131. 幸せな夢
デルーゼから帰って一週間経ち、ようやく諸々が落ち着いた。
もうすぐ夏休みが終わる。
私は次の授業の準備に追われていた。デルーゼ滞在が想定より長くなったせいで、時間が足りない。
だいぶ夜も更けている。そろそろ寝ようと寝室へ戻った私は、机上に置いてある香瓶に気づいた。
「そういえば、これがあったっけ」
イヴォン殿下がアニエスと私へ贈ってくれたものだ。何でも良い夢が見られるお香らしい。珍しい商品を扱う商人に頼んで、特別に用意させたものだと言っていた。
念のため成分を調べたが、身体に有害なものは入っていなかった。薬効については眉唾だと思うが。
使ってみるか。
香炉に瓶を仕込んで、私はベッドへ入った。
……
…………
あれ…………
私は我が家の前に立っていた。
何でこんなとこにいるんだろう。確か、ベッドに入ろうとしていたような……。
「シャンタル」
立ち尽くす私へ声を掛けてきたのは、ジェラルドだ。
「ジェラルド、どうしたんだ?お前が私の屋敷へ来るなんて珍しいな」
「何を言っているんだ。俺もここに住んでいるじゃないか」
……そうだっけ?
ああ、そうだ。私は彼と結婚して、ここで共に暮らしているんだった。
私たちと、アンナとセリアと。えーと、アニエスは……。
「アニエスもいるぞ?俺たちの養女になってな。シャンタルと離れたくないと言って、フェリクスとの婚約も解消したじゃないか」
「そうだったかな」
何だか頭がぼうっとしていて、よく思い出せない。
「今日のお前は変だな。大丈夫か?」
ジェラルドが両手で私の顔を包み、心配そうな表情で覗き込む。しばらく見つめ合って、そのまま口付けを交わした。
何かが……そう、何か違和感がある。
でも、考えたくない。だって、こんなに幸せなんだから。
「シャンタル……愛している。永遠にここで暮らそう。過去も未来も、俺が愛するのは君だけだ」
頭に閃くものがあった。
――違う。彼は、そんなことは言わない……!
「はっ!」
目を覚ました私は一瞬、呆気に取られた。自分の周囲に精霊たちが飛び回っていたのだ。彼らは守るように私を囲む一方で、香炉に対して敵意を向けている。
慌てて香炉を消し、窓を開けて空気を入れ替えた。
「まさか、魔霊術か……!?」
幻影を見せるだけなら闇精霊術でも可能だ。だが睡眠中で意識のない状態へ、幻を浸透させる術は無い。
……禁忌とされる魔霊術以外は。
正確に言えば、闇精霊術でも出来なくはない。危険であるため、禁止されているのだ。有意識状態より、無意識下の方が幻影の威力は強まる。その結果が、死に至らしめるだけならまだマシだ。強い術であれば、生物を傀儡化できることすら可能なのである。
だからこそ禁忌なのだ。
おそらく危険を感じた私が無意識に精霊との経路を解放し、彼らに守らせたのだ。とはいえ夢で違和感を感じなければ、そのまま眠り続けたかもしれない。
危なかった。
香は封印して、もう一度成分を調べよう。
そこまで思い至った私は、重大なことを思い出した。
昼間、この香に害はなさそうだとアニエスへ伝えたのだ。彼女は「今夜、早速使ってみます」と言っていた。
「しまった……アニエス!」




