分のもとに置いておきたいなんて下衆い考えしか浮かんでこない。好きな人の幸せを願えない、最低な男だ。
「……お前はこれまでたくさん、リアから愛をもらっていたじゃないか。もらえなくなったぶん、今度はお前がリアに思い切り愛情表現してみたらいいんじゃないか? 元々、セシルの愛も同じくらい重いんだし。いまさらクールとかなんだとか言ってられないだろ」
「……俺が?」
考えたことがなかった、わけではない。だけど、タイミングがなかった。いつもリアのほうが、溢れんばかりの愛を俺に与え続けてくれていたから、そこに甘えていたのかもしれない。
「そもそも僕は、リアの言ってることも疑わしいと思うけどな」
フィニアスはそう言って、すっかり冷めた紅茶を飲んで渋い顔をする。
……俺から、リアに愛情表現か。
できるかわからない。第一に、俺はかなりシャイだという自覚もある。急に新たな一面を見せて、これ以上リアに距離を置かれたらどうしようなんて不安も過り、とても行動に出せそうにない。
いい大人ででかい図体にも関わらず、うじうじと悩む自分が嫌になる。
「……はぁ。どうすればいいんだ」
俺の悲痛の叫びは、ため息と共に空間に溶けて消えた。
◇
セシル様となんとなく気まずい空気が流れたまま――そんな中で、王家主催の夜会に私とセシル様が招かれた。
それぞれの四季に一回開催される、大規模なパーティーだ。これまでも何度もセシル様と共に参加してきたが……今回は憂鬱だ。
だって、セシル様と仲直りできていないんだもの。
喧嘩した覚えもないが、ここまで顔を合わせない日が続いたのは初めてだ。セシル様の執務が忙しいのと重なり、私もどう接したらいいかわからず屋敷を訪ねずにいたら、一週間が経ってしまった。
せっかくセシル様のために自分を変えたのに、さらに婚約破棄に近づいている気がする。私はもう、どうすればいいのか完全に迷子だった。
昼過ぎには準備を始め、日が暮れる頃にレイクス侯爵家の馬車が門の前まで迎えに来た。
中からセシル様が降りてくる。
黒髪に似合う濃紺の衣装には金色の刺繍が施され、細身のシルエットはスタイルのよさを際立たせている。遠目から見てもかっこいいのに、近づけば上品な香水の香りが鼻をかすめて、あまりの色気にくらりときちゃうわ……。
セシル様! あまりにも眩しい! 朝陽よりも! 夕焼けよりも! 夜空に浮かぶ星々――いや、月だってあなたには勝てない!
しかも、今日は前髪を分けている。さらに大人っぽさが増してかっこいい。きゅん死しちゃう。
『こんなセシル様、誰にも見せたくないわ。夜会になんて行きたくない。私だけのセシル様でいて』
と、いつもの私だったらそう言って胸に飛び込んでいた。
今回もやりそうになったが、一歩踏み出したところでなんとか理性を保つ。
「セシル様、お迎えありがとうございます。あの……とっても素敵です」
心の中ではかっこいい! 独り占めしたい! と喚き立てていたが、精一杯上品な感じで振る舞い微笑む。最早こうやって目を細めていないと、セシル様が眩しすぎて直視できない。
「ありがとう。……リアも可愛いよ」
「っ!」
「行こうか」
可愛いと言われただけで、心臓が爆発しそうだ。
私は胸を押さえて、セシル様にエスコートされながら馬車に乗り込む。外の景色を眺めているセシル様を見ているだけで胸が苦しい。
王宮へ到着し、挨拶回りをしながら適当に夜会を楽しむ。
セシル様とふたりで社交場に来るのは少し久しぶりだ。すると、とある令嬢が私たちのほうへと近づいてくる。
……あれは、公爵令嬢のアニータ様だ。
セシル様の実家、レイクス侯爵家とは仕事上で繋がりがあると聞いた。アニータ様はセシル様より三歳年上だが、顔立ちは幼く童顔だ。
アニータ様は長くて真っ赤なロングヘアーだけでなく、胸元が大胆に空いた黄色いドレスの裾も揺らめかせながら、セシル様の前で立ち止まった。そして、信じられない言葉を口にした。
「ごきげんよう。セシル。よければわたくしと踊ってくださらない?」
婚約者がいる相手をダンスに誘うことは、別にタブーとはされていない。だが、婚約者よりも先に踊ることはタブーとされている。
それでも、アニータ様は私を一切視界に入れず、にっこりと笑いながらセシル様をダンスに誘っている。
アニータ様がセシル様に好意を抱いているのは、前々から薄々気づいていた。だが、こんな大胆な行動を見せたのは初めてだ。
……なるほど。これは、私への宣戦布告ととってよさそうね。
格上の相手に、私が口を出せるはずがない。マナー違反をしているのがアニータ様のほうだとしても、だ。
アニータ様は取り巻き達を使って「誘ったのはセシル様のほう」だとか「きちんと婚約者と踊った後に誘った」とか、都合よく口裏を合わせてくるに決まっている。彼女がそういう女性だということも、数回顔を合わせた程度だが把握済みだ。
「ねぇセシル、どうかしら? 彼女もなにも言わないし、いいでしょう?」
なにも言えないの間違いでしょう。
心の中で悪態をついていると、あろうことかアニータ様がセシル様の腕に絡みついた。
「ちょっと、私のセシル様に触らな――」
私は反射的に、アニータ様からセシル様を引き離そうとする。だが、途中ではっと我に返った。
ここで私が無礼な行動を取ったら、セシル様までなにか言われるかもしれない。
「……リア?」
セシル様は私の行動に驚いたのか、目を丸くしてこちらを見ている。
……またやっちゃった。
こうやって子供みたいに、感情任せの行動ばかり取っているから、セシル様に嫌がられるんだわ。……わかっていたはずなのに。
「……行ってください。セシル様。私のことなら気にしないでください」
「……リア、でも」
「立場上、断りづらいでしょう? ……仕方ないです」
「婚約者の許可も出たことだし、行きましょう。セシル!」
きちんとセシル様の返事も聞かないまま、アニータ様はセシル様をフロアの真ん中へと引き連れていく。
何度もこちらを振り返るセシル様を、私はただ見送ることしかできなくて。
……いつからだろう。こんなにも、セシル様を想うことが苦しくなったのは。
「リア嬢、よかったら私がお相手をしましょうか」
「……誰?」
立ち尽くす私の背後から、聞き覚えのない低音が響く。振り返ると、すらっとした緑髪の令息が立っていた。
「何度か社交場でお会いしているのですが……デニスと申します」
デニス……デニス……覚えていない。名前の響きがセシル様と似ているところは高評価ね。
「デニス様。これは失礼いたしました。それで、なんの御用でしょう?」
「申し訳ございません。一部始終を目撃してしまいまして、おもわず声をかけてしまいました」
「……と、いいますと?」
「あまりにリア嬢の後ろ姿が寂し気だったので、私でよければリア嬢のダンスのお相手を、と思ったのですが」
どことなく胡散臭い笑顔を浮かべて、デニスはそう言った。
「いえ。私は遠慮しておきます」
私とデニスには、特に濃い関係性はない。つまり、ダンスを断れない理由もない。
セシル様がほかの女性とダンスするからと言って、自分まであてつけのように同じことをするつもりも到底ない。
「……はぁ。強がってもいいことないぜ?」
「……はい?」
私の返答を聞いたデニスは面白くなさそうにため息を吐いた後、急に態度を豹変させた。
「最近貴族の中では噂になってるのを知らないのか? 君たちふたりがうまくいってないと。結婚目前に破局するんじゃないかってみんな言ってるぜ」
「! い、いったい誰がそんなこと……」
「リア嬢のほうから冷めたんだろう? 前はあんなにあの男にべったりしてたくせに、最近じゃあ別行動が目立つ。だったら俺にもチャンスをくれたっていいんじゃないか?」
好き勝手言いながら、デニスは強引に私の腰を引き寄せてきた。セシル様以外の男に触れられるなんて虫唾が走る。なんとかデニスから逃げようとするも、力が強くて敵わない。
「ちょっと、やめ――」
おもわず、声を荒げそうになったその瞬間。
私の身体はデニスから引き離され、かわりにふわりと甘く上質な香りが私を包んだ。
「リアに触れるな」
「……セ、セシル様?」
振り向くと焦った表情を浮かべたセシル様がそこにいて、私はぽかんとしてしまう。
「彼女は俺の婚約者だ。二度とリアに近づくな」
セシル様がものすごい形相でデニスを睨みつけると、デニスは蛇に睨まれた蛙のように大人しくなる。
「行こう。リア」
「は、はいっ!」
そのままセシル様は強引に私の手を引いて、ずかずかと大股で歩き出した。周囲の視線も気にせずに会場の外へ出て行くと、ひとけのない場所で足を止める。
庭園の入り口付近なのか、花の甘いにおいが漂ってくる。セシル様の香水と混ざって、これはこれでいい香りだ。
「あ、あの……セシル様。助けてくださってありがとうございます」
俯いたままなにも言わないセシル様に、私のほうから声をかけた。
……冷静を装っているが、正直めちゃくちゃ驚いている。だって、セシル様はアニータ様と一緒にいるとばかり思っていたから。
私がデニスと話しているところなんて気づいていないと、勝手に勘違いしていた。
「えっと、アニータ様は大丈夫だったんですか?」
「ダンスは断った。というか、元々踊る気もなかった。視線がある場では断れないから、ふたりで歩いている時に丁重に断りを入れた」
「え? そ、そうだったんですね」
まさかセシル様がアニータ様の誘いを断るなんて、これまた驚きだ。
それよりも、さっきからセシル様の様子がおかしい気がするのだけれど……。
「……心臓が、止まるかと思ったんだ」
「……?」
セシル様は右手で自分の胸を押さえながら、絞り出すような声でそう言った。
「君があの男に触れられているのを見た時、心臓が止まりそうだった。同時に、生まれて初めて人に殺意を覚えた」
それらはすべて、私がセシル様がほかの女性といる時に覚えた感覚と同じものだ。でも、どうしてそれと同じ感情がセシル様にも沸き起こるのか。私の頭はまだ理解が追い付かない。
混乱する私を他所に、俯きがちだった顔を上げ、セシル様は必死になって私に問いかける。
「……君はいつも、こんな気持ちだったのか?」
「……こんな気持ち?」
「ああ。君は、俺がほかの女性と話すと怒っていただろう。すぐに間に割って入り、その後はいつも不安そうな瞳で俺を見つめていた」
そうだ。私はいつも、セシル様のことが大好きで、大好きすぎて心に余裕が持てなかった。セシル様に愛されているかどうかも、ずっとわからなかったから。
……もう、これ以上は無理ね。
私の本音をぶつけてセシル様との関係が終わってしまうなら、それは仕方のないことなのかもしれない。
「はい。ご存知の通り、私のセシル様への愛はとても重いものです。あなたの視界にはいつも私を映してほしいし、誰にも指一本触れさせたくないほど、私の心はあなたへの醜い独占欲でいっぱいなんです」
「……リア」
「でも……セシル様は、そんな私が重荷だったのでしょう?」
「……え」
「ごめんなさい。以前、サプライズでセシル様の屋敷を訪ねたんです。その時セシル様とフィニアス様の会話を聞いてしまって……」
私はクッキーを渡しに行った日のことを、正直に打ち明けることにした。その時、なにを聞いたのかもすべて。
そして〝私の愛はセシル様には耐えられないと思われている〟ことを知ってから、頑張って距離をとろうとしたことも。
「私が愛情表現をしなくなったのは……セシル様に嫌われたくなかったから。婚約破棄されたくなかったんです……!」
視界がじわりと滲み、涙が溢れてくるのを自覚する。
情けない姿で情けないことを言っている自分が恥ずかしい。それでも、もうセシル様に嘘はつけない。
恐る恐るセシル様の様子を窺うと――なぜか呆然としている。
「待ってくれ。いや、そういうことだったのか……」
セシル様は右手で前髪をくしゃりとかき上げると、顔をどんどん赤くさせて恥ずかしそうに私のほうを見た。
「リア、それは違う」
「違う……?」
「君の勘違いだ。俺はたしかに耐えられないと言った。だが、その後の言葉を君は聞いていないだろう?」
その後なんて知るはずがない。
なぜなら私は、ショックのあまりすぐにその場から逃げ出してしまったのだから。
「俺は、君の愛がほかのやつに向いてしまうことがあれば耐えられないと、そう言っていたんだ」
「……え」
「引かれるかもしれないが聞いてほしい。俺は君に束縛されることが嬉しかった。本当だ。愛する人に独占欲を剥き出しにされて、俺はリアに愛されていることを実感できて……幸せだった。愛が重いところも、とても愛おしいと思っていたよ」
ゆっくりと一歩ずつ前に踏み出してきて、セシル様はそのまま私の頬に優しく触れる。温かい手に、熱のこもった眼差し。……長い前髪であまり気づかなかったけれど、セシル様はいつも、こんな瞳で私を見てくれていたの?
嘘のような現実の言葉に、全身の体温が一気に上昇するような感覚が巡る。
本当に? セシル様も私のことを、きちんと好いてくれていた?
「で、でも、セシル様はいつもクールで、私を好きだなんて一言も……」
「それは、リアがクールな俺が好きだと周囲に話しているのを聞いてしまったから……君に好かれたくて、すかした態度を取っていただけだ……情けない話だが」
「ち、違うんです! あれは私だけが知るセシル様をほかの人に教えたくなかっただけで……」
たしかに言った。クールなセシル様が好きだと。もちろんそれも嘘ではない。だけど――。
「これだけ一緒にいたのだからわかります。セシル様はクールに見えるけど、それだけじゃない。剣の稽古を頑張っている時は本気の熱さを感じるし、美味しいものを食べた時はいつも顔が綻んで……。今だって、頬を染めて私を見つめるその姿は……クールではないけれど、かっこよくて、愛おしくて、抱きしめたいです」
「……っ!」
「あなたのすべてが大好きなんです」
頬に添えられた手に自分の手を重ねて優しく引き離すと、今度は私が両手でセシル様の頬を包み込む。そのまま額を合わせてにこりと微笑むと、セシル様もふっと笑った。
「……俺も君のすべてが大好きだ。リア」
「……本当に?」
「ああ。これからもずっと君に独占されたい。俺はリアのものだ。君の望むまま、俺のなにもかもを欲してくれ。俺は求められたものを全部君に捧げよう」
耳元でもう一度「好きだ」と囁かれ、ぞくりと甘い快感が走る。
「ふふ。なんだかおかしいですね。私たち、ずっと両想いだったのに。変なすれ違いをしてしまっていたなんて」
「……だな。そのおかげで互いの本音がわかったのだから、結果オーライとしよう。……俺ももう、自分の気持ちを抑えるのはやめる。君への愛情表現を今後は惜しまない」
「セシル様からもしてくれるのですか? ……嬉しいです」
私たちは笑い合うと、今度は無言で見つめ合う。
そしてどちらかともなく目を閉じて、触れるだけのキスを交わした。
これまで何度も「抱きしめてほしい」とか「手を繋いでほしい」なんて我儘を言ってしまったことはある。でも「キスして」だけは言えなかった。これだけは、お互いがしたいと思わなければしても意味がないと、私が妙なこだわりを持っていたせいかもしれない。
たった数秒唇が触れ合う。それだけなのに、抱えていた不安や寂しさが一気に消えていく。
同時にセシル様への想いは増大して、どんどん膨らむばかり。
「……セシル様、もっと」
ここでもまた、私は我儘を言ってしまった。
だって、こんな幸せな行為を一回で終われるはずがないじゃない。
「……嬉しい。俺も一回じゃ足りなかった。リアが言わなくても、自分からするところだったよ」
セシル様はそう言って少し意地悪な笑顔を浮かべると、もう一度優しいキスを唇に落としてくれる。
……どうしよう。こんなに積極的なセシル様は初めてで、なんだか私がなんでも言うことを聞いてしまいそう。
「……それでは、そろそろ戻りましょうか」
肌にあたる風が少し冷たくなってきたのを感じて、私はふと我に返る。
王宮の敷地内でいつまでもこんなことをしていては、いつどこで誰に見られるかわからない。正直見られても全然構わないのだが、目撃者がアニータ様やその関係者だったら後々面倒くさそうなので、おとなしく戻るのが得策だろう。
「いいや。今日はもう帰ろう」
しかし、私の提案はバッサリとセシル様によって斬り捨てられる。
「今日のリアはとびきり綺麗だ。結い上げられた煌びやかなこの髪も、瞳に似た紫色のドレスから出る白い肌も……俺は、これ以上誰にも見られたくはない」
「セ、セシル様……」
セシル様は右手で後れ毛を掬い、左手で露になっている肩から鎖骨にかけてのラインをなぞりながら無駄に色気のある声で囁いてくる。
「君が独占欲を露にしてくれないのなら、今度は俺が君を束縛してもいいだろうか?」
極めつけに手の甲にキスをされ、にやりと笑うセシル様。
いつも受け身なセシル様の急な攻めモードに、私はおもわずたじたじになってしまう。というか、とんでもなくかっこいい。積極的なセシル様もたまらない。もうどうにでもしてくれと、私の心が叫んでいる。
「俺の部屋で、ほかの誰もいない空間で、俺だけに見せるリアを見せて?」
愛する人にそんなことを言われて、断れる人が果たしてどれくらいいるのだろう。絶対いない。ああ、少し不安げにお願いしてるセシル様ったら可愛い。私もわかる。あなたに我儘を言う時、いつもどこかに断られたらどうしようって不安があったもの。
「……もちろん。私のすべては、あなたのものですから」
だからそんな不安は早く消し去って。私の言葉で、どうか安心してください。
「……ふふ。セシル様はいつも、こんな気持ちだったんですね」
立場が逆転して初めて気づく。セシル様も言葉の意味を理解したのか、そのまま私を抱きしめて微笑んだ。
「愛する人に独占される喜びを、今後は君にも与えるよ。リア」
「楽しみにしています。あと、セシル様」
「……なんだ?」
「今日も大好き、です」
久しぶりに言うとなんだか照れくさい。それでも、これからまた毎日伝えていきたいと思う。
「……ずっと待ってた。その言葉」
セシル様はこれまで見たことがないはにかんだ笑顔を見せると、私に向かってこう言った。
「俺も大好きだよ」
END
最後までお読みいただきありがとうございました!
短編初挑戦でしたが、少しでも楽しんでいただけたらいいねや☆をいただけると嬉しいです。