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85. 深夜の賭け事 ◇

「そうですか。魔霊の影響は見られないと」


 俺たちがトレイユ辺境伯領を訪れる少し前から、出没する魔獣が減っているらしい。出てくるのも角兎(アルミラージ)や魔狼(ワーウルフ)など、小型で危険度の高いものではなかった。ここの兵士団で十二分に対応できるレベルだ。


「同行させてもらったのに、成果がなくて悪いな」


 シャンタルが答える。彼女は魔霊の痕跡がないか、魔獣の死骸を一体一体調べ上げていた。

 女性ならば悲鳴を上げて卒倒しそうな死体(それ)を見ても、平然としているのは流石というべきか。


「いいや。例の流行病騒ぎのような悪意を持った輩によるものではないと分かっただけでも、収穫だろう」

「しかしそうなると、魔獣増加の原因が分からなくなりましたね。ここ数年は気候が温暖で、山の幸は豊富に採れています。餌が足りないとは考えにくい」

「北方山脈で異変が起こっている可能性は?」

「今のところ、オルドに潜り込ませている密偵から情報は上がっていません」


 北方山脈の大半を有するオルド帝国は、日々魔獣との戦闘に明け暮れているという。強大な軍事力を有するかの帝国は機密情報の露見を恐れてか、あまり国交に積極的ではない。

 とはいえ断絶しているわけではないので、我が国の外交官も駐在はしている。本来ならそちらを通して情報を得るべきだが、それではタイムロスが生じてしまう。そのため、セヴランは独自に配下を忍び込ませているのだ。

 

 むろん、あまり大っぴらにできることではない。だが現場で北方を守っているのは彼だ。王家としては黙認している状態である。


「逆に、ここ数日は全く出現しないことも気になります。例年であれば増えてくる時期ですので」

「単に出没時期がずれたんじゃないか?今年は春先から暑かったし」

「それも考えられますが……」


 異常気象のせいではと述べるシャンタルに対して、セヴランは難しそうな顔をして口ごもる。


「申し訳ありません。うまく言えないのですが、何というか……ひっかかるのです」

「長年、魔獣を相手にしてきた卿だ。カンとはいえ侮るべきではないな」

「ありがとうございます。しばらくは、このまま国境付近の巡回強化を続けようかと」

「そうか。では一度、そちらに同行しよう」


 


 その夜は、セヴランに誘われてチェスをすることになった。ウィスキーを傾けつつの対戦である。しばらく観戦していたシャンタルは退屈になったのか、寝ると言って自室へ引っ込んでしまった。


「チェックメイトだ」

「また負けました。相変わらずお強いですね」


 数回対戦したが、すべて俺の勝ちだった。手応えがなくて面白くない。

 以前にも彼とチェスをしたことはあるが……こんなに弱くはなかったぞ。長い辺境暮らしで腕が鈍ったのか?

 

「手を抜いてるのではないかね?俺が相手だからと言って、遠慮はいらんぞ」

「……そうですね。賭けるものがあれば、私も必死で喰らい付くかもしれません」

「いいだろう。何を賭ける?」

「では、シャンタル殿を」


 こいつ……!

 そうではないかと思っていたが。やはりシャンタルに懸想していたか。


「彼女は物ではない」

「分かっています。俺が勝ったら、シャンタル殿へ求婚する権利を頂きたく」

「負けたら?」

「潔く諦めて、殿下の恋路を応援致しましょう」

「よし。その言葉、二言はないな」


 再びチェス盤に向かう。


「む……」


 セヴランは先ほどとは打って変わり、激しく攻めてきた。勝負へ乗らせるために敢えて手を抜いていたのか。

 低く見られたものだな。チェスは得意中の得意だ。俺に挑んだことを後悔させてやろう。


 しばらく一進一退の攻防が続く。黙々と駒を動かしていたセヴランが口を開いた。


「殿下は彼女を幸せにできる自信がおありで?」

「勿論だとも。この俺に愛される以上の幸福はないだろう」


 俺の答えを聞いたセヴランが苦笑する。その顔が、ひどく癪に障った。


「並みの女性であればそうでしょうね。ですが、シャンタル殿は王弟という地位にも権力にも、興味をお持ちでない。無論、金銭にも。違いますか?」


 業腹だが、セヴランの言う通りだった。

 シャンタルは王弟妃という立場に目が眩むような女ではない。そもそも大精霊士(アルカナ・マスター)なのだ。彼女がその気になれば、地位だろうが金銭だろうが自力で得られるだろう。俺が彼女に与えられるのは、ただこの身と溢れる愛だけなのだ。

 

 だが、それの何が悪い?俺の愛を欲しがる女は、この世にごまんといるというのに。


「しかも、貴族のしがらみを厭っている節さえある。どんなに貴方がそれらから彼女を遠ざけたくとも、殿下の妃となれば貴族の勢力争いに巻き込まれるでしょう」

「卿ならば問題ないとでも言うのかね?」

「ここは王都から遠く離れた田舎です。貴族との付き合いなど、最低限で良い。彼女は望むだけ精霊術の研究に打ち込める。その環境を整えるくらいの財力は、持っています」


 腹の底からぞわりと怒りが這い寄る。俺は、血が上りそうな頭を振った。

 だめだ。こいつの策に乗ってはいけない。


「俺の動揺を誘おうというのか?無駄なことだ」

「おや、バレてしまいましたか」


 ぬけぬけと答えるセヴラン。その顔を見るとまた腹が立ってきそうだ。

 俺は盤上に全ての意識を集中させ、次の手を打った。


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