56. その手の中へ ◇
「アニエス!」
王宮で待っていたお師匠様に、私は思いっきり抱きしめられた。
アンナさんやセリアさんもいて、涙を流して私の無事を喜んでくれている。
「こんな怪我、すぐに治るよ。ちゃんと元の可愛い顔に戻してあげるから、安心おし」
「ご婦人の顔にこのような狼藉を働くとは……。男の風上にも置けん輩だ。犯人はやはり、ハラデュールの第2王子だったのか?」
「はい、叔父上。今は地下牢へ入れています。それと、奴は魔石の流入にも関わっている可能性があります」
「何だと!?」
私へ治療の術をかけていたお師匠様が、振り向いた。
「地下牢はどこにあるんだい?」と言いながら、両手をがしっと合わせ、指をぽきぽきと鳴らしている。
「……シャンタル殿、ひとつ聞くが。何をする気だ」
「なあに、ちょっと奴を痛めつけるだけさね。大丈夫だ、殺しゃしないよ」
「よし、俺が案内する。手伝おう」
お師匠様を止めようとするジェラルド殿下に対して、フェリクス殿下はノリノリだ。
完全に目が据わっている。こんな様子の彼は初めて見たかも。
「待て待て待て!全く……。お前たちときたら、アニエスの事となるとすぐに冷静さを失うんだな」
ジェラルド殿下が、目頭を抑えながらぼやいた。
「マティアス元王子については、こちらへ任せてもらおう。我が国の転覆を図った、重罪人かもしれんのだからな」
「えー。じゃあ一発だけ。お願い、殿下。一発だけ奴を殴らせて♡」
お師匠様がふざけてしなを作る。
ジェラルド殿下は一瞬ぐっと怯んだけど、「可愛くおねだりしても駄目だ、シャンタル殿」と却下した。
ついでに「愛い……」という殿下の呟きが聞こえたような。空耳かしら。
「じゃあ俺も。お願い、叔父上♡」
「やめろ、フェリクス。お前は全く可愛くない」
「ひどいなー」
ぺろりと舌を出したお師匠様と、フェリクス殿下が笑い合った。
何だか意気投合してる。この二人、こんなに仲良かったっけ?
「まあ、俺に任せておけ。うちの騎士団には拷問専門の部隊がいる。奴からはハラデュールとの関与も含めて、たっぷりと聞き出さなければならないことがあるからな。我が国へ手を出した罪、存分に思い知らせてやろう」
ジェラルド殿下が、ものすごく悪い顔をしてニヤリと笑う。
お師匠さまとフェリクス殿下も「それならいいか」と同じくらい、悪い顔になった。怖いなあこの人たち。
怪我を治して貰った私は、一足先に休ませて貰うことにした。
フェリクス殿下がまた私を抱き上げて運ぼうとしたけれど、断固拒否した。だって、王宮は人目が多いんだもの。
案内された客室は既に準備が整っていて、私はベッドに腰掛ける。
「今夜はゆっくり休むんだよ」と優しく言って去ろうとするフェリクス殿下の袖を、慌てて掴んだ。
今はまだ、一緒にいたい。
それに、言わなきゃならないこともある。
「どうした?」
「あの、殿下。今日は助けて頂いて、ありがとうございました。私、先日あんな失礼な事を言ってしまったのに」
怒らせて嫌われてしまったかも、と思っていた。
でも、助けに来てくれた。
「気にしていないよ。俺の方こそ、君の気持ちも考えずに俺の感情を押しつけていた。もう会わない方がいいのかとも思った」
殿下がふい、と顔を下に向ける。
「だけど君が攫われたと聞いて、血の気が引いた。君に嫌われていても構わない、ただ無事に戻ってきてくれればと思ったんだ」
「嫌ってなんか……。ただ、私は身分が低いから。ディアーヌ様の方が殿下には相応しいと」
「それであんなことを?」
私はこくりと頷く。
はあ、とフェリクス殿下がため息をついた。
「そうか……。君は以前、身分を理由に婚約を破棄されたんだったな。そこにもっと気を配るべきだった。すまない」
「いえ、殿下は悪くないです。私が勝手に、いじけていただけで」
「ディアーヌは気の置けない友人で幼なじみだ。それ以上の感情は無いよ。俺が共に生きたいと思うのは、君だけだ」
私は殿下の顔を見た。
耳まで真っ赤にして、でもまっすぐに私を見つめてくれている。
「私も……。私も、殿下のそばにいたい」
それを聞いた途端、彼は私をぐいと抱き寄せた。抱きしめる腕に、強く力がこもる。
少し息が苦しい。でも、幸せだ。胸に熱いものがこみ上げて、身体が沸騰しそうなくらい、熱い。
「アニエス。もう放さない。君が嫌だといっても、この手を放すつもりはない」
「はい……。放さないで、殿……フェリクス様」
私は彼の背に手を回し、ぎゅっと抱きしめ返した。




