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コインランドリーっていうタイムカプセル

作者: 来ないで三角

初投稿なので緊張してます。

カップラーメンの待ち時間にでも読んでくれると嬉しいです。

花の香り。


目が覚めると、そこはコインランドリーだった。

寝落ちしてしまったのだろうか。私は塵一つない清潔な床に座り、壁に背中を預けてやけに強く柔軟剤の匂いを発する洗濯機を眺めていた。

思考が晴れない。ぼんやりする。擦り硝子越しの雨の日みたい。

私は数分前、一体何をしていたのだろうか。

確か、駅の方へと少し歩いた気がする。付け加えるとするなら――何か、酷く思い詰めていた気がする。きっと。その後に多分、ここに来たのだろう。そしてどうしてかは分からないけど、この洗濯機を回して……、ええと、それから、それから。

寝起きのせいなのか回転が鈍っている脳味噌は穴だらけの結論を導き出した挙句、これについて思考するのを諦めた。おまけに疲れ切った身体は床にどっかと座り込んだまま動こうとしなかった。穴あきあたまにどっと重く溶けた身体。この場にねずみがいたら齧られちゃうかも、チーズと間違えられて。

妄想ばかりに働く頭に溜息を吐き、座り込んだままコインランドリーの中をぼうっと見回してみた。

清潔感のある、悪く言えばどこか閉鎖的にも感じる一面の汚れのない白い壁。かの有名な会社が出した最新型のドラム式洗濯機が一台だけ、ごうんごうん音を立てながらぽつんと佇んでいる。

なんだかとてつもなく奇妙だ。その道に詳しい訳でもないが、私の知っているコインランドリーというものはこうでないはずだ。

そう気付いた途端、急な心細さと恐ろしさが染み込んでくる。奇妙な空間に迷いんでしまった。さながら不思議の国のアリスのように。

あまりにも非現実的過ぎる。夢でも見ているのかも、ともっと非現実的なことを考えて目を閉じようとした途端、スカートのポケットの中が震えた。慌ててそれを取り出す。少し前の世代のiPhone。電源を付けた。

18時24分。

時が止まったような錯覚に陥った。

時刻をおでこに掲げ、柔らかい茶髪の青年がこちらに微笑みかけていた。アイドルのように派手な顔立ちではない。寧ろ、どこにでもいる顔だ。それなのに、それなのに。

例えるならば、まるで電流が走ったような、花火が上がったような。そんな火花が散るような衝撃が走った。

やば、かっこいい。

ぱちりと消えた画面を一秒と経たずにまた点す。やばい。待って、好き。

この人は今どこで、何をしているのだろうか。趣味は何だろうか。どこに住んでいるのだろうか。彼女は、いるのだろうか。

どくどくと心臓が高鳴り、ぽっかりと空いた隙間に熱い熱いものが流れ込んでぐんぐん身体を巡っていく。とても座ってなんていられない。勢いよく立ち上がる。少しよろける。

この人のことが気になって仕方ない、知らなければ今にも死んでしまうんじゃないだろうか。背を炙られるかのように迫る焦燥感に駆られ、私はコインランドリーを飛び出した。

洗濯機のごうんごうんという間抜けな音は、もう私の耳には一切入ってこなかった。



***



とにかく走っても、胸の中の焦燥感は収まらない。ただ気だけが急いてしまい息が詰まる。脱げそうなサンダルが、ごく浅いはずのヒールの高さがうざったい。

とにかく人の多いところを目指して駅へ来たが、帰宅しようとする人でごった返していて思うように進めない。それでも彼を探そうと人混みの中、できる限り首を伸ばしてみる。踵を持ち上げ、蒸したスーツの海に溺れかけながら彼を求めて何度も背伸びをして息継ぎを繰り返す。

足を踏まれる、肩を押される、舌打ちのさざ波。普段なら萎縮してしまうそれらも今は何も感じない。ただ彼を探して辺りを見回す。あの笑顔を見たい。彼のことを知りたい。知らなきゃ、知らないと私は。

――――私は?

すとん、と踵を落とした途端、人混みに押し流され始める。

あたまおかしいんじゃねえの。やだあ。なにそれキモ。

遠くでげらげら笑う女子高生の声が雑踏の中やけに響く。

肩に押され、足を踏まれ、抗いようもなくただただ流される。何してんだろ私。新宿の海はくさくてあつい。

「あの」

肩を軽く叩かれた。足を止め、振り返る。

その人は、人混みの中で不思議と際立っていた。

柔らかい茶色の髪、甘く子犬のような目元。

どっと心臓が高鳴った。

彼だ。

少しだけ憂うような表情をしているが間違いない。あの写真の人だ。

人混みに流されそうになりながら、なんとか踏ん張って耐える。情けないことに、あんなに探していたのに私は彼になにを言うべきか迷子になってしまった。彼はポケットに手を入れ、ハンカチに包まれた何かを取り出して、そのまま私の両手に押し付けた。

「これあげるから、使って」

そして、ぎゅうと両手をそのまま握ってきた。ハンカチ越しの暖かさに私はその姿勢のまま固まってしまった。握る力を強めて、彼は探してくれてありがとうと呟いた。それから湿った溜息を吐いた。

「でももう、俺のことは探さないでいいからね」

ありがとう、と再三小さな声で呟いて、私の両手から手を離した。すうと温もりが遠のく。

手を握られたこと、なにかを渡されたこと、探していたということを知っていたこと。それらに半ば呆然としているうちに、私は人混みに強く押し退けられ足を踏まれた。当然だ、雑踏の中で立ち止まっていたのだから。次目を開けた時、彼は人混みに姿を消してしまった。

彼は、終ぞ私の目を見ることは無かった。

しばらく経ってゆっくりと開いた手のひらの中には、ハンカチに包まれた、洗濯洗剤をビニールに詰めたもの――――所謂、洗濯ジェルボールと呼ばれるものが収められていた。



***



サンダルに乗っている素足は革靴とヒールに踏まれ、所々皮が剥けて痛む。家に帰る気にもなれず、コインランドリーにとぼとぼと足を進める。

彼と会ったことあったっけ。それにしたってジェルボールを持ち歩いてる男ってどうなのよ。

相も変わらず無人のコインランドリーに着いた途端、一体何だったのだろうかとやるせないような、途方もない疲れがどっと襲ってきた。こんな変哲もない洗濯ジェルボールが一体何だと言うのだろうか。

疲れて果てて床に座り込み大きな溜め息を吐くと、ぴぴぴ、と洗濯機のアラームが鳴った。

何事かと驚いて思わず体を起こすが、そういえば目が覚めた時から洗濯機が回っていたことを思い出した。悪趣味なほど洗剤の香りが強い。なんだかわからないが花の香りだろう。フローラルなんとか。壁に背中を預け、痛む足をさすっているうちに段々瞼が重くなってきた。疲れた。身体も、心も。

ぐらぐらと揺れる視界で手のひらのハンカチと洗濯ジェルボールが目に入り、重い頭で考える。あまりにも短時間の失恋だった。見る度に足を踏まれた痛みをちくちくと感じる気がする。

なによジェルボールなんて渡してきて、私が臭いって言いたいわけ?

いっそ眠って忘れてしまおう、こんなもの。

私はハンカチごと洗濯ジェルボールを握って強い香りを発する洗濯機を開けて投げ込んだ。

眠気に負けそうになりながらなんとか扉を閉め、ボタンを押すと流石最新型の洗濯機、すぐに注水が始まった。


意識が遠のく中、洗濯機のごうんごうんという音だけが頭によく響いていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  コインランドリーで白昼夢を見たような不思議な話ですね。情景、心理描写が丁寧に描かれておりとても読みやすかったです。 [気になる点]  特にございません。 [一言]  拝読させていただきあ…
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