幕間7. 森の精霊使い
その少女は、森に住んでいました。
いつからなのか、なぜここにいるのか、親はどうしたのか。そんなことは、彼女には分かりません。
気が付いたら一人で森の中にいたのです。でも、寂しくはありませんでした。
彼女のそばには、いつもふわふわと浮いている小さな友達が沢山いたのです。彼らは、彼女に様々なことを教えてくれました。水場や木の実のあるところ。危ない獣が来たときに、隠れる場所。
ある日、彼女はいつものように森の中を歩いていました。
ここらの木の実は食べ尽くしてしまったので、別の場所を探していたのです。そのとき、鼻腔をくすぐる良い匂いがしました。
匂いにつられてふらふらと行ってみると、小さな家がありました。その煙突から、匂いが流れていたのです。
彼女が近づくと、家の戸が開いて女性が出てきました。
「精霊たちが騒ぐと思ったら……。随分、小さな客だねえ」
そう言うと、女性は彼女をじっと見つめました。
「おや。お前、精霊使いだね」
彼女は首を傾げました。ふわふわと浮く友達が精霊であることも、自分自身が精霊使いであることも、彼女は知らなかったのです。
そのとき、彼女のお腹がぐぐうと鳴りました。
「腹が減ってるのかい」
そう言うと、女性は彼女を家に入れてスープを分けてくれました。
彼女はがつがつとそれをかっこみました。こんなおいしいものを食べたのは初めてでした。
「お前、どこから来たんだ。親はどうした?」
彼女は何も答えませんでした。だって、彼女に言葉を教えてくれる者は誰もいなかったのです。
「口も効けないのかい?やれやれ」
そう言うと、女性は彼女の目を見て「お前、私の弟子になるかい」と言いました。
弟子というものはよく分かりません。でも、こんなおいしい食べ物を毎日食べさせてもらえるのなら、と思った彼女は頷きました。
それから、女性は彼女に色々なことを教えてくれました。
精霊のことはもちろん、文字の読み書きに家事、一人で生きていく方法。
師匠は光の精霊士で、近隣の村の病人を治療したり、薬を作って生計を立てていました。成長した彼女は、その手伝いをしながら精霊術を覚えました。
「お前にはエルフの血が流れているね。人間の血のほうが濃いから、祖母か、曾祖母辺りがエルフなんじゃないか」
エルフって何、と彼女は聞きました。
今ではすっかり喋れるようになっていたのです。
「森の深奥に済むという不老長寿の種族さ。人間の街に現れることは、ほとんどないのだけれどね」
それから十年近くの時が経ち、彼女は試験を受けて立派な精霊士になりました。
「もうお前は一人前だ。好きなように生きるといい」
師匠は彼女に杖を送ると、そう言いました。
彼女は森を出て、様々な所を旅しました。本でしか知らなかった場所はとても新鮮でした。
精霊士と知って歓迎する村もあれば、石を投げて追い立てられることもありました。
同じ大精霊士とも出会いました。旅先で出会った素敵な男性と、恋をしたこともありました。
そんなこんなで、あっという間に歳月が経ちました。
たまには師匠へ会いに行こうか。
そう思った彼女は、師匠の家に行ってみました。でも、誰もいませんでした。家の中は蜘蛛の巣だらけでホコリが溜まっています。
そして、家のそばに粗末な塚がありました。
彼女は慌てて近くの村を訪ねました。そこには、彼女の顔見知りは誰もいませんでした。森の家に住んでいた精霊士について知らないか?と聞いて回りましたが、胡散臭いものを見るような顔で知らないと言われるだけでした。
ようやく、知っているという人に会えました。村に一軒だけある雑貨屋の主人です。
「俺の親父が、頼まれて時々食料なんかを届けていたよ。そこの老婆はだいぶ弱ってたらしくてね。ある日いつものように届けに行って、死んでいるのを見つけたそうだ。若い頃に病気を治してもらった恩もあったんでね、墓を作って埋めてやったらしい。親父が生きてりゃもっと詳しく話せたんだろうが、だいぶ前に死んじまったしなあ」
彼女は呆然としながらも礼を言い、師匠の家へ戻ってみました。なんとなく家を掃除しているうちに、師匠の日記を見つけました。
日記には、日々の細々した出来事が書かれていました。
けれど読み進むうちに、内容はどんどん愚痴っぽくなっていきました。
手足が弱って村まで歩くのが難しくなったこと、家事がうまくできなくて不自由していること、体調の悪い日が多いこと……。
そして、日記の最後にはこう書いてありました。
弟子に会いたい、と。
彼女はようやく理解したのです。
人間と寿命が異なるということの意味を。
彼女は生まれて初めて、声を上げて泣きました。
森の中で、長いこと泣き続けました。
ーーー
「お師匠様。この本も片付けていいのですか?」
床へ無造作に置かれた本を片付けていたアニエスが、声をかけてきた。工房が散らかっているのを見かねて整理してくれているのだ。
「あ、いや。これは置いといてくれ。師匠が残したものだから」
「お師匠様の先生ですか?きっとすごい精霊士だったんでしょうね。お会いしてみたかったです」
「そんなにすごいもんでもない。今のお前の方が、精霊士としての腕は良いと思うよ」
そう答えながら、私は師匠の日記を机の中に仕舞った。
師匠の墓に植えてきた花は咲いているだろうか。精霊たちが集まっているかな。
あの中に眠る師匠が、寂しくないといいのだけれど。




