73. シニャック公爵家 ◇
かろうじて地面へ軟着陸した私たちは、駆けつけたウジェ様やニコルさんに拾われた。
襲撃者の一人は捕らえられたが、他の人には逃げられてしまったらしい。追撃はヤニッグ様に任せて、殿下たちを探していたところに空から私たちが降ってきたというわけだ。
その後は追撃もなく王都に無事到着した私たちは、イヴォン殿下の姉君の嫁ぎ先であるシニャック公爵家へ泊まらせてもらうことになった。
殿下から「君は僕を二回も助けてくれたんだ。アシャールの人間は、一度受けた恩は絶対に忘れない。どうか恩返しをさせて欲しい」と懇願されたのだ。
二コルさんやディオンとも相談したが、襲撃者の一味はまだ捕まっていない状態であり、ここまで関わってしまった以上そこらの宿屋よりは警護の固い公爵邸の方が安全だろうということになった。
「ようこそいらっしゃいました。オーギュスト・シニャックと申します。こちらは妻のゼナイドです」
「ゼナイドです。このたびは、弟を助けていただいたそうで。歓迎致しますわ。どうぞ、ごゆっくり滞在なさって下さいね」
シニャック公爵は恰幅の良い紳士だった。年齢は王妃様と同じくらいかな?それに比べると、ゼナイド夫人はとても若く見える。イヴォン殿下に良く似ていて、浅黒い肌だが艶々した黒髪にぽってりと厚い唇、メリハリのある身体。すごく美人だと思う。でも、少し顔色が悪いような?
「災難だったわね、イヴォン。狼藉者はまだ捕まっていないのでしょう?心配だわ」
ゼナイド夫人が怖そうに肩をすくめる。
「この屋敷の警護は完璧だ。そんなに怯えなくてもいいのだよ、ゼナイド」
「そうだよ姉上。それに、残りの襲撃者をヤニッグと衛兵が追っているところだからね。すぐ捕まるよ。公爵、それまでアニエスたちもここへ逗留していいでしょう?」
「勿論ですとも。いやあ、未来の小精霊士様にお目にかかれるとは光栄ですな」
夫人を気遣うように肩をさすっていたシニャック公爵が、私へ笑顔を向けた。
「ラングラル王は最近、精霊信仰に入れ込んでいると伺っております。確か、大精霊士シャンタルを招致したとか。もしや、ご面識がお有りですかな?」
「はい、私のお師様です」
「ほほう!あの名高い”炎のアルカナ”のお弟子様でしたか。偶然とはいえ良い人脈を得ましたな、イヴォン殿下」
「アニエスの師匠、そんなに有名な人なの?」
「この世に四人しかいない大精霊士の一人ですから。しかも、シャンタル様は類いまれな美貌の持ち主と聞いております」
「それ、本当?アニエスよりも美人?」
「もちろん。私なんか、お師匠さまの足下にも及ばないです」
「へえ。会ってみたくなった」
「それほどの美女なら、私もお目に掛かってみたいものですな」
「まあ、貴方ったら」
ゼナイド夫人がちょっと拗ねた声でシニャック公爵へ語り掛けた。公爵が「もちろん、私にとって一番美しいのはお前だよ」と彼女を宥める。仲の良いご夫婦だ。
だが時間が進むうちに、夫人は目に見えるくらい元気がなくなってきた。
「あの、ゼナイド様。体調がお悪いのでは?」
「ええ、実は……」
「何?無理をするなと言っただろう」
公爵は慌てた様子で席を立ち、夫人を支えた。
「申し訳ありません。私は妻を休ませますので、これで失礼します。イザベル、後は頼んだぞ」
「はい」
公爵は夫人を連れて退出していった。イザベルと呼ばれた女性が「お部屋にご案内します」と私たちへ話しかける。
「イザベル、僕はアニエスともう少し話したいんだ」
「分かりました。それではお茶のお代わりをお持ち致します」
そう言って一礼し、彼女は去っていった。
侍女頭の方だろうか?でも服装は使用人用のお仕着せではなく、ドレス姿だった。
「あの、先ほどの女性はどなたですか?」
「ああ。義兄上の第二夫人だよ。元は第一夫人だったんだけどね。姉上の降嫁が決まって、第二夫人になったんだ」
「えええっ!?」
私は驚いて、素っ頓狂な声を上げてしまった。
「それって、ひどくありませんか?」
「だって仕方ないじゃない。王女の姉上を、貴族令嬢にすぎないイザベルの下に置くわけにはいかないでしょ」
イヴァン殿下は何が悪いの?と言わんばかりの表情だ。
確かに、それはそうかもしれないけれど。
もし私がフェリクス様と結婚した後に、新しい妻を迎えるから側室へなれと言われたら……。そんなこと、絶対に嫌だ。イザベル様はご納得されているの……?




