75. 車内談義(1)
ヴェルテから戻ってきたアベルとノエラ夫妻は仰天した。長旅から帰ったら自宅に王族がいたのだから、無理もない。アベルは緊張して舌を噛みかみになっていた。
「君がアベル君か。優秀な精霊士だそうだな。今後も精霊石採掘の発展に尽力して欲しい。期待している」
「は、はひっ。光栄であります!」
「そちらが奥方か?なかなか可憐な女性だ。美しい妻を得たアベル君は幸せ者だな」
ジェラルドはノエラにふんわりと笑いかけた。いつもの女殺しスマイルだ。
「夫の栄達には妻の協力が不可欠だ。彼をよく支えてくれたまえ」
「はい……」
彼女は頬を染めてぼーっとジェラルドを見つめている。アベルが恨めしそうな顔で私の方を見た。
ごめんて。
アベルに引継ぎをすませた後、私たちはトルイユ辺境伯領へ向けて出発した。馬車は山道をゆっくりと進んでいく。ジェラルドの専属護衛騎士たちは御者台に座っているので、車内は二人きりだ。
考え事をしているのか、ジェラルドは黙ったままだ。私は何となく彼の方を盗み見た。少しウェーブのかかった焦茶色の髪が整った顔にさらりと垂れている。肌は30代とは思えないくらいつやつやとしていて、髭がなければ20代と言っても通るだろう。肩幅は広すぎず、かといって狭くもない。長い手足と相まって非常に均整の取れた身体だ。足を組んで座る姿は王族らしい優雅さと気品を纏っている。
小憎らしくなるくらい、見栄えが良い。
うっかり見惚れてしまっていたらしい。こちらを見た彼と、意図せず目が合ってしまった。
慌てて目を反らすのも変に思われそうだ。話題を探して頭を巡らし、さっきのアベルの恨めしそうな顔を思い出す。
「他人の妻に口説き文句を言うのはどうかと思うぞ」
「口説いていたわけではない。女性の美を賛辞するのは男の役目だ」
当たり前だろうとでも言わんばかりの態度だ。
確かに、プライベートのこいつは貴賤を問わず女性に甘い。先日、街へ出掛けたときのことだ。老婦人が転んで足を痛める所を目撃したジェラルドは、彼女の身体を支えて医療所まで連れて行った。
「まあまあ、旦那様。こんなお婆さんの手を取らせてしまって申し訳ないです」としきりに恐縮する彼女に向かって、「なんのなんの。歳を感じさせぬ肌の張り具合だ。若い頃はさぞかし美人だったのだろう」と微笑んで老婦人を赤面させていた。
老若見境なく甘言を吐く、その博愛精神には恐れ入る。
「嫉妬か?心配せずとも良い。俺の愛は君だけのものだ」
「そんな心配はしていない」
道が悪くなってきたのか、馬車がガタガタと揺れだした。
喋ると舌を噛みそうだ。しばらくの間、沈黙が訪れる。
ようやく揺れが収まったところで「トルイユ辺境伯はどんな人なんだ?」と聞いてみた。
「一言で言えば、軍人肌だな」
若い頃は王宮騎士団に勤めていたこともあり、前辺境伯が亡くなったため領地へ戻ったそうだ。トルイユ辺境伯領は日々魔獣の驚異にさらされている。辺境伯を継いだ彼は傭兵を雇い兵力の増強に努め、精強な私設兵団を作り上げた。そのおかげでここ数年、人的被害はほぼ無い状態だそうだ。彼は戦いの指揮は勿論、時には自ら剣を持って戦うこともあるらしい。その業績と勇姿から、「北の軍神」という異名で呼ばれている。
トルイユ辺境伯が防いでいるからこそ、他の領地は魔獣の被害へ遭わずに済んでいる。国王陛下もその旨は十分に承知しており、軍事費の一部支援を申し出たこともあった。だが、トルイユ伯はそれを断った。
「あの領地では木材が豊富に採れる。以前は雪の厳しい冬場に収入を絶たれる木こりや農民たちがそれを使用して細々と加工品を作っていたらしいが」
トルイユ伯は自費で大規模な加工設備を作り生産体制を増強。また領内外から技術の高い者を集め、加工品に機能性やデザイン性の改良を加えさせた。そのおかげで、辺境伯領産の木製家具は一大産業となった。つまり、彼は非常に裕福なのだ。
ただの脳筋ではないということか。
なかなか面白い人物のようだ。
「ところで、俺も一つ聞きたかったのだが。先日弟子をとらない主義だと言っていたが、それにも関わらずアニエスを弟子にしたのは、やはり彼女の才を見込んでのことか?」




