74. 休暇の終わりと新しい目的地
あれから何度か、ジェラルドに押し切られて一緒に出歩いた。
まあ……正直に言えば、結構楽しめた。
彼は歴史や地理、文学や芸術に至るまで驚くほど博識で、観光しつつ色々なことを教えてくれた。しかも、その教え方がさりげなくて押し付けがましくないのだ。おかげでついつい会話が弾んでしまった。
知識だけではない。遠乗りに誘われてフォルネ子爵の馬を借りることにしたのだが、馬丁が「こいつは暴れん坊なのでお勧め致しません」と言った馬を簡単に乗りこなしてしまった。
また、街でカフェに寄った時のことだ。ピアノに合わせて歌い出した客たちにいつの間にか混ざり、美声を披露していた。その朗々と響くバリトンボイスには女性客どころか男性客までうっとりと聞き惚れていた。
居合わせた老婦人に「素敵な旦那様ねえ」なんて言われてしまった。訂正するのも面倒なので笑って誤魔化したけど。
今日はといえば、庭にしつらえたコートでフォルネ子爵を相手にテニスをしているところだ。長年テニスが趣味という子爵とジェラルドは互角に打ち合っている。素人の私から見ても、二人はかなりの腕前だと思う。
「いやあ、お強いですな。殿下」
汗を拭きながらジェラルドと子爵が戻ってきた。よほど暑いのか、ジェラルドはシャツの上ボタンを外して少しはだけた状態だ。その様子にメイドたちがうっとりと見惚れている。
無駄にフェロモン垂れ流してんじゃねえよ。
「子爵、わざと負けたんじゃないのかい?」
「いえいえ。最初はそのような意もありましたが、殿下があまりにお強いので途中から本気でしたよ」
「シャンタルも一戦どうだ?」
「やめておくよ。私は二人ほど上手くないから」
「なんだ。そういうことなら、手取り足取り教えてやるぞ?」
そう言いながら私の腰に回された手を「どさくさに紛れて触るんじゃない!」と叩いてやった。
「大抵の女性は俺がこうすると喜ぶんだがなあ」
「このっ、女の敵!」
そんな私たちを見て、子爵や侍女がそそくさと場を外した。
違う、いちゃついてるんじゃないってば……。
「そう言えば、アベルから手紙が来ていたよ。明後日くらいには戻ってくるそうだ」
「そうか。ならば、俺の休暇も終わりだな。名残惜しいが仕方あるまい。君も寂しいだろう?」
「別に」
本音を言えば、少しだけ寂しく感じてはいるけれど。
絶対、口にはしない。そんなこと言ったらこいつを調子に乗らせるだけだ。
「ジェラルドも王都へ戻るのか?」
「いや。トルイユ辺境伯領へ行く予定だ」
「トルイユ辺境伯領……確か、北端の方だったか?」
「ああ。ここのところ、魔獣の数が増えているらしくてな」
北方山脈は魔獣が多く住む、険しい高山だ。ほとんどはオルド帝国の領地だが、山脈の一部がラングラルにも接している。そのためか、北端にあるトルイユ辺境伯領は魔獣が頻繁に現れるらしい。
トルイユ辺境伯は私設兵団の他、傭兵を雇ってその対応に当たっている。普段はそれで十二分に対応できていた。だが今年は魔獣が多く、人里にまで降りてくるケースもあるという。
「陛下から、帰る前に辺境伯領の様子を見てこいとのお達しでな。場合によっては騎士団の派遣も考えねばならん」
「魔獣か……」
私は、昨年の魔石に関わる騒ぎを思い出していた。
魔獣の活性化には何かしらの原因があるはずだ。魔霊による影響が無いとは言い切れない。
いつの間にか険しい顔になっていたようだ。ジェラルドから「何か懸念があるのか?」と聞かれ、考えていたことを話した。
「サージュ山の魔石が影響している可能性があると?」
「いや、ここはノマッド川の流域から離れているし、私が魔石を壊してから半年以上経っている。そちらとは関係が無いと思う」
だが、マティアス元王子を囮に使ったマルセルとかいう商人は今も行方知れずだ。奴の狙いが私個人に対する嫌がらせなのか、ラングラルそのものなのかは分からない。奴が捕まっていない以上、また何らかの動きを起こしてこないとは言えない。
「ふむ。一理あるな」
「勿論、あくまで仮の話だ。魔獣どもは単に餌が足りなくて、人里まで降りてきてるだけかもしれないしな」
「だが可能性がある以上、それも含めた調査が必要だ」
「そうだな。そこで提案なんだが、私もトルイユ辺境伯領へ同行させてもらえないか?魔霊が原因かどうか、確かめたい」
「無論だとも。こちらから頼みたいくらいだ。……それにしても」とジェラルドが目を細める。
「俺と離れたくないのなら、素直にそう言えば良い」
「断じて違う!!」




