15. その頃のマティアス ◇
「大馬鹿者が!」
シャンタルを取り逃がしてすごすごと戻った俺を待っていたのは、父上の雷だった。
「誰が騎士を使って良いと申したか!しかも彼らを負傷させた挙げ句、シャンタル殿を引き止めることも出来なかったとは」
「騎士を負傷させたのはシャンタルです!だいたい、奴を逃がしたのは騎士たちがふがいないせいで……」
「黙れ」
父上が鋭い瞳で俺を睨みつける。
全身から溢れる怒りのオーラが見えるようだ。その迫力に俺はたじたじとなり、口をつぐむしかない。
「それだけではない。シャンタル殿と同行していた者の中に、ラングラルの王族がいたそうだ」
「何ですって!そんな馬鹿な」
ラングラルの間者だとばかり思っていた。
あの中に王族がいただと!?
「ラングラル王から手紙が来た。身分を偽っていたこちらにも非があるので、今回は抗議のみで済ませると書いてあったがな。全く……ラングラル如きに借りを作ってしまった」
父上がため息をついて、椅子の背に深く身体を沈めた。
その沈黙がかえって辛い。
黙ってしまった父上の代わりに、兄上が続ける。
「他国の王族を攻撃したこと、大精霊士をみすみす奪われたこと、また無謀な采配で騎士たちに怪我を負わせたこと。貴族たちから不満の声が上がっているよ」
「そんなもの、黙らせれば良いではないですか」
「王政とは、我々だけで動いているのではない。貴族たちの支えは不可欠だ。彼らの声は無視できないよ」
「もう良い。マティアス、そなたは今日この時より王族から除籍とし、公爵位を与える。ただし、一代限りだ」
父上が言い聞かせるように、ゆっくりと言い渡した。
その内容に俺は愕然とする。
俺が王族でなくなる?そんな馬鹿なことがあっていいのか。
「そんな……待って下さい。俺は父上の、国王の息子じゃないですか!」
「陛下と呼べ。今後、そなたは王子ではなく臣下だ。領地は与えないが、代わりに生活できるだけの金は支給してやる。おまえが死ぬまでだがな」
「そういうことだ。陛下の温情に感謝しなよ。ああ、それともう一つ。クラヴェルの令嬢だが、精霊使いの素質は無いことが立証されたよ。彼女が高価な精霊石を買っていた商人から証言がとれた。ま、そんなことじゃないかと思っていたけどね。今は虚偽罪で牢屋の中だ。クラヴェル家からも縁を切られたってさ」
俺は目の前が真っ白になった。
元はと言えば、ナディーヌが俺との婚約を望んだことが騒動の原因だ。あの女、俺を騙していたのか。
その後も兄上が何か言っていたようだけれど、耳には入らなかった。
ふらふらと謁見室を後にして私室に戻る。
そこで目に入ったのは、俺の荷物を片づけている側近たちの姿だった。
「何をしている、お前たち!」
「ここは、王子殿下に与えられる部屋です。マティアス殿下、いやマティアス公爵は退去となり、代わりに第三王子殿下が使用されるとの通達がありました」
「王子でなくなっても、俺は陛下の息子だ。荷物を戻せ」
だが側近たちは俺の命令を無視して、どんどん荷物を運び出していく。
俺は彼らの一人を突き飛ばした。奴が手に持っていた書類や本が散乱する。
「貴様ら、主君の命に逆らう気か」
「もう、我々は貴方の家臣ではありません」
俺は呆気に取られた。
こいつら、何を言っているんだ……?
「マティアス殿下が公爵となられたことで、俺たちは側近の任から外れました。既に各々、別の部署へ転属が決まっております」
側近筆頭のファビアンが言い放つ。
いつもオドオドとしていた男の強気な姿勢に、俺はたじろいだ。
「ちなみに私は、王太子殿下の側近になりました」
「貴様のような愚鈍な者が、王太子付きだとは笑わせる。そんなもの、勤まるわけが」
「ファビアンが愚鈍?冗談だろう」
いつの間にか、兄上が後ろに立っていた。
側近たちが一斉に礼をし、兄上は「構わない、作業を続けろ」と指示を出す。
「ファビアンは、学園を首席で卒業した程の優秀な人材だ。俺の側近にと願ったのだが、父上がマティアス付けにしてしまった。お前、王子としての執務をロクにこなせていなかっただろ?執務の大半を優秀なファビアンが賄っていたからこそ、何とか回っていたのだ」
「俺だって、仕事くらいちゃんとしていました」
「回ってきた書類にサインをするくらいだろ?中身は確認していたか」
「それは……」
何だっていうんだ。
書類をいちいち確認していたら日が暮れてしまう。王族なんて、皆そんなもんだろ?
「ファビアンは父上の期待通り、お前の尻拭いをしてくれていた。俺は歯がゆい思いをしていたんだよ。こんな優秀な人材が、出来損ないの弟のお守りで一生を終えるなんて」
兄上が俺に目をむける。
それはまるで野良鼠にでも向けるような、嫌悪と軽蔑を含んだ視線だった。
「シャンタル殿をラングラルに奪われたのは痛手だけれど。優秀な人材を側近にできたことだけは、お前に感謝しないとな」
「貴様……!」
腹の底から、怒りが湧いてくる。
その怒りが兄上になのか、側近たちになのか、それとも俺をないがしろにした女どもになのかは分からない。
俺は思わず兄上に殴りかかった。
だが、闇雲に振り回していた両手は兄上の護衛騎士に取り押さえられ、そのまま部屋から放り出された。
その後、俺は王宮からも追い出された。
用意された屋敷は王宮に近いとはいえ粗末な屋敷で、今まで暮らしていた豪奢な部屋とは比べものにならない。使用人も最低限の人数だけだ。




