42. 侯爵家の母娘(1) ◇
「このクッキー、美味しいです」
「アニエスはクッキーが好きと聞いたから、うちの料理人に作らせたのよ。こちらのマフィンもどうぞ」
「わあ、これも美味しい!腕の良い料理人さんなのですね」
「シャレット侯爵家が雇っているのですもの、当然よ。そんじょそこらの料理人とはレベルが違うわ」
今日はシャレット侯爵家のタウンハウスにお邪魔している。
ディアーヌ様は領地にあるマナーハウスと比べたら手狭だと仰ったけれど、私から見たらすごく大きなお屋敷だ。
美しく整えられた庭園には花が咲き乱れている。そこにテーブルと椅子を置いて、ディアーヌ様と私は花を眺めながらお茶をしていた。
お茶が冷めてくると、控えていたメイドさんがサッと換えてくれる。
「でも、貴方の家で出されたケーキもなかなか美味しかったわ。良いメイドがいるのね」
「ありがとうございます。アンナさんが聞いたら喜びます」
先日は、ディアーヌ様が我が家へ遊びに来た。お師匠様の工房が気に入ったらしく、あれは何これは何と質問されたお師匠様が苦笑いしていたっけ。
あの事故の後、ディアーヌ様は何かと私へ声をかけてくれるようになった。昼食を一緒に取ることもある。仲良くなってみると、とても優しくて真面目な人だと分かった。たまに言い方が厳しいけど、間違ったことは仰らない。
「ところで、貴方に聞きたいことがあったのですけれど」
「なんでしょう?」
「シャンタル先生とジェラルド殿下って、どういう仲ですの?」
仲と言われても、別に特別な関係ではないと思うけど……。
「だって、夜会で殿下にエスコートされていたじゃない?その後も仲のよろしいご様子だったし。ジェラルド殿下のファンとしては気になるのよ」
「ファンだったんですか……」
「わたくし、年上の殿方が好みなの。それに元婚約者を亡くされてから、女性を寄せ付けないストイックさがまた良くて」
ディアーヌ様は頬に手を当ててほう、とため息をついた。
「エリザベス様の事は、吹っ切れたご様子ですよ。むしろその……女性好きな感じに戻られたらしくて、お師匠様から気をつけろって言われました」
これを聞いたら、ディアーヌ様は幻滅しちゃうかも。
言わない方が良かったかな。
「まあ、殿下ったらそんな方でしたの!?そういう危険なところも素敵ですわ~!!」
……大丈夫だった。
「あらあらディアーヌ、淑女が大きな声を出すものじゃありませんよ」
背後から声をかけられ、振り向く。
声の主はシャレット侯爵夫人だった。私は慌てて立ち上がり、頭を下げる。
「侯爵夫人、お邪魔させて頂いてます」
「ごきげんよう、アニエスさん。そんなにかしこまらなくても、よろしくてよ」
夫人はメイドに椅子を持ってこさせると、私の真向かいに座った。
緊張する。相手は侯爵夫人だもの。何か失礼なことを言ってしまったらどうしよう。
「アニエスさん、貴方に庇って頂いたおかげで、娘が怪我をせずに済んだと聞きましたわ。夫ともども感謝しているのよ」
「あ、いえ。その節は過分なお見舞いを頂きまして」
シャレット侯爵夫人からは、ディアーヌ様とは別にお見舞い金やお菓子などが届けられた。お師匠様が、何をお返ししようかと悩んでいたっけ。結局、お手製の化粧水と化粧クリームをお渡ししたそうだ。
「そうそう、シャンタル様から頂いた化粧水を使ったら、とても肌の調子が良くてね。あれは量産できないのかしら」
「お師匠様の手作りですから、一度に沢山作るのは難しいと思います」
「でも、ディアーヌは授業で作ったのでしょう?」
「そうよ。精霊石のかけらがあれば、可能なのではなくて?製法と人を揃えれば」
シャレット侯爵夫人は、商会の経営をなさっているらしい。
ディアーヌ様もそうだけれど、精霊術を商売に使うという視点に驚く。でも精霊術をこの国に広めるのがお師匠様の役目だから、悪くないのかも。
「ところで、アニエスさんはフェリクス殿下と仲がおよろしいのね?先日も一緒に劇場へお出かけになったそうじゃない」
「お母様!」
ディアーヌ様が慌てて止めようとするが、侯爵夫人は歯牙にもかけない。
これ、どう答えるべき?
「え、えと。あれは学園の合格祝いとして、連れて行って頂いただけで」
「ふうん。フェリクス殿下とこのディアーヌは、幼い頃から仲良くしておりましてね。昔はよく我が家にも遊びに来ていたのよ。殿下はあの通り、その……お固い方でしょう?女性を連れ歩くなんて珍しくってね」
にこやかだけれど、夫人の眼は笑っていない。見定めるように私の顔を射抜いている。
「お母様!せっかく二人でおしゃべりしているのに、邪魔しないで」
「まあこの子ったら、親に向かって何て言い方かしら。はいはい、それじゃあ私はお暇するわ。アニエスさんはゆっくりしてって下さいな」
「はい、ありがとうございます」
侯爵夫人はするりと去っていった。
お茶はすっかり冷め切っている。メイドさんが新しいお茶に替えてくれた。
「気にしないのよ、アニエス。お母様は私に友人ができると、あんな風に品定めをしようとするのだから」
ディアーヌ様というよりも、侯爵夫人はフェリクス殿下と私が仲良くしていることも気にくわないのだと、鈍い私にも分かる。
身分が違いすぎる。そう言われた気がした。
幼なじみで侯爵家のご令嬢。フェリクス殿下に本当にふさわしいのは、ディアーヌ様のような方だと思う。




