77. トルイユ辺境伯
トルイユ辺境伯の屋敷に着くと、豪奢な玄関の前で館の主人が待ち構えていた。玄関から門まで、両側にはずらりと兵士が並んでいる。私たちの乗った馬車が兵士たちの間をゆっくりと進む。
辺境伯の先々代以降、この領地へ王族が訪れるのは初めての事らしい。そりゃあ下におけない歓待をするというものだ。
「殿下、お待ち申し上げておりました」
「出迎えご苦労、トルイユ伯」
ジェラルドに続いて馬車から降りた私を見て、辺境伯が目を丸くする。
「殿下、お連れの方は……?」
「大精霊士シャンタルだ。今回の視察に同行する」
「シャンタル・フランメルだ。突然の訪問、申し訳ない」
「セヴラン・トレイユです。噂の大精霊士様がこのようにお若い方とは存じ上げず、大変失礼致しました。名高き”炎のアルカナ”シャンタル殿へお目にかかれたこと、光栄に存じます」
若くはないんだけどね。いちいち訂正するのも面倒なので黙っておく。
トルイユ辺境伯は大柄な男だった。歳はジェラルドより少し下だろうか。日焼けした肌に短く刈り揃えた髪。服の上からでも分かる筋肉質の身体。なかなかの美丈夫だ。
既に日が傾いていたため、そのまま晩餐となった。テーブルに所狭しと並べられた料理は肉と山菜が中心で、味付けは濃いめ。寒さの厳しい地域ならではだ。
「都の方のお口に合いますかどうか……」と辺境伯は恐縮していたが、十分美味しいと思う。こちとら放浪の旅をしていたこともあるくらいだ。食べられるものなら何でも食べる。
「全く問題ないよ。私にとっちゃご馳走だ、トルイユ伯」と答えつつ、ぱくぱくと目の前の料理を平らげる。
獣肉のステーキは香辛料がたっぷりと掛かっていて、臭みは全く感じない。添えられた野菜は新鮮そのものだ。
これが口に合わない奴は、よっぽど舌が肥えているか、菜食主義者のどちらからだろう。
「どうぞ、セヴランとお呼び下さい。それは良かった。シャンタル殿はなかなかの健啖家でいらっしゃる」
「しかも大酒飲みでもあるぞ、シャンタルは」
「ほほう、見かけに寄りませんね。ところで」
セヴランは意味ありげな笑みを浮かべて私たちを見た。
「もしや、彼女は殿下の新しい恋人ですかな?」
「断じて違う」
ジェラルドが言葉を発する前に答えてやった。
また勘違いされたくないからな。ジェラルドがショックを受けたような顔をしているけど、気付かないフリをした。
「これは失礼を。仲のよろしいようにお見受けしたもので。では、ご夫君がいらっしゃる?」
「いいや。私は独り身だ」
「なんと。きっと、貴方の前には求婚者が列を成しているのでしょうね。叶うことなら、私もその末席に加わりたいものです」
……またこういう手合いか。
「この国には、独身女性を見たら口説かなきゃならないという法律でもあるのか?」
「「誰でもいいと言うわけでは」ない」ありません」
喰い気味に発言したジェラルドとセヴランが同調した。
二人は顔を見合わせた後、取り繕うようにコホンと咳払いをする。
「君の方こそ、妻は娶らないのかね?」
「その言葉そっくりお返ししますよ、殿下」
苦笑いしながらセヴランが答えた。
「何度か縁談もあったのですが、全て断られてしまいました」
「そりゃまた何で?」
「ご令嬢たちは、このような田舎騎士に嫁ぐのがお嫌なのでしょう」
婚約まで進みそうになった相手もいたにはいたが、この屋敷に招待した途端、断られてしまったそうだ。食べ物は田舎くさいし、邸内を荒っぽい兵士や傭兵たちが闊歩しているのが嫌だとか。
北方の守護を担ってるんだから、兵士が多いのは仕方ないだろうに。辺境伯という地位もあれば金もある。容姿にも恵まれている。何が不満なんだか、さっぱりだ。
「そりゃ、彼女たちに見る目がなかっただけだろ」
「シャンタル殿にそう言って頂けるとは、有り難いですね」
疲れがたまっていたのか、翌朝は少し遅めに目を覚ました。メイドに尋ねると、ジェラルドとセヴランは既に朝食を済ませて、今は兵士の修練場にいると言う。
修練場では兵士や傭兵たちが訓練中だった。ジェラルドは護衛騎士を伴ってそれを眺めている。
そこかしこで剣のぶつかり合う音が響く。修練場の片隅では、セヴランが兵士の一人を相手に稽古をしていた。
彼は向かってくる剣を鮮やかに交わし振るう。兵士が吹っ飛ばされ、セヴランの「次!」という声に、別の兵士がすかさず向かっていった。
「強いな」
「そうだな。さすがに軍神と呼ばれるだけはある」
そう言うとジェラルドは上着を脱ぎ、護衛騎士から剣を受け取った。
「トレイユ伯、一戦ご相手願おう」
ジェラルドが剣を持っているところを見るのは初めてだ。
基本的に守られる立場の彼が、どれだけ戦えるものだろうか?興味が湧いた私は、二人の勝負を見学することにした。
ジェラルドとセヴランが向き合って剣を構える。
先に仕掛けたのはセヴランだった。力任せに振り下ろすその剣は体躯にふさわしく、重みのある攻撃だ。だがジェラルドは難なくそれを交わし、反撃を開始した。こちらはスピード重視の攻撃で、セヴランの隙を的確に突く。
体格の差を考えれば、この戦法は当然と言える。
セヴランも負けてはおらず、交わしながらも剣を振るう。だが、ジェラルドが手を変え品を変え繰り出す攻撃に、徐々に押され気味になってきた。好機と見たのか、ジェラルドがさらに一歩踏み込む。その剣がセヴランの首へ到達しそうになる。
決まったかと思った瞬間、セヴランが身体を反らして避けた。大きい体に似合わず、なんて柔らかい体幹だ。
しかもそのままの体勢で剣を横ざまに振った。意表を付かれたのか、一瞬怯んだジェラルドの手に当たり、剣がはたき落とされた。
セヴランの勝ちだ。
「……あれを避けられるとは思わなかった」
そう言いながら戻ってきたジェラルドは、かなり悔しそうな顔をしている。
「現場で常に戦っているセヴランに適わないのは仕方ないだろ」
「まあ、それはそうなんだがな」
まだブツブツ言っている。
結構負けず嫌いなんだな。子供みたいでちょっと可愛……いや、可笑しい。
「お前も十分強いじゃないか。驚いたよ。何でも器用にこなすもんだなと感心していたところだ」
「む。ようやく俺の魅力に気づいたか?お前からの告白ならいつでも受け付けるぞ」
満面の笑みでそら来い、という風に両手を広げるジェラルド。
私はため息を付いて「調子に乗るな」と言ってやった。




