25. 王弟殿下の過去(1)
「ほほう、それは楽しそうな授業だな。私も受けてみたくなったよ」
今日は週に一度の陛下の治療日だ。
精霊の痕跡はすっかり消えている。予定通り、治療は次で終わりになりそうだ。
治療の合間には私の近況について聞かれる。
特に先日の授業の話には興味を惹かれたらしく、結構な時間、話し込んでしまった。
「そうそう、授業と言えば。次は攻撃術をやってみようと考えているのです」
ユベール先生が念のためにと学園長のジェラルド殿下に報告したところ、却下されてしまった。
騎士科ならともかく、一般科の生徒に危険な実習をさせるなと言われたらしい。
「それで、直談判しようかと先ほど殿下の執務室を訪ねたのですが、ご不在でした」
「ジェラルドが?視察の予定は聞いていないが」
陛下が首を傾げて侍従の方を見た。
問われた彼は、意味ありげな顔で首を振る。
「陛下、今日は……」
「ああ、そうか。そうであった」
二人とも押し黙ってしまった。何だか空気が重い。
聞いてはならない事だったのだろうか。
「シャンタル殿には、話しておこう」
陛下が重い口調で話し始めた。
「ジェラルドの精霊嫌いのせいで、そなたにも不快な思いをさせてしまっているだろう。だが、彼奴も昔からああだったわけではない。これには、一人の女性が関わっているのだ」
「ジェラルドには婚約者がいた。エリザベスという名の、美しく気立ての良い娘であった。ジェラルドとは本当に仲睦まじくてな」
エリザベス・セレイヌ伯爵令嬢。彼女は光の精霊士だった。
光属性の精霊士は回復魔法に長ける。
人は生きている限り、必ず何らかの病にかかる。
そのため、光精霊士の需要は非常に高い。光属性の持ち主自体も希少なので、引く手数多なのだ。
深窓の令嬢であったにも関わらず、自分の能力が民の為になると考えた彼女は厳しい修練を積み、若くして精霊士となった。
「心根の優しい女性だったのですね」
「うむ。孤児院や貧民街など、貧しくて医師にかかれない者たちの治療によく出向いておった。平民にも分け隔て無く接するエリザベスは、彼らから聖女さまと呼ばれることもあったよ」
ある年、ラングラルが豪雨に見舞われた。
特に王都近くにあるキャスケーの町は、甚大な被害を受けた。
二つの河川に囲まれているキャスケーは、元々水害にあいやすい土地である。川の氾濫により町は水浸しになり、多数の死傷者が出た。
国中から医師を集めて派遣したが、それでも治療の手が追い付かない。
それを聞いたエリザベスは、自らもキャスケーへ出向くと言い出した。
心配する家族の反対を押し切り、彼女は雨の中、かの地へ向かった。
だが、エリザベスは二度と戻らなかった。
巡回していた騎士団が、崖崩れの跡と、馬車の一部を見つけた。
長雨で土が緩んでいたのだ。
状況から、馬車もろとも土砂に流されてしまったものと思われた。
「知らせを聞いたジェラルドは半狂乱だった。引き留めるのに苦労したよ。護衛騎士数人がかりでようやく押さえ込んだ」
雨が収まった後、ジェラルドは捜索隊を率いて現場へ向かった。
自らもスコップを持ち、泥だらけになって土砂を掘っていたという。
「不眠不休で彼女を探していたジェラルドの姿を、今でも覚えておる。やつれ果てて幽鬼のようだった」
しかし、その労力が報われることはなかった。
彼女の遺体どころか、遺品すら発見することはできなかったのだ。
現場は湖のそばだったから、湖に沈んでしまったのだろう。しばらくして捜索は打ち切られた。
「毎年、エリザベスの命日になるとジェラルドはあの場所に行っておる」
「それが今日だったのですね」
「うむ。あの日からだ、ジェラルドが精霊を毛嫌いするようになったのは。エリザベスが精霊士でなければ、死ぬこともなかったのだと考えているのだ。理不尽な考えであることは、彼奴も分かっているだろうが……」
私は何とも答えることができず、黙っていた。
エリザベスの死を精霊のせいにするのは八つ当たりだ。
だがおそらく、ジェラルド殿下は何かに怒りを向けないと、心を保っていられなかったのだろう。十年経った今でも。
それほどまでに、殿下にとって彼女の喪失は大きかったのだ。




