幕間7. 居場所はここに
「シャンタル様、そろそろ起きて下さい」
「うーん、もう少し……」
私はカーテンを思いっきり開けると、ベッドからなかなか出て来ようとしない主人に大声で話しかけた。
「今日は学園へ出勤する日でしょう?早くしないと、朝食無しになりますよ!」
「分かった、起きるよう……。セリアは容赦ないから、ホントに朝食抜かれそうだもんな」
ぶつぶつ言いながら起きてきた主人を急かし、手早く着替えさせる。
出立まであまり時間がない。アンナさんに、すぐに食べられるような食事をと頼んでおいたのは正解だったようだ。
幼い頃は母と二人で暮らしていた。父は月に一度か二度、帰ってくる。
どうやら普通の家庭でないらしいことは、子供心にも薄々察していた。
父は貴族であり、見初めた平民の母を囲っていたということを知ったのはだいぶ後のことだ。
8歳の頃に母が病気で亡くなり、私は子爵である父の家へ引き取られた。
そこにいたのは父の妻とその子供たち。
義母はにこやかに私を出迎えたが、その目は全く笑っていなかった。
彼女からすれば当然だったろう。夫がよそで作った子供など、異分子でしかないのだから。
とはいえ、義母は私を冷遇したりはしなかった。衣食住は存分に与えられ家庭教師を付けられ、年頃になれば学園へ通わせてくれた。
貴族としての体裁を保つためであったにせよ、愛人の子に対して十分すぎるほどのことをして貰ったと思っている。
父は妻を恐れてか、私へ話しかけることはほとんど無かった。
義母や義兄弟たちとは、顔を合わせれば当たり障りのない会話をするだけ。
私は彼らの家族ではなく、どこまでも異物だった。
学園は楽しかった。
愛人腹、しかも平民育ちとあって陰口を叩く者もいたが、友人もできた。何より、勉学は好きだ。努力すればするだけ成果が出る。
卒業が近づいたある日、私は父の書斎へ呼ばれた。
取引のある商会の主が後妻を探している。そこへ嫁ぐか、家を出て働くか選ぶように、と。
そんなもの、選択肢は一つしかない。
「家を出ます」と答えた私に、父は「そうか」と頷いた。
それが父と交わした最後の会話だ。
卒業して数日も経たないうちに、私は父の知り合いであるという伯爵家へ送り出され、そこの使用人となった。
伯爵家での生活は悪くなかった。
慣れない仕事にヘマをして叱られることもあったけれど、きちんと働いていれば給料が得られる。
ただ、父の旧知であるらしい伯爵夫妻は、どこか私に気を使っているところがあった。私はそれに少しだけ居心地の悪さを感じていた。
そうして三年ほど経った頃、伯爵夫人から「出かけるので付いて来なさい」と言われた。
奥様には専属の侍女がおり、外出する際はその侍女が同行するはずだ。
不思議に思いながら連れて行かれた先は、とても立派な屋敷だった。
「シャレット侯爵様の館よ。くれぐれも失礼のないようにね」
実家の子爵家はもちろん、伯爵家すら比べものにならない程の広さだった。侯爵家であれば納得だ。
私たちを出迎えたシャレット侯爵夫人は奥様と挨拶を交わした後、私をじろじろと眺めた。
何かご不快を招くような事をしたのかと不安になる。
私へいくつか質問をした後、侯爵夫人は「実はね、ある人が使用人を探しているの。貴方はとても有能だと聞いているわ。行儀作法も申し分ないようですし。どうかしら?」と問いかけた。
相手の意志を尊重している風な言い方だが、おそらく拒否権はないのだろう。
私は「喜んでお受け致します」と答えた。
そうして、私はシャンタル様へ仕えることになったのだ。
シャレット侯爵夫人が仰った”ある人”とは王妃様であったらしい。
この国へ来たばかりのシャンタル様やアニエス様に、貴族の流儀を教えられる使用人を探していたそうだ。お二人とも平民出身のため、貴族と平民の両方に生活経験のある私が適任だと判断されたらしい。
シャンタル様は少し、いやだいぶ変わった女主人だが、お優しい方だ。
何より、アニエス様だけでなく私たち使用人も大切に扱って下さる。
まるで家族のように。
まあ、少しだらしないのが玉に疵ではあるが。
「セリアさん!この服に合わせる靴はこれでいいかしら?」
「本日は午後から王宮へ行かれるのでしたね。それならば、こちらのフォーマルな方がよろしいかと」
「そっか。それじゃ、こっちの靴にするね。セリアさんがいてくれて本当に助かるわ」
「ありがとうございます。ささ、アニエス様もそろそろお出になりませんと」
手を振って馬車へ乗り込むアニエス様を見送り、私は中断していた掃除を再開した。
毎日忙しいけれど、とても充実している。私はようやく、自分の居場所を見つけたのだ。




