55. 救出 ◇
アニエスを攫った馬車の行方はすぐに分かった。巡回していた騎士団に目撃されていたのだ。
街道の行き来が制限されたことで、そもそも人の往来が少なくなっている。そんな中を馬車が爆走していたのだから、目立つのは当然だ。
頭の足りない犯人で助かった。
しかし……マティアス王子、いや元王子か。
一度だけ会ったことはある。テオフィル王子の立太子祝賀会へ出席するため、兄と共にハラデュール国へ赴いたときだ。
挨拶を述べた俺たちに対して、表面的とは言え丁寧な礼を返したテオフィル王子に対し、マティアス王子は尊大な態度で接してきた。
あの時は嫌な奴と思っただけだったが。今となっては嫌悪感しかない。
馬車は郊外にある空き家の横に止まっていた。
応援に呼んだ騎士数人と俺の護衛騎士で家を囲み、様子を伺う。そもそも中にアニエスがいるのかどうかも分からない。
どう動くかと考えあぐねていると、中から男の怒鳴り声が聞こえた。物の壊れる音もする。
「踏み込むぞ!」
二手に分かれ、玄関と裏戸から同時に突入した。
そこで見たものは。
馬乗りになってアニエスを殴りつけている、男の姿だった。
頭に血が上り、我を忘れてその男を殴り飛ばす。
「なんだお前たちは……ぐぁっ」
「捕らえておけ!」
倒れ込んだ男の捕獲を騎士たちに命じて、俺はアニエスを抱き上げた。
顔中に殴られた痕がある。
「アニエス!やっと見つけた……!」
彼女が腫れた瞼を開く。
俺が不甲斐ないせいで、君をこんな目に遭わせてしまった。
涙が滲み、視界がゆるむ。
「遅くなってごめん。怖かっただろう」
「殿下……フェリクス殿下……」
アニエスがしがみついてくる。
俺はその身体をしっかりと抱きしめた。
「アニエス!何だその男は……」
騎士たちに取り押さえられた男が、じたばたしながら叫んだ。
薄汚れた風貌だが、確かにマティアス元王子だ。
「貴様、浮気していたんだな。この売女め!」
お前にだけは言われたくない。
無性に腹が立って、俺は奴の腹を蹴り上げた。
「ぐぁぁっ。何をする!俺はハラデュールの、国王の息子だぞ!王族にこんなことをしてただで済むと思うのか」
「俺も王族だが?だいたい、お前は元王子だろう」
「なぜそれを……」
阿呆か。周辺国の王族の情報くらい、得ているに決まっているだろう。
シャンタル殿はバカ王子と呼んでいたが、あながち間違いでもなさそうだ。
「まさか……。シャンタルたちを連れ出したラングラルの王族というのは、お前か!?貴様のせいで、俺はこんな立場に」
何を言っているんだこいつは。
お前がアニエスに無礼を働いたのが、そもそもの原因だろうに。
この男と会話しているだけで不快になる。
「もういい。話しても無駄だ。連れて行け!」
騎士たちに連行されていくマティアスを見送って、俺はアニエスの手を縛っていた縄をほどいた。手には縄の跡がつき、擦れて血が滲んでいる。
くそっ。あの男、もう二、三発殴っておけば良かった。
「少し我慢してくれ。すぐに、シャンタル殿の元へ連れて行くからな」




