78. 乱闘騒ぎ
セヴランは急ぎの執務が溜まっているらしく、魔獣退治の視察は明日ということになった。ジェラルドも側近から所懐を問う手紙が来たと言って部屋に籠もっている。
手持ち無沙汰になってしまった。このやたらと広い邸内を散策してみるか。
トレイユ辺境伯邸はかなり大きい。庭園の向こうには兵士の駐屯所や複数の修練場、軍馬用のパドックまで併設されている。王立学園より面積デカいんじゃなかろうか。
ぽてぽてと歩き回り、駐屯所の近くまで来たときだ。
「冗談じゃないよなあ」という大声が聞こえてきた。
一番端っこの修練場に若い兵士たちがたむろっている。格好から察するに、兵士というより傭兵だろうか。
「俺たちは魔獣相手に命を削って戦ってるってのによ。百歩譲って王弟殿下の護衛は分かるが、女の護衛なんてやってられるか。しかもそいつ、貴族でもないって話だろ」
「王弟サマの愛人なんじゃねえの?」
「なんだってこんな辺鄙な所へ連れてくるんだろうな。物見遊山なら他所へ行きゃあいいのに」
もしかして私のことだろうか?
愛人じゃないっての。
きっとジェラルドが所構わず性的悪戯をするから、そんな目で見られるんだ。後で一発殴っとこう。
近づいた私に、彼らの方も気が付いたらしい。一人の男がニヤニヤしながら話し掛けてきた。
「なにか御用ですかい?ここに殿下はいらっしゃいませんぜ」
「通りがかっただけだよ。それと誤解しているようだが、私は殿下の愛人じゃない」
「なあんだ、違うのかよ。気ぃ使って損した」
露骨に態度が変わった。
「姉ちゃん、魔獣退治に同行するって気は確かか?ここは戦場だ。ひ弱な女が来るところじゃねえ。怪我する前に大人しく帰りな」
「おいおいロック、あんまりキツいこと言うなって。泣いちゃうかもしれないぜ」
ロックと呼ばれた男は腰に手を当て、脅し付けるような態度で睨んでくる。
普通の女なら怯んじまうかもな。ところがどっこい、こちとら荒くれ野郎なんて慣れっこだ。
それに、売られた喧嘩は買う主義でもある。
「……ふうん。つまり、私がひ弱じゃなければいいんだね?」
「ああん?」
「言っておくが、あんた達が束になっても私には勝てないよ」
「馬鹿にしてんのか?」
「馬鹿にしているつもりはない。事実を述べているだけだ。訓練の様子を見れば、ここの兵の練度が高いのは分かるよ。だけど、私がそこいらの兵士より強いのもまた事実さ。何なら、試してみるかい?」
相手に向かって手を招くようにクイッと動かした。
ロックは怒りの表情を浮かべて拳を握っている。殴りかかってくるかと思ったが、奴はふうと息を吐いて抑えた。
存外、理性的じゃないか。
「安い挑発してんじゃねえよ。姉ちゃんと勝負して俺に何の得がある?それとも……」
私の身体を舐めるように眺め、口の端を上げて「姉ちゃんが一晩お相手してくれるってんなら、乗ってやってもいいぜ」と言いやがった。
しめしめ。引っかかった。
「いいよ。あんたが勝ったら、好きなようにするといいさ」
「本当か!?ようし、その賭け乗った!」
俄然やる気になったのか、ロックは肩をぶんぶん回しながら修練場に足を運ぶ。仲間の傭兵達は大喜びでヤジを飛ばし始めた。
「ロック、あんまヤりすぎるんじゃねえぞ~?壊れちまうかもしれねえぜ」
「あの身体を一晩好きに出来るんなら、俺も勝負してえなあ」
「案外、あの姉ちゃんもそれが目的なんじゃないか?」
「お上品な王弟サマじゃ、満足できねえってか」
わあ、下品。特に最後の奴、ちょっと、いやだいぶ不敬じゃない?
私も続いて修練場に入り、ロックと対峙した。奴は既に剣を構えている。
「そっちは剣を持たないのか?」
「武器は持たない派でね」
「……怪我して泣いても知らねえぞ!」
そう叫びながら、踏み込んで一気に間合いを詰めてきた。思ったより早い。生意気な口を叩くだけはある。
だが、こちらも勝算無しで勝負を持ちかけた訳ではない。既に呼び出した精霊を周囲に配置済みだ。
私は右手をかざして精霊術を行使する。
「土の壁」
「な、何だ!?」
奴の足下に土壁が競り昇る。
ひっくり返って尻餅を付いたロックに対して、私はすかさず追撃をかけた。
「土の弾丸」
「うわっっ」
土の塊が奴の腹を直撃した。土とはいえ、岩状に固まったそれにぶつかられる衝撃は相当なものだ。
ロックは吹き飛ばされて地面に転がり、痛みで悶絶している。
「この程度かい?」
「なんだ今の。あの姉ちゃん、魔法使いかなんかか!?」
「だらしねえぞロック。ようし、次は俺だ」
「いや、俺が先だ!」
「面倒だ。全員でかかってきな」
さらに煽ってやった。我先に参戦しようとしていた傭兵たちが「この女……!」と殺気立つ。
離れた修練場で訓練をしていたベテラン兵士が、こちらの騒ぎに気付いたらしい。「旦那様の客人相手に何をやっているんだ!?やめろ!」と慌てて制止しようとするが、既に突撃態勢に入っていた傭兵たちは止まらない。私へ向かって一斉に突っ込んできた。
「風の盾」
自分の周囲に展開された風の防壁。
ぐるりと私を包囲して同時に攻撃しようとしていた彼らは、その壁に塞がれて進めず藻掻いている。
そこへすかさず次の手を打つ。
「炎の矢!」
「うわぁぁぁーっ!」
炎の矢が彼らを次々と打ち抜く。
勿論、死ななない程度の威力にしてある。せいぜい、ちょっとした打撲と火傷の痕が付くくらいだ。
全員がその場に倒れ伏したのを見て、ひと息入れる。
「まだやるかい?」
「っ、この……!」
おや、まだ立ち上がるのか。なかなか根性がある。
そう思いつつ次の術を放とうとしたその時、「お前たち、何をしている!」という怒鳴り声がした。
声の主は、彼らの雇い主。すなわち、セヴラン・トレイユ辺境伯その人だった。




