5. 王子からの手紙
早速、引っ越しと移動の諸々について話し合っている時に、またも玄関ベルの音が鳴った。
アニエスが出てくれたのだろう。玄関から話し声が聞こえる。
来客なら今日は断ろう。
そう考えて応接間から出た私は、戻ってきたアニエスと鉢合わせた。
「あの、お師匠さま。マティアス殿下から手紙が」
何だ。謝罪でもしてきたのか?あのバカ王子にしては殊勝じゃないか。
……などど思った一刻前の私を殴りたい。
手紙の内容はこうだ。
シャンタルが自分を殴った件は許し難いが、事前に知らせず婚約を破棄した件についてはこちらにも非があった。早々に謝罪に来るのであれば、不問にしよう。
また、アニエスは側妃へ取り立てることにする。正妃ではないが、婚約関係に変わりはないだろう。側妃を持つことを許してくれた、寛大なナディーヌに感謝するように。
「あんのクソ王子いいいい!!」
怒りのあまり、自分の髪の毛が逆立っているのが分かる。
どうしてくれよう、あのバカ王子。
「今から王宮に行って、あのクソに極大の炎精霊術を叩き込んでくる」
もはや”王子”を付けるのも面倒。クソで十分だ、あんな奴。
「お師匠様、駄目です!」
「止めるな、アニエス」
「何があったのだ、シャンタル殿!?」
騒ぎを聞きつけたのか、フェリクス殿下が応接間から飛び出してきた。私は無言でクソからの手紙を見せる。
手紙を読むフェリクス殿下の顔が、みるみるうちに険しくなった。
「これは……。本当に、マティアス王子の書いたものなのか?とても正気とは思えん」
正気じゃない、という点には同意する。
私はふーっ、と思いっきり息を吐いて気持ちを落ち着かせた。
「アニエス、あの王子の側室になりたいかい?私に遠慮しなくていい。本心を聞かせておくれ」
アニエスはしばし迷った後、いいえ、と答えた。
「元々、マティアス殿下は私を嫌っておられましたし……」
そうだ。政略結婚なのだから、愛がないのは致し方ない。だが、夫婦として生涯を共にするのであれば、少なくとも敬愛と信頼は必要だ。あの王子は、愛情はもちろん、信頼関係すらアニエスと築こうとはしなかった。
フェリクス殿下は、痛ましいものを見るような表情でアニエスを見た。
「アニエス、荷物をまとめるんだ。今日中に出て行ってやる」
「えええ?」
「王宮がしのごの言ってくる前に、引っ越しちまおう」
「それならば、俺たちも手伝おう」
それからは、大忙しだった。
護衛騎士のパトリックには馬車の用意を、殿下とアニエスには片づけを手伝ってもらった。
「シャンタル殿、ここに置けばいいのか」
「ああ、どんどん持ってきてくれ」
二人が持ってきてくれた荷物や家具を、片っ端から亜空間へ放り込む。闇精霊術の一つ、収納魔法だ。おかげで大荷物を運ぶ必要がない。
今ばかりは、闇属性を持っている事に感謝だ。
「荷馬車が要らないと聞いたときは驚いたが。便利なものだな、収納魔法とは」
収納魔法の中は、グッチャグチャになってそうだけどね。
時間が惜しいので仕方ない。
ラングラルに着いてから、ゆっくり整理するとしよう。
そうして私たちは、あわただしく出発したのだった。